2006年12月10日

情報

3つのグラスに注がれた酒をちょっとずつなめて
大吟醸・高級酒・料理酒をそれぞれ当ててくださーい!

各テーブルから1名ずつ選抜された見るからにうるさそうな強豪ぞろいの中に
なぜか私が入ってしまった
ほとんど毎日晩酌はしているが、日本酒は正月くらいしか飲まなくなった
『・・・ウーン・・・こりゃ甘い・・・のかな?』って
かろうじて分かるのは甘いか辛いかの違いくらいである

ステージに立った6人の選抜選手、隣の強豪が私の耳元で
「おーこの色は安くないぞ・・・なっ深みが違うだろ?いい酒ってのはな・・・」
と色々と薀蓄を語って下さるのだが残念ながら私にはその違いが分からない

結局一番スッキリと飲みやすいのを「料理酒」妙な甘さが残るのを「大吟醸」
と自分のイメージだけで解答用紙に答えを書き込みさっさとテーブルに戻ると
「見事、全問正解です!」ときたもんだ・・・
『なんだかんだ言いながら、オレってやっぱり違いが分かる男だよなー』と
しばし心地のいい錯覚の世界と旨い酒に酔うのであった・・・


先日当所のメインバンクである金融機関が運営する異業種交流会の忘年会がありました。その会はもう40年以上も続いている歴史のある交流会ですが、私が入会させていただいたのは4年前くらいだと記憶しています。会員はこの金融機関を利用している企業経営者の方々で、勉強会、親睦会、コンペを年間2回ずつ行いその他に年1回の研修旅行を実施しています。

なにしろ何十名という蒼々たる会社トップの大先輩がメンバーなので、入会当初は隅っこのほうでかなり小さくなっていましたが、やっと昨年あたりから私の顔と名前が一致してきたのか多くの方々から気軽に声をかけていただけるようになり、遠慮なく話ができるようになったというのが正直なところです。

その席で、久々にお会いしたある社長さんが「この前うちの会社がテレビに取り上げられたんだよ」と話しかけてきました。

折からの原油高騰、競合との熾烈な競争の真っ只中で厳しい経営環境にあるガソリンスタンドを経営する会社の社長さんです。ただこの社長さんは何かと規制の多い業種柄、ご自身のビジネスを通じて日頃から環境問題に真剣に取り組んでおり、その活動が注目されてエコロジーをテーマにしたローカルの特集番組に紹介されたということでした。(詳しくはこちらを http://www.mobilkubota.com/)

そんな会話の中でその社長さんが面白い話をしてくれました。

「バカな評論家が燃料を満タンにすると燃費が悪くなるなんて無責任な情報を発するもんだから、それを信じて1,000円分のガソリンを毎日入れに来る人がいるんだよ。今まで何回もガス欠になったって電話してきているのに懲りずに続けてるもんだからこの間言ってやったの。『車ってどうして必要だと思う?災害とか緊急事態のときに一番頼りになるからでしょ。でも車ってのはガソリンがなきゃ動かないんだよ。だからどんなときでも万全の状態で使えるように普段から燃料は十分入れておかなきゃいけないんだよ』ってね」

当然とも極端ともとれる話ですが、私は妙に感心してしまいました。

「1,000円でも必ず社長のお店に来てくれるならOKじゃないんですか?」
敢えてこんな下衆な質問を返してみると

「ウチは別にガソリンを売りたいわけじゃない。お客様に正確な情報とアドバイスを提供して、安心と安全を与えられる会社になりたいんだよ。とにかく今の世の中間違った情報を鵜呑みにして間違ったことをしている人たちが多過ぎる。それが歯がゆくて仕方ないね・・・」

確かに!

メディアが驚異的に発達してありとあらゆる情報の入手が容易となった反面、独断と偏見のみのいい加減な情報や最初から欺きありきの情報も錯綜し、その取捨選択が問われる時代であることは周知の事実です。

特に私たち会計事務所は専門サービス業である以上、税務会計に関する正確で有意義な情報を提供する使命があります。そのためには、私たち自身がものの本質を捉える目を養うことがまず第一、その上で顧客企業の健全経営のお手伝いをしていきたい・・・
酒の席とはいえ、背筋の伸びるいい話を聞かせてもらったなと思っていたら
以心伝心ウチの若い?職員が協力して「総務の手帖」なるコーナーをこのHPに立ち上げました。

これは企業の経理担当者のために役立つ情報を提供している信頼できるHPを紹介するというコーナーです。皆様の正確な情報選択のナビゲートをコンセプトに立ち上げたということで、さすがウチの職員!目のつけどころが鋭い!どんどん更新すると言ってますので、バージョンアップのためのご意見ご要望をどしどし寄せてやって下さい。


さて、利き酒大会で全問正解とはいかなかった隣の強豪はちょっと荒れ気味のご様子・・・耳元で囁かれた情報を鵜呑みにしなくてよかったよかった。

自分を信じることもやっぱり大切ですね!

2006年10月11日

基本方針

今年も事務所の次期基本方針を策定する季節がやってきました。

ウチの事務所では、経営の指針を所長代理である私が掲げ
具体的な活動計画や目標予算は課長を中心に職員全員で立てます。

今回で3期目になりますが、実はこれが川崎浩所長独特の職員練成です。

ずっと以前から、職員全員が経営者たれと、その信じ難い(良く言えば)権限委譲で我々職員は所長におそらく知らぬ間に教育されてきました。

現在所長はTKC全国会の中央研修所所長という大役を仰せつかっており
月の半分(以上かな)は、その公務により事務所におりません。
普通なら顧客の皆様に多大な迷惑をかけるのではと懸念される状況です。

よく他の事務所の先生方に「君たちがしっかりしてるから・・・」
などとおだてられていますが、(悪く言えば)所長の術中にはまったというか、とにかくいないから自分たちで何とかしなければならないというのが実際のところです。そこが所長の狙い目でもあるのでしょう。

しからば我々も「んじゃやってやろうじゃないの!」と使命感に燃え
良いのか悪いのか分からない微妙なコミュニケーションを保ちつつ
所長に追いつ追い越せで真剣に取り組んでいるのです。


さて、事務所の次期基本方針のテーマは「利他業に徹する」です。


「利他業」とは、このコラムにも頻繁に登場している飯塚毅名誉会長の信条
「自利利他」に端を発しています。「自利利他」を一言で言うと
「他人の利益(幸福)そのものが、すなわち自分の利益(幸福)である」
ということです。(本当は一言ではとても語れません)

ウチの事務所は現在7名体制で運営しているのですが、ここ何年も新入職員を採用しておらず、職員個々はすべて10年(以上)選手となり、確かに業務の処理能力や専門的な判断レベルはそれなりの水準であることは確かです。昔はよく「税務署の手先・・・」などと揶揄されたものですが、今はほとんどの顧客の皆様から「税務署より厳しい!」とのお褒め?の言葉をいただくまでになりました。

だからこそ、ここで変に落ち着いてしまっては、間違いなく事務所は停滞、衰退の道を辿り、それは即顧客の皆様に対して満足していただく仕事が遂行できなくなることを意味しています。

親子でも夫婦でも恋人でも、最も注意しなければならない人間関係が「慣れ」であることは、現にその状態になっていることに気づいていない人でさえ、頭では、或いは理屈では分かっているはずです。

やはり私たち職業会計人は、それを頭の理解に留めることなく、未来永劫顧客の皆様の事業発展と幸福に貢献するために、真に信頼され支持される存在でなければならない。そんな思いがこの事務所にお世話になって20数年、50歳を目前にした私には最近特に強く感じられるようになっていました。そのために今一度原点に立ち返り、全身全霊を傾けて、税務会計の指導業務や経営支援業務をプロとして責任を持って実践しようというのがその真意です。

「利他業に徹する」というのは、皆さんの言うことは何でもやりますなんて稚拙なことではありません。

職員諸君には、べテランスタッフばかりとなった現事務所で、自分自身が同じ事を繰り返していることに満足していないか、本当に担当先の皆様から必要とされる存在となっているかを熟考し、もし「慣れ」を禁じ得ぬ状況があるのなら、そこを改め一からやり直すことを要請しています。

顧客の皆様には、場合によっては今まで以上にうるさく細かいことを私どもスタッフが言うかもしれません。しかし、それはすべてこの方針に基づくスタッフの強い思いがもたらす対応だと理解してください。

顧客の皆様の発展が、そのまま私たちの喜びなのです。
これはセールストークではありません。
私たちの本当の思いです!

