2006年6月1日

許せぬ奴ら

ドイツワールドカップ開幕という心躍る時期に
ちょっと重い話で恐縮ですが
どうしても触れておきたい話題なので・・・

ここのところ毎日世の中を騒がせている秋田県の小学1年生米山豪憲君殺害事件。容疑者の女性は同じ団地に住み、そのわずか一月前に自身の長女を(今のところ事故で)亡くしたばかりとか・・・。しかしほとんど食事も作らなかったといい、テレビのニュースにやたら登場するジャージ姿やその態度を見ていると、本当にため息もので思います「母親になれないどうしようもない大人がまたやってしまった」と・・・

昨年11月から今年2月のたった4ヶ月間に、奈良、広島、栃木3県で、これもすべて小学1年生の女の子が下校途中に連れ去られ命を奪われました。

奈良の犯人は、今から20年近く前の連続幼女誘拐殺人事件で4人の女児を殺害して死刑になった、あの宮崎勤と風貌がダブる小林薫という見ているだけでむかつく男。広島は何とかヤギとかいうペルー人で、こいつはペルーでも女児への性犯罪で3回も告発されているというではないか・・・
まったく何しに日本に来たんだバカヤロー!

当然ながら死刑となったこの二人の男は、ともに30代で過去に性犯罪暦を持つという。大人の女性とうまく関係を持てないことが原因か、抵抗できない幼いこどもを誘拐、強制猥褻のうえ殺害するなんて、冗談じゃないけどテメーらが死んだところで誰一人納得できるものではない! 

更に、昨年12月に茨城の山林で遺体で見つかった栃木県今市市の吉田有希ちゃんを誘拐殺害した犯人に至っては、半年たった今もまだ発見されていない。お父様の手記を読ませてもらいましたが、同じ子どもを持つ親として何とも身に詰まされる思いがする。一日も早くこの憎むべき犯人が逮捕されることを祈りたい。

どれも東京、大阪といった大都会ではなく、どちらかといえば田舎という代名詞が似合う地方で起こった事件です。昔ながらの近所付合いとか暖かい人間関係みたいなものがまだまだ残っていて欲しいところだけに、同じ田舎の信州に住む私としては、このような卑劣極まりない事件が起こってしまうという現実に、憤りと同時に言い知れない落胆の気持ちが湧き起こってきます。


最近のこういった事件を目の当たりにしていつも不思議に思うことがあります。こいつらを育てた親は一体どこで何をして、自分の子どもが犯した罪をどう考えているのでしょうか。こんなバカな人間に育ててしまった親に、何故もっと責任を問うという風潮にならないのでしょうか。

経済的に豊かになって物質的には何一つ我慢することのない家庭環境で生活できるようになった現代、その表裏に子どものしたいように何でもさせてあげる、欲しいものは何でも与えるという親の過保護がさまざまな歪を生み出しているように思えて仕方ありません。

私の周りにも実際結構いますが、子どもが不登校やニートになったとしたら、まず親の責任であることを自覚し、今まで自分は彼らにどう向き合ってきたかを深く考え、子どもと正面から腹を割って話し合い、一日も早く通常の精神状態を取り戻すための努力をすべきなのに、こういった子どもの親ほどその原因が社会や学校や友達にあると周囲に対する愚痴をこぼし「こんな世間だから仕方ない、そのうち何とかなるだろう」などと金と物だけ与えてよしとする。もっとひどくなると、下手に子どもを外に出してそれこそ犯罪でも起こされたらたまらんなんて本気で考えてる親までいる。いい歳した子どもを教育し導くこともできずに自分の子どもに気を遣って生きているそんなふざけた親がどんどん増殖しているのだから日本各地でこんな信じられない事件が頻発するのが必然とさえ感じてしまいます。

先日2年前に長崎佐世保市で起きた小学6年生女児同級生殺害事件の加害女児の両親が手記を公表しました。中で「家庭では普通に親子の会話をしているつもりだった」「いくら考えても答え(事件の原因)はみつからない」と述べています。が、映画「バトルロワイヤル」が大好きだったという小学6年の娘の普段の言動に、何も気付きがなかった親としての未熟さがこの事件を引き起こした原因と言えるのではないでしょうか。その表情や行動、考え方に少しでも普通ではない感覚があることを察し娘を注視することができれば、もしかしたら娘に犯罪を起こさせなくてすんだかもしれません。

マスコミからの要請があったとはいえ加害者の親が手記を公表したのは初めてということです。しかし本当はこのように事件の加害者自身を形成する基となった家庭、その親にもっと焦点を向け、場合によっては具体的な責任問題を問うべきであり、またそういった情報から我がこととして自身の家庭、親子関係のあり方を考え直し身を正すということを繰り返し啓蒙していくことが必要ではないでしょうか。本当に“許せぬ奴ら”は誰なのか、それを自覚することこそが重要だと私は思うのです。