2006年9月23日

団塊

「ナイスショット!」

秋晴れのコースにオヤジたちの気分爽快な声が響きわたる
まっすぐ飛べばすべてナイスショットなのだ!

「ファー」・・・ 「ファー」・・・ 「ファー」・・・

あちこちのコースからオヤジたちのダミ声がこだまする
せっかく来たからには隣のコースだって使わなきゃ損だ?

「いやー昨日稲刈りだったモンで足腰痛くて距離がでねーゎ」
「何言ってるだい!俺なんか肩上がんなくてまともに当たんねーょ」
「わざと林に打ち込んできのこ採ってくるのやめろって」

良くてぎりぎりふたケタ、もともと煩悩の数くらいで回るオヤジたちの
そんな会話がいたく楽しいコンペを私はとても気に入っている


私の住んでいる町内にはオヤジさんたちのゴルフ愛好会があります。
「アルバトロスゴルフクラブ」と名称だけは奇跡に近いクラブです。

メンバーは30数名、その中心は50代半ばから70代前半、40後半の私はバリバリ若僧の部類です。従って当然カートを運転し、オヤジのよく曲がるボールを捜しに山を駆け上がり、パターを4本持ってグリーンに走り、フラッグを抜き差ししてまたカートへ・・・なんて「お前はキャディーか!」という仕事ももちろん率先してやることになります。

でも10数年前にこのクラブに誘ってもらったおかげで、結婚してから移り住んでほとんど知り合いのなかった私が、今は町のどこへ行っても気軽に声をかけ合えるようになり、気のいいオヤジさんたちとの多くの縁を持つことができたのも事実です。

だからいつもセルフで回るこのコンペで、キャディー代わりに動くこともまったく苦にならず、それどころか大先輩のオヤジたちに向かって「そんなにリキんだら血管切れるよー」などと軽口を叩きながら結構楽しんでやってます。

時間的、経済的なこともあって、プライベートではほとんどやらなくなったゴルフですが、そんなオヤジさんたちとの縁を大切にしたくて、年3回行われるこのコンペにだけは可能な限り出るようにしているのです。


先日今年2回目のコンペがあり、会長さんの提案で近くの公園で焼肉でもやりながら表彰式をやろうということになりました。

酒屋からビールサーバーを借りて、大型の鉄板4台を配置して20数名が参加しての大盛り上がりの会になったのですが、私は自分の近くの鉄板周りにいた60歳前後のオヤジさんたちと飲みながら、その話の内容にちょっと驚いてしまいました。

あるオヤジさんが「いやーニュージーランドは本当にいいよ!」
と昨年ご夫婦で旅行に行ったときの話を始めると
横にいたランニングにねじり鉢巻といういでたちのオヤジさんが
「そうそう・・・オレも母ちゃんと行ったときラフティングってのをやったんだが、ボートがひっくり返ったときはホント死ぬかと思ったって! 船頭の兄ちゃんがわざとあれやるだよな、『まったくコッチの歳考えろ』って言ってやったダヨ!
日本語でー、だーっはっはっはっー(笑)(笑)!」

すると今度は隣の作業つなぎを上だけ脱いだオヤジさんが
「ニュージーランドも確かにいいが、カナダもかなりいいじー」

「おーカナダね!バンクーバーとか?」

「あそこは一週間位いなきゃ本当の良さは分かんねぇぞ」

「あの何とかって滝は見てきたかい、なんつったっけなーあの滝・・・」

「???」


「4年2組の“だぼ”」なんて言いながらゴルフでもろくに横文字を使わないオヤジさんたちが、海外の、それも自分たちが経験した話で盛り上がっているのです。人は見かけで・・・とはよく言うものの、そのあまりのギャップに私は正直びっくりしました。

そしてただ相槌を打って聞いていた私は、目を輝かせてそんな話をしているオヤジさんたちの多くが、巷で騒がれている「団塊の世代」であることに気づき、またまた“はっ”としました。

2010年問題と言われ、その経済効果などが良くも悪くも注目されている団塊ですが、その年代だけを考えれば、確かに時間的にも経済的にも余裕ができて、やっと自分のために有意義な時間を使えるといえば確かにそうでしょう。
しかしその年代になればみな同じというわけではなく、やはり心身の健康と人生に対する旺盛な好奇心が伴わなければ、誰もが充実した時間を過ごせるというものではありません。

世間では「団塊の世代」の人々は単にその人口の多さだけではなく、生まれ育ってきた時代背景などから、
とても闊達で行動力があり好奇心や競争心も強いと言われています。

かくいう田舎丸出しの我が町内のオヤジさんたちでさえ
毎年夫婦で海外旅行をする
日本中の旨いものを食べ歩く
全国の天然温泉を制覇する などなど・・・

本当に若々しく元気なのは明らかで、傍にいても生きる力が強いと感じます。

今回、まったく利害関係なしでお付き合いさせていただいている身近な団塊オヤジたちのちょっと・・・いや、かなり違った一面を垣間見て、巷で「団塊の世代」に対して言われていることは結構ありかもと思いました。

実際にどんな影響が出てくるのかは分かりませんが、2010年に向けて社会の状況にも注視しつつ、私はやっぱりこのオヤジさんたちとのやかましいコンペもずっと楽しんでいきたいと思います。

2006年9月6日

コストダウン

9月最初の日曜日、行きつけの美容院に散髪に行きました
その頭で何で美容院なんだよ?(って言いますか!)

失礼な!

そこは私がホテルマンをしていた頃に
とてもお世話になった上司の奥さんのお店
もう20年来通っていて、逆にすっかり後退した
この頭をどうにかしてくれるのはこの美容院しかないんです

それはともかく、いつものように世間話をしながら僅か10分ほどでカットを終えた私を「ちょっと時間いい?」と奥さんが呼び止め、そしてある会社の行く末を案じてこう言いました。

「暫くの間、妹のところから手を引いてくれない?」

おふざけモードだった私は一瞬時間が止まりましたが、頭を整理して
「話を聞かせて下さい」と、改めてソファに腰を下ろしました。

実はその会社というのは、今から20年近く前に、この美容院の奥さんの妹さんが社長の下に嫁いでいるという縁で紹介していただき、現在も私が担当している得意先です。

バブル当時は毎年かなり順調な業績を上げていたのですが、ここ数年急激に状況が悪化し、良かった頃に投資した負債が今になって重くのしかかるという悪循環で、非常に厳しい経営環境にさらされていたのです。

以前から妹さんにそんな状況を相談されていた奥さんは、まず「何か節約できることはないの?」と切り出したそうです。「もう目一杯切り詰めてるんだけどね・・・」と返され、「とにかくコストダウンしなきゃ!」と色々相談した結果、会計事務所を切ることを勧めたと言います。

「帳簿だけちゃんとつけて、それを持って税務署に行けば、決算や申告なんて何とでもなるんだから!。高い報酬払って会計事務所に見てもらわなくてもいいんじゃない?って妹に言ったのよ」
奥さんがまくしたてます。

本来は違いますが、こういった状況では確かにそれも一理あります。どうやったってそれ以上税金を納める余地もなく、税務申告することだけを考えれば、現実問題としてそれもありというのは事実でしょう。

「何ヶ月か前に妹さんからその話はされました・・・。でも社長からは助けて欲しいと言われてます。奥さんは私が決算書や申告書を作るだけのことで、20年も妹さんの会社とお付き合いしてきたと思っているんですか?」

掃除の手を止め、ちょっとびっくりした表情で奥さんは私を見ました。

「本当のコストダウンっていうのは、まずは無駄な、不必要なコストを削減するってことでしょ?確かに会計事務所が高い報酬だけ取って誰でもできるような仕事しかしないのなら、不必要な経費としてカットしてもやむを得ないと思うけど、少なくともウチはそういう会計事務所じゃないんですよ。それに奥さんともあろう人が、本気で私が妹さんの会社にとって必要ないと思ってるんですか?」

「・・・・・・」

「守秘義務があるんで、話せることと話せないことがあるけど・・・」
このあと言葉を選びながら、これまで私が社長夫婦にしてきたアドバイスや会計事務所という立場からの私の考えを話しました。

この会社がそうであるように、我々の業界では特に親戚とか友人つながりでの得意先が結構多いのが現実です。奥さんも昔からの知り合いである私に気を遣って今までなかなか話せなかったのだと思います。それでも一向に好転しない妹さんの会社の状況に黙っていられなくなり、ここで勇気を持って話してくれたことに対し、私もできる限り誠意をもって対応したつもりです。

最初は少し興奮気味だった奥さんも、私の話を聞いているうちにいつもの穏やかな視線に変わっていきました。


私たちが価値ある存在でありたいと思っていてもそれを評価するのは関与先の皆さんです。私たちがいただく報酬が高いか適当かも、関与先にとっての私たちの存在価値の有無如何です。私たちに力がなければコストダウンの対象になるのは当然でしょう。そんないつ削ってもいいようなコストの一つにならないように、関与先に貢献できる真のパートナーになるべく、私たちは自己を磨き続けたいと思っています。


「よろしく頼むね!」

奥さんの最後の一言に武者震いした一時でした。

2006年8月18日

「改革」と「改善」 Vol.3

昨今、街角からは珈琲のおいしい喫茶店が次々と姿を消し
気がつけばファミレスやファーストフードのチェーン店が
あちこちで「いらっしゃいませ!○○へようこそ!」
引きそうな明るさと気軽さを武器に年中無休で営業しています

私等の学生の頃には、それこそあちこちに個性的で
こだわりのある通称「サ店」がたくさん存在していました

仲間とたむろするときも、彼女とデートするときも
まずはいつものサ店で待ち合わせ・・・
インベーダーにブロック崩し、はたまたポーカーゲームで
生活指導の先生にお縄・・・(って私のことではありませんよ)
なんてのがよくあるパターンでしたよね?

それにちょっと郊外には隠れ家的なサ店も結構ありました
裏に駐車場、停まってる車を隠すほどの大きな木
山と積まれたマンガ本、そして可愛いバイトの女の子・・・
(だから私のことではありませんって!)
ブランチタイムの営業マンの憩いの場でしたよね??

そんな洒落たお店が姿を消してしまうのは
なじみが何軒もあった私(結局俺かい!)としては実に寂しい限りです・・・


さて、前回で完結するつもりだったテーマなのですが、「改革」も重要だろう!というご指摘を頂戴したこともあり、やはり「改革」と「改善」と謳った以上、今回はその「改革」についても私なりに考えてみようと思います。

「改善」も「改革」も勿論どちらも重要で、どっちが上位とか本来比較できるものではありません。ただ前回も述べたとおり「改善」の本質は内部の人々の心の問題で、どちらかと言えばソフトの部分の見直しが主体であると思いますが、「改革」はその組織自体や経営資源(ひと・もの・カネ・情報など)といったハード部分の再構築が主体になるものなので、目的から捉えるとかなり明確に区分されると思います。

日本経団連の奥田碩会長は「経営改革とは一言でいうと競争力の強化である」と表現されています。さらに経営改革を実現するためには「組織を再編し、経営資源を高収益部門に効率的且つ重点的に投入することが重要」と説かれています。
また「改革」というと最近すぐ頭に浮かぶのが日産自動車のカルロス・ゴーン氏ですが、氏のように企業再建をかけて、いたみを伴う大改革を実行しなければならない場合も企業経営にはあります。

いずれにしても事業の根幹部分を再構築するという面で、「改革」は事業の永続的な発展をかけて臨む非常に重要な手段であることは間違いありません。


喫茶店が商売を続けられなくなった本当の原因は何でしょう?

それはファミレスやファーストフードといった同業種競合店の出現ではないと思います。時代とともに劇的に変化してきた一般消費者の生活環境が、喫茶店という業態の存在価値を必要としなくなったからではないでしょうか。

世に言う「消費者ニーズの変化」ということです。

おいしい珈琲は家庭でも手軽に味わうことができるようになりました。
モーニングやランチもコンビニやほか弁で十分という時代です。
喫茶店のみならず飲食業全般に言えることですが、以前は飲食専門店でしか得ることができなかった商品やサービスが、違う業種のお店から気軽にリーズナブルにいくらでも手に入る時代になってしまったのです。

私が飲食に携わっていた頃は、従業員にしっかりとした接遇マナーを教育し、掃除の行き届いた清潔で明るい雰囲気を維持して、常連さんを飽きさせないようにメニュー構成(勿論提供するメニューはそこそこいけてるのは当然です)を適宜変更してイメージアップを図る。そんな顧客の立場で常に内部の「改善」に努めていれば競合店に負けることなくある程度は繁盛したものです。

しかし飲食業界ではもう何年も前から「改善」だけでは対応しきれない消費者ニーズの変化が生じていたのです。
そう、その時必要だったのは「改善」ではなく「改革」であり、ある意味いち早くその「改革」に着手してできあがった業態がコーヒー、ライスお代わり自由のファミレスや、24時間年中無休のファーストフード店なのです。

明らかに言えることは、事業経営にとって「改善」は日常的に行うべきものですが、「改革」は機を逃してはならないということです。さらに言えば、日常継続的に「改善」に対する問題意識を持っていなければ、本当に「改革」をしなければならない機を捉える先見力や洞察力といった能力は育まれないのではないかと思うのです。


「改革」には新たな資金やいたみを伴う場合もあります。誰でもどんなことでもできるというわけではありません。従って厳しいですが撤退という「改革」があるのも事実です。いずれにしても機を逃さず、ニーズの変化に対応すべく保有する経営資源を分析して、今できることは何かを綿密に計画し、決定すれば大胆に実行すること、それが「改革」のキーワードではないでしょうか。


「改革」が必要なときにメニューのみを「改善」して業績回復を図ろうとする経営者の方が、実は結構多いことを現場の第一線で業務に当たる会計事務所職員はよく知っているはずです。
そんなとき私たちは経営を支援する立場として、それだけでは何ら状況は変わらないことを明確に進言できる力を身に付けておきたいものです。

2006年8月1日

「改革」と「改善」 Vol.2

「おはようございます!!!」
朝礼時、一人ずつ順番で近所に響き渡る?
くらいの声を張り上げて挨拶しよう

「はい!川崎会計事務所の○○です!」
電話を受けるときは自分の名前を名乗り
責任の所在を明らかにしよう

「わー どうして机の上に何もないんですか?」
(以前事務所見学にいらっしゃった同じTKC会員事務所の方々が
ウチの事務室を見て漏らした言葉です)
帰所時、外出時は机上に何も置かないようにしよう


<週2点改善提案>
これはこのコラムでも熱くご紹介申し上げた、映画『不撓不屈』の主人公
我らが飯塚毅先生が提唱された改善活動のための制度です。

「1年は50週、1週間に2点ずつの改善事項に真剣に取り組めば
1年で100項目の改善が図られることになる。 然らば
あなたの事務所は1年前とは見違えるほどの業務品質の向上を
実現することができますぞ!」

という理路整然としたコンセプトに基づいた、TKC会員事務所の人なら誰もが知っている(はずの)ノウハウです。

飯塚先生を師と仰ぐ我が川崎浩所長は、当然開業当初からこの「週2点改善事項」を導入し、事務所の改善活動として取組んできました。

私が入った頃は当番制で提案していましたが、当時所長を含めて4人しかいなかったので、毎月最低1回は2点ずつの改善提案をしなければならなかったわけで、これがなかなか・・・ネタを探すのが正直プレッシャーに感じる時期もありました。そして・・・

「姿勢を正す」
「あくびをしない」
「自宅で必ず勉強する」
「トイレはちゃんと流す・・・??」

今思えば、確かに苦し紛れに搾り出した改善事項もあったようですが、冒頭に紹介したように、現在でも事務所の特徴として定着している優れた改善事項も多々多々あることは言うまでもありません。

その後、この週2点を10年以上実践して(理論上は1000項目以上の改善を実施・・・あくまで理論上)、さすがにややマンネリの兆しが見え始めた頃
「週2点改善事項」を改善しようという提案が出され、平成7年から「週1点改善事項」として、学校のような注意しましょう的な提案ではなく、実質的な業務改善につながる提案を心がけましょうということになりました。その後平成12年に取得したISO9001の「予防処置」という規格とタイアップさせるかたちで「予防・改善提案事項」と名称を変え、現在は持ち回りの当番制ではなく、いつでも誰でも気付いたときに、事務所イントラネットの掲示板に投稿するという方法で、私が管理責任者となって継続しています。

事務所を見渡しながら思い返してみると、現在我々が実際業務で使用している各種報告書やチェックリスト、またファイルやOA機器といったハード的なものから、業務の手順や運用方法、また所内のルール、ビジネスマナーといったソフト的な部分まで、この改善活動によって提案検討され、導入、運用、定着してきたものばかりだなと、コラムを進めながら今さらながらに感心してしまいました。

そんな事務所の改善活動で先日ちょっとしたハプニングがありました。

毎月定例で行っている監査課会議で、監査課長が部下に向かって一喝
「これだけ言ってるのに何故改善提案が出てこないんだ!
いい加減バカにしてんのかって言いたくなるぞ!
(心の中では叫んでます『ふざけんなこのヤロー!』)」

実は内々のことでまことにお恥ずかしい話なのですが、この4月辺りから改善の提案件数が極端に減ってしまっていたのです。事実4月~6月の3ヶ月間で提案はたったの5件、内3件は監査課長からという有様でした。この状況を危惧していた彼は、毎月皆に向かってもっと提案するように呼びかけていたのですが、その反応の鈍さにとうとう堪忍袋の緒が切れたというわけです。

彼は更に続けました
「関与先がどうとか忙しいとかは別の話だ。事務所の業務品質を維持するために、絶対に改善を忘れてはいけない。改善は続けなきゃいけないんだ!」


改善活動を行う真の目的は、提案された内容云々の良し悪しではなく、組織の一員として常に問題意識を持って「動く・見る・聞く・話す」ことができる人間力の研鑽にあると思うのです。

今、あなたが目の前で携わっている業務。ルーティン化され、そういうものだと何の疑問も持たずに日常こなしていることって結構多くないですか?

本当にそれがもっとも効果的なやり方でしょうか・・・
本当にそれ自体必要不可欠な業務でしょうか・・・

単純に素朴な疑問を持つ力はありますか?

この力を私たちは『気づき』と呼んでいます。
組織における改善活動は、この『気づき』を培うための訓練なのです。
日常における『気づき』の訓練は、その意識が自分、仲間、顧客、業界、社会へと向く目を養います。
そしてそれは洞察力、分析力、先見力といったビジネスマンに必要な能力の培養へと発展していくのです。
『気づき』の能力の高い人材が集まる組織は確実に伸びます。

だから組織にとって『改善』を続ける意識こそが重要なのです。


同僚の私が言うのもなんですが、ウチの監査課長はかなり優秀です。
勿論今回も所長や私と打合せをして発破をかけたのではありません。
彼はこの改善活動の意味を分かっているから自ら訴えたのです。

彼が皆に本当に言いたかったことは
「思考を停止するな」
「問題意識を持て」
「気づきを発揮せよ」
だったのだと私は思っています。

皆さんの組織には改善のための仕組みはできあがっていますか?



<PS>
このコラムへのコメントが、なにやら面倒な登録をしなければ
できない設定になっていたようです。大変失礼いたしました。

今回、直接コメントできるように変更しました。
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実名、ハンドルネーム(その他にチェックマークを入れると
名前の入力ができます)または匿名でも何でも構いません。
皆様のご意見、激励、叱咤、激励、ご要望、激励を
楽しみにお待ちしています。

2006年7月17日

人を動かす

「よっしゃー!」
「ばんかいー!」
「絶対とるよー!」


パートナーと互いに声を掛け合い、気力を全面に出して挑んだ最後の大会
どしゃ降りの雨の中、健闘むなしく娘の中学ソフトテニス部での3年間は
県大会2回戦で敗退し幕を閉じた。

試合に負けた悔しさだけではない感慨が溢れ出した娘たち
人目をはばからずに全員が抱き合って声を上げて泣いている

ずぶぬれになりながら声をからして最後まで応援してくれた後輩たち
日焼けした顔の前で祈るように組んだ手を震わせながら涙を浮かべる

大会を通して初めて応援に来てくれた先生方や同窓生たち
惜しみない拍手と労いの声援を途切れることなく送り続けている


最近すっかり涙腺が弱くなってしまったスポーツばかの親父は
そんな光景を遠目に見ながら、これまでの娘たちの変遷を思い返し
不覚にも込み上げてくるものを抑えることができなかった。

「本当に よくここまできた・・・」



ウチの娘は小学校の頃から私ら夫婦の影響で硬式テニスをやっていて、その硬式テニス部がない中学でソフトテニス部に入り、硬軟二足のわらじを並行してきました。

硬式一本でやらせた方が良いという周囲の声もあり、彼女自身もどうするか迷っていたのですが、私は学生時代の部活での経験はとても貴重な財産になると信じていたので、中学入学と同時に敢えてそうすることを勧めました。

しかし…

当時娘が入部した女子ソフトテニス部は周囲から「弱小女テニ」とレッテルを貼られ、顧問の先生は素人同然、部員も気晴らしでやっているような子が多く、正直とても大会で勝ち進めるようなレベルではありませんでした。と言うより、それを目指して活動している部ではありませんでした。

加えて中学生という多感な時期、統制力のない部内では個性的な子ども同士の対立、はたまた顧問との対立、何かと問題を起こしては親まで呼び出される始末。一時は活動禁止なんて時期もあって「この経験は貴重な財産?」と予想以上にあきれてしまう状態でした。

私はせめて「自分のために自分一人になっても練習だけはきっちりやりなさい!」と諭し続けるしかありませんでした。 半ば諦めてはいましたが・・・


ところが彼女はそんな私の後退した気持ちを見事に裏切ってくれました。

昨年夏の市中大会、2年生ペアで唯一団体戦のメンバーに選ばれ試合に臨んだ彼女は、初戦でチームが負けたとき、平然としている3年生の傍らでラケットを何度も地面に叩きつけ一人泣いていました。

私たち親にとっては何ら珍しいことではありません。彼女は小学生のときから試合に負けて平気な顔をしていたことなど一度もなく、試合に負けることは彼女にとって決して当たり前のことではなかったからです。
私の目には「何故泣いてるの?」みたいな表情で突っ立っている回りの連中の方が奇異に見えました。

しかしそんな彼女の姿は、仲間の意識を徐々に変えていったようです。

このとき泣いている娘に声をかける子はほとんどいなかったのですが、その数ヵ月後、彼女らが主軸となった秋の新人戦で敗退したときは、相変わらず泣き崩れる娘の元に2年生全員が駆け寄り、抱きかかえるようにして声をかけ、一緒に涙を流す子もいたのです。

そしてこの頃から彼女たちの様子は明らかに変わっていきました。

娘が自主的に行っていた早朝練習では、初めのうち仲のいい部長の子と二人だけだったのが、いつの間にかチームメイト全員が毎日欠かさず出てくるようになり、大会や練習試合が終わると必ずミーティングを行って課題を確認しあうようになり、私らが送迎する車の中での会話も、お笑い番組の話からテニスの話へと変わり、試合に負けた悔しさをみんなが当然のように表すようになりました。もう彼女らにとって試合に負けることは当たり前ではなく、勝つことが目標になっていたのです。

娘のテニスに対する姿勢は無意識のうちに他のメンバーを「もっと上手くなりたい」「勝ちたい」という方向に動かし、その一つになった彼女たちの気持ちが学校や親までも動かして、みんなが強烈にバックアップせずにはいられない状況になっていました。

クラブ登録をして外部コーチを招へいし、ナイター練習や他校との練習試合も頻繁に行うようになり、最終学年となったこの4月からは、何とテニスの心得があるということで、私と家内までもがコーチがいないときの練習を見てやって欲しいと学校から要請されました。

ほんの数回でしたが、実際にコート上で、彼女たちの純粋で真剣な眼差しと向き合ってしまった私はもうだめです。この子たちを何とか勝たせてあげたいと本気で思うようになっていました。


「人が人を動かす」のはうまい言葉でもテクニックでもない
どれだけ純粋な情熱を持って、どれだけ真剣に打ち込んでいるか
私は娘にこのことを今さらながらに再認識させられました


そして6月悲願の県大会出場を目標に迎えた最後の中学総体

その市中大会は4校による予選リーグを苦戦しながら何とか突破、決勝トーナメントでは運も味方して準決勝まで勝ち進み、何と総合3位で中信大会進出。

翌週行われた中信大会ではすっかり勢いに乗って、またまたびっくり今度は何と決勝進出。その決勝の相手は先週市中準決勝で敗れた県No1の強豪校。娘たちはリベンジを果たそうと最後まで懸命にくらいつきましたが、残念ながらあと一歩及ばず惜敗。

しかししかし、学校中がひっくり返る中信大会準優勝という堂々たる成績で、「弱小女テニ」は十数年ぶりとなる県大会団体戦出場を果したのです。

私が何より嬉しかったのは、彼女たちがこの中学最後の大会で、部活を通して得た素晴らしい仲間と一緒に、初めて歓喜の涙を流す経験ができたということでした。



娘のダブルスのパートナーで、女テニ最強の問題児と言われてきた子のお母さんが、県大会最後の試合を見届けたその足で私ら夫婦のもとに歩み寄り、涙ながらに話してくれました。

「最初は退屈しのぎに始めたと言ってたのに、まさかここまで来るなんて思いもしませんでした。一時は学校にも行きたくないと言っていたあの子が、グッピー(ウチの娘の愛称です)とがんばりたいって一生懸命やり出して、家でも毎日のようにテニスの話をしてくれて、もう嬉しくて嬉しくて・・・何てお礼を言ったらいいか… 本当に娘さんのおかげです! ありがとうございました!」

私は返しました

「お宅の娘さんは素晴らしい孝行娘ですね
これだけ私たちを感動させてくれたんだから・・・
お母さんも胸を張って 帰ったら褒めてあげて下さい
今日のプレーは最高だった! 本当によく頑張ったねって・・・」

心の中で私は自分の娘にも同じ言葉をかけていました

2006年7月9日

昨日ある方のお葬式に参列してきました。
亡くなったのは私にバーテンのイロハを教えてくれた
パブハウス「やね裏」の初代マスターだった方です。
まだ61歳という若さでしたが4年前に食道ガンを患い
厳しい闘病生活の末、無念にも帰らぬ人となってしまいました。


「やね裏」というのは松本駅前のらせん階段で有名なビルの3階にあったパブです。私は20歳から約2年間「よっちゃん」の愛称で親しまれ勤めさせていただきました。

当時世間はバブルに向かう絶頂期、ちょうどカラオケとか居酒屋なんかがあちこちに出始めた頃、今と違ってとにかく夜の街は活気がありました。
「やね裏」も例外にもれずとても忙しく盛ってましたから、40代50代の方々の中には「あーあの店」と懐かしく思われる方(あんたあの「よっちゃん」だったの?ってびっくりしてる方)が結構いるかもしれません。

現役の頃から私を息子のように可愛がってくれて、店では水商売のノウハウを叩き込んでくれた亡きマスターは、酔っぱらいのやかましい客が来ると厨房にこもって包丁を研ぎ出すという男気?にあふれ、破天荒とか野放図という言葉がよく似合う人でした。山が大好きで採ってきた山菜やきのこを店のお客さんに半ば強制的に食させ、グラスを傾けながら満足そうに薀蓄を語る姿が思い出されます。一方で「またぎ」という顔も持っており、冬になると雪深い山中に出かけ、シカやシシそれにクマなんかも猟銃担いで追っかけ回していました。私たちスタッフもシカ刺しやシシ鍋という珍味をご馳走になりながら猟の武勇伝をよく聞いたものです。

そんなマスターとの惜別の場で私はとても貴重なことを思い知らされました。

会葬者に挨拶をしていた奥さんが私を見つけると「よっちゃん!」とだけ言って、それまで気丈に振舞っていた姿から一転、私の腕をつかんでポロポロと涙を流しました。奥さんは当時店の厨房をやっていてマスターを助け、スタッフのまかないも毎晩手料理で用意してくれて、私たちが今でも親しみを込めて「母さん」と呼ぶとても素敵な方です。

そしてやはり当時お店のスタッフだったマスターの弟さんが、久々の再会で握手をしたその私の手を引いて控え室のご親族の前に導き「おい!よっちゃんだよ!」と皆に声をかけました。するともう25年以上ご無沙汰していたマスターのお母様やお姉さん夫婦、それに弟さんの奥さんが、口々に「ああよっちゃん」「よくきてくれたねエ」と、こちらが感激するほど喜んでくれるのです。
お姉さんは松本の有名な菓子処のおかみさんです。「弟夫婦はいつもよっちゃんはどうしてるかなぁって言ってたんだよ」と目頭を押さえます。「毎年の年賀状でよっちゃん家のことは手に取るように分かってたよ。いつもありがとね」若い頃と同じおっとりした口調で弟さんの奥さんが話してくれます。

ご家族だけではありません。「あの人どうしてるかな?」と思っていた旧知の常連さんたちが葬儀に駆けつけていて、一様に皆「おお!よっちゃん元気?」と肩を叩いてあの頃と変わらない声をかけてくれるのです。

私は思いました
『ああ マスターの魂がこの人たちとの縁をまた繋いでくれているんだな』

さらに思いました
『どんな人とでもたとえわずかでも正直に誠実に接しないといけないな』

若僧だった私は決して従順で素直だったわけではありません。
しかし「やね裏」というお店が好きで毎日真剣に仕事をしていました。
納得できないことはマスターや先輩にも正直にぶつけました。
しかし彼らに対し、お客様に対し礼儀を欠くことはしませんでした。
辞めるときも半年前にマスターの自宅に伺ってご家族全員の前で
納得していただくまで話をしました。


自分の生き方一つで人との縁は良くも悪くもなるものだと思います。
何より、いついかなるときでも胸を張ってその人の前に立てること
それは「今」「ここ」で「自分」がどう生きているかで決まります。
家族を思い、仕事を思い、誠実に堂々と生きているそのオーラが
何気なく生じた縁を、揺るぎない縁に昇華させていくのだと思います。
そして揺るぎない縁は、人生をより豊かなものにしてくれると確信します。


『マスター あなたが繋ぎとめてくれたこの素晴らしい人々との縁と
あなたの魂の教えに感謝し、心よりご冥福をお祈りします。
今まで本当にありがとうございました! どうか安らかに・・・』


(「改革」と「改善」Vol.2はまたの機会に)

2006年7月2日

「改革」と「改善」 Vol.1

「さて寝るとするか」と思う時間にワールドカップの試合が始まって
「おーっ!○○VS○○かー」ってよせばいいのに見出してしまい
気がつけば毎晩深夜の2時3時
皆さんも寝不足の日々が続いていることでしょうが・・・私もです・・・

せめて試合がオフの日は早く寝ようと思っていると
「おーっ!ウィンブルドン始まったかー
あら?シャラポアじゃないの♪♪
今日のコスチューム・・・いやいや対戦相手は?
ウーンやっぱりウィンブルドンだけあって地味・・・
違う違う中々の好カードじゃないの
これは見ないといかんな・・・」

真夜中にわけの分からん独り言をつぶやきながら
哀れ中年男の寝不足はなかなか解消しないのです


さて今回のワールドカップはいわゆる強国が勝ち進み、サッカーファンにとってはたまらない戦況となりましたが、私がもう一つ楽しみにしているのは、各国の隠れた素晴らしい選手を発見することなんです。

今回の私の一押しはオランダのファンベルシー、イングランドのジョーコール、フランスのリべリーあたりですが、彼らのハイレベルでありながらもひたむきなプレーに注目していると、ロナウジーニョやベッカム、ジダンといったビッグネームのプレーとはまた違った驚きと感動を与えてくれて、単なる勝敗だけではないサッカーのおもしろさを十分楽しむことができますよ。

日本は残念ながらグループリーグで敗退してしまいましたが、それにしても世界のレベルはやっぱり凄まじいものです。日本との決定的な違いは技術的にはシュートの精度、ファーストタッチの正確さって感じですが、やはり何と言っても一番強く感じるのは選手のファイティングスピリッツの違いですかね・・・

まあ日本代表については個人的に思うことも多々ありますが、色んなところで色んな人が色んなことを言ってるので、素人の私がここで色々語るのはやめておきます。


ところで、代表監督がジーコからオシムに変わるそうです。これはチームにとっては大きな「改革」ですが、プロスポーツの世界では次代の新しいチームを創るためとか成績不振なんかも含めて、この監督交代という「改革」は結構当たり前のように行われます。

ビジネスの世界に置き換えるとこれは経営者の交代ですから、特に我々が普段一番お付き合いしている中小零細企業にとってこのような「改革」はそうそう容易にできるものではありませんよね。
しかし「経営改革」とか「経営改善」という言葉は最近どんなところでも結構頻繁に使われています。

皆さんはこの「改革」と「改善」しっかり使い分けてらっしゃいますか?

通常「改革」とは、方針、組織、制度といったものを今までにない新しいもの、より良いものに変更して新たな企業価値を生み出そうという意味で使われます。また「改善」とは、現在稼動している基本的な仕組みや構造の中で、十分機能していない部分や停滞或いは劣化している部分を改良して業務品質の更なるレベルアップ、スケールアップを図ろうという意味で使われます。

二つ並べられるとイメージ的には何となく「改革」の方が上位にあるように感じますが、実は企業にとって重要なのは「改善」これを継続的に行うことだと私は思っています。

次回、ウチの事務所が長年に亘り取り組んできた改善活動をご紹介しながら
「改善」の重要性に更に突っ込んでみたいと思います。


PS:映画「不撓不屈」大好評上映中! 鑑賞されたお客様から絶賛の声が届いています。まだご覧になっていない皆さん閉幕までもう一週間ありません!(7月7日まで)是非アイシティーにお運びを!

2006年6月1日

許せぬ奴ら

ドイツワールドカップ開幕という心躍る時期に
ちょっと重い話で恐縮ですが
どうしても触れておきたい話題なので・・・

ここのところ毎日世の中を騒がせている秋田県の小学1年生米山豪憲君殺害事件。容疑者の女性は同じ団地に住み、そのわずか一月前に自身の長女を(今のところ事故で)亡くしたばかりとか・・・。しかしほとんど食事も作らなかったといい、テレビのニュースにやたら登場するジャージ姿やその態度を見ていると、本当にため息もので思います「母親になれないどうしようもない大人がまたやってしまった」と・・・

昨年11月から今年2月のたった4ヶ月間に、奈良、広島、栃木3県で、これもすべて小学1年生の女の子が下校途中に連れ去られ命を奪われました。

奈良の犯人は、今から20年近く前の連続幼女誘拐殺人事件で4人の女児を殺害して死刑になった、あの宮崎勤と風貌がダブる小林薫という見ているだけでむかつく男。広島は何とかヤギとかいうペルー人で、こいつはペルーでも女児への性犯罪で3回も告発されているというではないか・・・
まったく何しに日本に来たんだバカヤロー!

当然ながら死刑となったこの二人の男は、ともに30代で過去に性犯罪暦を持つという。大人の女性とうまく関係を持てないことが原因か、抵抗できない幼いこどもを誘拐、強制猥褻のうえ殺害するなんて、冗談じゃないけどテメーらが死んだところで誰一人納得できるものではない! 

更に、昨年12月に茨城の山林で遺体で見つかった栃木県今市市の吉田有希ちゃんを誘拐殺害した犯人に至っては、半年たった今もまだ発見されていない。お父様の手記を読ませてもらいましたが、同じ子どもを持つ親として何とも身に詰まされる思いがする。一日も早くこの憎むべき犯人が逮捕されることを祈りたい。

どれも東京、大阪といった大都会ではなく、どちらかといえば田舎という代名詞が似合う地方で起こった事件です。昔ながらの近所付合いとか暖かい人間関係みたいなものがまだまだ残っていて欲しいところだけに、同じ田舎の信州に住む私としては、このような卑劣極まりない事件が起こってしまうという現実に、憤りと同時に言い知れない落胆の気持ちが湧き起こってきます。


最近のこういった事件を目の当たりにしていつも不思議に思うことがあります。こいつらを育てた親は一体どこで何をして、自分の子どもが犯した罪をどう考えているのでしょうか。こんなバカな人間に育ててしまった親に、何故もっと責任を問うという風潮にならないのでしょうか。

経済的に豊かになって物質的には何一つ我慢することのない家庭環境で生活できるようになった現代、その表裏に子どものしたいように何でもさせてあげる、欲しいものは何でも与えるという親の過保護がさまざまな歪を生み出しているように思えて仕方ありません。

私の周りにも実際結構いますが、子どもが不登校やニートになったとしたら、まず親の責任であることを自覚し、今まで自分は彼らにどう向き合ってきたかを深く考え、子どもと正面から腹を割って話し合い、一日も早く通常の精神状態を取り戻すための努力をすべきなのに、こういった子どもの親ほどその原因が社会や学校や友達にあると周囲に対する愚痴をこぼし「こんな世間だから仕方ない、そのうち何とかなるだろう」などと金と物だけ与えてよしとする。もっとひどくなると、下手に子どもを外に出してそれこそ犯罪でも起こされたらたまらんなんて本気で考えてる親までいる。いい歳した子どもを教育し導くこともできずに自分の子どもに気を遣って生きているそんなふざけた親がどんどん増殖しているのだから日本各地でこんな信じられない事件が頻発するのが必然とさえ感じてしまいます。

先日2年前に長崎佐世保市で起きた小学6年生女児同級生殺害事件の加害女児の両親が手記を公表しました。中で「家庭では普通に親子の会話をしているつもりだった」「いくら考えても答え(事件の原因)はみつからない」と述べています。が、映画「バトルロワイヤル」が大好きだったという小学6年の娘の普段の言動に、何も気付きがなかった親としての未熟さがこの事件を引き起こした原因と言えるのではないでしょうか。その表情や行動、考え方に少しでも普通ではない感覚があることを察し娘を注視することができれば、もしかしたら娘に犯罪を起こさせなくてすんだかもしれません。

マスコミからの要請があったとはいえ加害者の親が手記を公表したのは初めてということです。しかし本当はこのように事件の加害者自身を形成する基となった家庭、その親にもっと焦点を向け、場合によっては具体的な責任問題を問うべきであり、またそういった情報から我がこととして自身の家庭、親子関係のあり方を考え直し身を正すということを繰り返し啓蒙していくことが必要ではないでしょうか。本当に“許せぬ奴ら”は誰なのか、それを自覚することこそが重要だと私は思うのです。

2006年5月16日

乗鞍高原に行こう!

旧安曇村“乗鞍高原”と本格的に付き合い始めたのは今から20年以上前
きっかけは、私がバーテンダーをしていたときのバンド仲間からの一言
「弟が乗鞍でペンションを開業するので頼む」という紹介からでした。


その後そのペンションのオーナーから現地のお仲間を紹介していただくなどして、多いときで15件以上、現在でも10件以上の事業者の方々とお付き合いさせていただき、私ともう一人のスタッフが手分けして毎月巡回監査にお邪魔しています。


乗鞍といえば・・・
「キャー可愛いー」「ステキー」などと世にいうペンションブームにあおられて、当時アンノン族(死語ですか?)と呼ばれていた若いお嬢さん方が雑誌片手に闊歩し、はたまた「ここの雪はパウダースノーで最高!」と多くのスキー客の支持を得るなど、夏は避暑地、冬はスキー場の穴場として大いに賑わいを見せていた観光地です。

ただここ数年、そんな乗鞍高原がとても静かになってしまいました。
ペンションブームの終結、若者のスキー離れ、旅行に対する消費者ニーズの変化・・・。地元ではマイカー規制や自然災害が痛いという声もよく耳に入ってきます。確かに外的な環境変化を中心にいろいろな要因があると思います。


しかし今、もう一度この乗鞍の大自然を見直して、世の人々にその良さを分かってもらおう、いや体感してもらおうという動きが起きはじめています。

もう何年も前から8月の最終週末に乗鞍エコーラインをコースに行われている『全日本マウンテンサイクリングin乗鞍』は毎年3000名の定員をオーバーする人気イベントとして定着していますが、最近は一般市民にも広く浸透している「ランニング&ウォーキング」のイベントも盛んに行われるようになっているのです。

6月17・18日 『RUN&WALKin乗鞍』
 http://run-walk.jp/norikura.htm

6月24・25日 『信州乗鞍天空マラソン』 
 http://www.norikura.gr.jp/tenkuu/index.html

天空マラソンにはあの「千葉ちゃん」でおなじみの千葉真子がゲストランナーとして参加するそうですが、先日コースの下見で乗鞍に訪れた千葉ちゃんが誌面上で「マラソンの高地トレーニングには最適な環境!」と絶賛していましたね。


上高地や白骨とセットで案内されることが多かった乗鞍高原
「ミニスカートやハイヒールのまま標高3000mの雲上ドライブ」などとちょっとミーハーなイメージが先行してしまった現地では、マイカーを規制し、壮大で美しい自然環境を取り戻し、乗鞍本来の姿を皆さんに知ってもらおうと再び動き出しています。

実は私もこの5月から6月にかけての新緑のシーズンが最も好きな季節です。しかもよく晴れた日より小雨模様の日のあの襲いかかってくるような山の緑は皆さんにも是非一度経験してもらいたい! 本当に圧倒されますよ。


何となく近くて遠い印象をお持ちだったかもしれない信州の皆さん、新緑の今の乗鞍高原を走って、いや歩いてみませんか?一声かければ現地の方々が素晴らしい散策コースをきっと教えてくれます。

本当に近くにこんなすごいところがあったんだと感動を与えてくれる故郷
乗鞍高原に行きましょう!





   

2006年5月1日

持ち味 "own special ability"

このGW、サッカー命の次男(高2)の応援で北陸上越地方を延べ500km以上走行してきました。
それにしても近くなったものです。新潟の新発田市まで3時間ですよ!ホント信じられませんね。


新潟での試合を終えた夜、足を引きずりながら帰宅した息子が風呂から上がって「僕には何が足りない?」と焦点の合わない視線でポツリと呟きました。

県内では結構レベルが高く総勢約70名のサッカー部員を持つ私立高校にサッカーをするために進学し、そこで自身の集大成の時期に突入しようとしている彼は、現在Aチーム(ベンチ入25名)とBチームの狭間にいます。そんな高校なので同僚はほとんどが中学時代10番を背負っていたような能力の高いメンバー揃い、しかも彼のポジションは20名近くが登録する熾烈なFW、ベンチ入りを許されるのは4名(厳しい厳しい)
今回は何とか遠征メンバーに入り途中交代で後半出場したものの、少ないチャンスでアピールしようという焦りからか結果が出せず考え込んでしまったようです。


「お前の持ち味は何?」 暫く間をおいて逆に問いかけました。

「持ち味?・・・うーん・・・」 なかなか言葉が出てきません。

「トップ下をやっていたスポ小の時は『タッチのやわらかさ』だったよな? フォワードになった中学の時は『ポジショニングの良さ』だった。その時々でお前には周囲も認める持ち味があったはずだ。今はどんなプレーをしようとしてるのか、あるいはどんなプレーに自信を持ってるのかハッキリ見えてる?」

「・・・とにかくどんな形でもいいから・・・点をとるプレー・・・しようと・・・」

「お父さんはサッカーの指導者じゃないから専門的なことは分からないけど『これがオレの持ち味だ!』っていうプレーを常に追求している選手は確実に強いと思うよ。今日の試合みてても確かにみんな能力が高いのは分かる、ただ似たようなタイプのフォワードばっかりに見えるんだ。もしみんなが同じプレースタイルだったらより速くてより上手い奴ってことになるだろう?でも、それで本当に強いチームになるかどうかは疑問だな。しかもお前はその速さや上手さで連中に勝たなきゃいけないと思ってるんじゃないか?」

「・・・・・・」

「お父さんたちの仕事の世界でも同じだよ。例えばたくさんの会計事務所の中からお客さんは何かを基準にしてお付き合いする事務所を選ぶわけだ。もしどこも似たような仕事をしていたら、より安いとかより簡単なんて基準で選ぶことになる。そんな基準で選ばれる事務所は残念ながら交代要員がいくらでもいるBチームの会計事務所なんだよ。逆に『ウチはこの分野では絶対に負けません!』っていう持ち味があれば、それを必要とするお客さんがきっと選んでくれる。当然こちらもいい加減な仕事はできないから常に精進して更に力を伸ばす努力をする。そうすればそのお客さんにとってなくてならないAチームの会計事務所になる。スマップの歌じゃないけど“ナンバーワン”じゃなくて“オンリーワン”になることがほんとに大事なんだよ。
今のお前は目先の結果に捉われてその大事なトコロを見失ってるような気がする。今年1年、お前にしかできないお前らしいプレーを追っかけてみたらどうだ。そしてその自分の持ち味がはっきりしたらそれを磨くための鍛錬を徹底的にやってみろ。そうすればお前はきっとチームにとって必要な存在になるはずだ!お父さんはそう思う・・・ どうだ?」

「・・・お父さん・・・腹へった・・・」 

「おーおーわりーな! いつも話が長くて!」

どんぶり飯2杯をたいらげた息子は「おやすみ!」と力のある視線で一言いって2階に上がって行きました。

目が死んでたのは腹がへってたせいかい! ま、いいか・・・
ガンバレ! ガンバレ!

2006年4月23日

分相応

♪逢いたくてー 逢ーいたくてー この胸の囁きがー♪ 

スターダストレビューの素敵な曲に乗せて
石田ゆり子が色っぽく囁きかける
「女房酔わせてどうするつもり・・・?」
ウーン いいですねー 

このCMが流れるたびに

あおっていた酎ハイの氷をくゆらせながら
ウチのカミさんがとなりで呪文をとなえる
「女房酔わせてどうするつもりーッ?!えーッ?どうするつもりー?!」
ウーン 怖いですよー 我が家は・・・


人にはそれぞれ「分相応」というものがある、と思います。
分相応を辞典で引くと「身分や能力に相応なこと 相応(ふさわ)しいこと」
とあります。まあ、自分にはできるできないとか(石田ゆり子だから)似合う
(?さんだから)似合わない とか・・・ 
?さんに限らず、悲しいかな実社会ではこういった分相応を思い知らされるときが確実にあります。


このコラムも頻繁に更新しますと言っておきながら1ヶ月経ってしまいました。
言いわけですが、ここのところ私にとっては結構ボリュームのある仕事が重なって、久しぶりに毎日追われていました。

実はある顧客の社長さんからの紹介で、近い将来上場を目指している企業
さんとお付き合いすることになりました。そしていきなりその企業さんの
決算申告に携わることになったのです。その企業さんは年商、社員数とも
当然私が今まで担当した顧客の遥か上をいく規模で、おまけに税効果、
退職給付、連結納税といった恥ずかしながら私にとっては机上の知識で
しかない処理を当たり前に適用するという決算です。 
正直「分不相応だなぁ・・」とへこみました。

おそらく皆さんは「プロなんだから当然何でも知ってるでしょ?できるでしょ?」
とおっしゃるでしょう。誤解を恐れずに申しますと、確かに税法でも
会計基準でも毎年というくらい改正されるので一応の勉強は継続して
やってますが、やっぱり「実務に勝るものなし!」なんですよ。
いくら理屈や知識だけ勉強しても、実務で経験して使いこなせなければ
何の意味もないのです。事件は会議室で起こっているのではなくて現場で
起こっているのです! (く・・くどい)


しかしこの企業さんのおかげで改めて実感したことがあります。
分相応の「分」っていうのはいつまでも同じではない
自分の生きかた一つで間違いなく「分」の幅を広げられるってことです。

先月から今月にかけて週末を使って自分の知識の足りない部分を補うために
猛勉強しましたが、その企業さんの実務データを見ながら、同時に私も
逃げられないという状況でしたから、その理解と吸収はよくある研修会どころ
の比ではありませんでした。
後で考えるとびっくりしますよ、昨日までできないと思っていたことが
自分の姿勢一つでできるようになってしまうんですから。


普段仕事や日常生活で、自分にはちょっと荷が重いなと思うことから結構逃げてしまうことはありませんか? そうできれば確かに楽ですよね。
でもいつもこれをやっていると自分の「分相応」はいつまでもそのまま・・・
ひょっとしたら、か細く寂しいままの「分」で終わってしまうかもしれません。

年齢に関係なく「ちょっと無理かな」と思うことに敢えてチャレンジすることで
「分」の懐が深くなり、人間的な魅力もグッとアップするような気がします。
エネルギーは必要ですがとても重要なことかもしれませんね。
今回このことを思い起こさせてくれた企業さん(特に経理担当のIさん)に
ただただ感謝です。これからもよろしくお願いします!


<追伸>
話はぜんぜん違いますが前回まで紹介した映画『不撓不屈』の続報です
6月17日から7月7日(あれ?ウチの所長の誕生日?)まで
アイシティシネマで公開が決定しました(ヤッター!)
奥様の買物の待ち時間を利用して是非是非ご覧になって下さい!

2006年3月23日

『不撓不屈』 Vol.2

初めに・・・
何でもこのコーナーがブログになったそうです。
うちの優秀?なITスタッフが、コラムを見ていただいた方から気軽にご意見を頂戴できるようにしようと、こっちがひるむようなことを勝手に考えてちょこちょこっと細工したようです。
しかし、こうなってしまったからにはできるだけ頻繁に更新しようと思いますので、皆様のご意見、ご批判、ご質問、何でも構いません。もの申したい方はどうぞご自由に遊びに来て下さい。

さて、本題に入りましょう。我らが飯塚毅会長のドキュメンタリー映画 『不撓不屈』の第2弾です。
この映画を見る前にぜひ皆さんに知っておいてただきたい事件があります。
それがこのストーリーの焦点となった「飯塚事件」です。


1963年(昭和38年)「飯塚事件」勃発
当時飯塚事務所が関与先企業に対して節税対策の一環として指導していた「別段賞与」(現在でいう決算賞与)が、企業にとって都合のよい脱税手法になっていると目を付けた税務当局は、顧問である飯塚事務所が間違いなく脱税幇助をしていると決め付け、立入調査を敢行するなどその証拠探しに躍起になった。そのあまりに理不尽な追求ぶりに飯塚は税務訴訟を起こしたが、税務当局は「一介の税理士が何様のつもりだ?」と飯塚を呼びつけ、訴訟の取り下げを慫慂する。しかし「税理士業務は法律業務である」を貫く飯塚はこれを断固拒否。憤る東京国税局は異議申し立てに至り、ここから飯塚毅と国税との税務訴訟史上類を見ない通称「飯塚事件」が幕を開ける。
ちょうど税理士の弱体化を狙う税理士法改正を控えていた当時、税務署の顔色を窺う税理士が多い中、税務当局にとって厄介な存在の飯塚は見せしめにすべき格好の標的となった。
「叩いてほこりの出ない奴などいない!ケガ人が出ても構わん、徹底的にやれ!」時の関東信越国税局直税部長安井誠の号令のもと、国税当局は総力を挙げて飯塚事務所とその関与先企業に対して「初めに殺意ありき!」の弾圧的徹底調査を開始した。
しかし創業以来、「事実をして真実を悟らしめよ」「一円の取りすぎもなく、一円の取り足らざる税金なかるべし」を信念とする飯塚の厳格な業務基準を遂行する事務所からは、決め手となる物的証拠は塵一つとして発見されない。
敗訴すると権威を失墜する国税当局は、明らかな焦燥感を抱きつつ関与先企業への半ば脅迫的な調査を続け、関係者に飯塚事務所にとって不利な証言を強要する。そして遂に耐え切れなくなった一経営者の虚偽証言から職員4名が脱税幇助の濡れ衣を着せられ逮捕される。顧客は次々と契約解除を求め、先輩税理士は「白旗を揚げよ」と勧める。周囲への配慮から一人郊外のホテルに身を潜め苦悩する飯塚だが、彼を信じ通す妻、息子、娘、父、母との家族愛、そして彼と彼の職員との信頼関係が最後まで国家権力に屈しない「法律業務に徹する」税理士飯塚を支える。こうして「飯塚事件」は政界、マスコミを巻き込んで、7年間という歳月を費やす徹底弾圧闘争へと拡大していった・・・(敬称略)


『不撓不屈』は、この「飯塚事件」を中心に展開する映画ですが、勿論裁判の勝敗がテーマではありません。飯塚会長は家庭・社会・国家それぞれの相関関係の中で、適正な金銭流通こそが「幸福の礎」となる。だから税理士は強い倫理責任を持って公正な金銭監理業務を遂行し、課税の公平と租税正義を実現することが使命であると確信して、その税理士としての使命と責任を全うするために国家権力と真っ向から闘ったのです。

私はこの映画を通して皆さんに飯塚毅という人物、そしてその男が立ち上げたTKCの理念を是非知っていただきたいのです。税理士に仕事を依頼している人は絶対に見るべきです。きっと税理士とか会計事務所に対する見方が変わります。それはあなた、そしてあなたの経営する企業にとって間違いなくプラスの変化になるはずです。

このチャンスを見逃すことは皆さんにとって大きな損失ですよ。因みにうちで前売券(1,300円)が手配できますのでご希望の方はお問い合わせ下さい。
(勿論うちの顧客の皆様には無償で提供させていただきますので)
それでは6月の封切りを楽しみに!

2006年3月15日

『不撓不屈』 Vol.1

皆さん、今年6月下旬に角川ヘラルド映画から全国一斉ロードショーされる『不撓不屈』という映画をご存知ですか・・・?
「何それ?」って声があちこちから聞こえてきそうですが、今回は、この『不撓不屈』の強烈なアピールと半ば脅迫的な鑑賞勧誘をさせていただきます! 

まず、つかみは豪華なメインキャストから・・・
滝田 栄 松坂慶子 三田村邦彦 中村梅雀 北村和夫 夏八木 勲 etc

いや どうですか?  なかなか渋いでしょう?

そしてスタッフは ・・・
監督 : 森川時久  「次郎物語」「きみが輝くとき」「若者たち」など
撮影 : 長沼六男  「男はつらいよ」「魚影の群れ」「座頭市」など
音楽 : 服部克久  「連合艦隊」「長江」など

この面々を見て 「ほぉ…それでどんな映画なの?」 と興味を持ったあなた! あなたは間違いなく一流の映画通です!  さすが! 分かってらっしゃる。と言っても、私が個人的に松坂慶子の隠れファンだとか、単にストーリーが素晴らしいとかそういうことで強烈にこの映画をご紹介したいわけではないのです。
 
実はこの映画、私どもが加盟しているTKC全国会の飯塚 毅初代会長のドキュメンタリーなのです。惜しまれつつ2004年に他界されましたが、我らが飯塚会長が何と今回映画になって蘇るんですぅ!嬉しい!これは嬉しい!

「何一人で興奮してるの?」とお思いでしょうが、この飯塚 毅という方は、知る人ぞ知るものすごい人物なのです。 何がすごいって・・・ とても一言では語れません。とにかく私たちが現在こうして信念と責任を持って会計事務所の仕事をまっとうできるのは、おおげさではなく飯塚会長のおかげなんです。 私自身も今から20年以上前になりますが、ある研修会でまだお元気だった頃の飯塚会長のド迫力講演を拝聴し、感動で鳥肌が立ったことを覚えています。
飯塚会長は常に「税理士業務は法律業務である!」と我々を喚起し、1966年10月に栃木計算センター(現:TKC)を設立以来、半世紀近くに亘って職業会計人の職域防衛と運命打開のために生き抜かれた方なのです。
 
『不撓不屈』はTKC設立の3年前1966年に勃発した「飯塚事件」と呼ばれる国家権力に立ち向かった税理士飯塚 毅の、7年間に亘る税務訴訟の壮絶な闘争劇を実話に基づいて描いた映画なのです。

その「飯塚事件」とは、そして原作者である高杉 良氏が「飯塚事件」を通して現代社会に訴えたかった真意とは・・・ ザンネン!誌面の都合上今回はここまで・・・ 続きは近日公開!