2007年11月30日

ゴタ小僧の今昔

「先生ごぶさたしてます! 覚えてますか?」

「おーっ久しぶりだなー 覚えてるよー さっきからあそこに座ってるのはって思ってたんだよ
いやーそれにしてもお前もすっかり貫禄付いたなー」

「いやいや、先生の二重アゴとメタボ腹にはまだまだかないませんよー」

「お前相変わらず言いにくいことはっきり言うな~
そういうとこは30年前とちっとも変わってないなー ハッハッハッハ(笑)
いやぁしかし懐かしいな・・・でもこうやって声をかけてくれるから嬉しいよ・・・」

「こちらこそ覚えていてくれて光栄です!」

「まぁ堅い話は抜きだ さあ一杯飲ろう!」


今年娘が進学した高校が私ら夫婦の母校というそれだけの理由で、大方予想はしていましたが、OBである私は有無を言わさずPTAのクラス代表になってしまいました。

とは言っても、まだ1学年なので特にこれといってやることもなかったのですが、先日そのPTA主催の大きなイベントがあり、役員皆の献身的な協力により成功裡に終えることができたということで、反省会と称した懇親会が催され私も参加してきました。

その席で現在同校の教頭の地位にある先生と、改めてご挨拶方々膝を交える機会を持ちました。

その先生は私が進学した年に、この学校に赴任して初めての担任を持ったという方です。
当時まだ24歳という若さで、私の二つ隣のクラスの担任でした。

今はどうかよく分かりませんが、当時この高校は学年の上下関係はそれこそ軍隊なみでしたが、同期のクラスの境はほとんどありませんでした。授業の大半は教科によって教室を移動して、各クラスの合同とか混成メンバーで受けていましたし、加えて生徒同士は部活やサークル主体で横のつながりを大事にしていたので、とにかくどの先生がどのクラスの担任だろうが、誰が何組だろうがまったく関係なかったのです。

先生方も、カラスにマムシにキンギョだの、果てはヤクザにポルノにキューピー・・・(これ以上の公表は私の命の危険を感じますので割愛させていただきます)私立ならではの個性的な方ばかりで、本名は忘れても一生忘れることのない愛称を生徒達から捧げられ、ご自身の担任の有無にかかわらず、すべての生徒に対して言葉では形容しようのない独特の愛情を注がれる方ばかりでした。

従って、私も自分の担任には一度も呼ばれたことがないのに、前出の素敵な愛称を持つ蒼々たるお歴々にはわざわざご指名を頂き、職員室はもちろんのこと、体研や社研といったできれば足を踏み入れたくない場所にもよく招かれ、心身ともに何度もその独特の愛情を注いでもらったものです。

(拝啓 親愛なる先生方、お変わりございませんでしょうか? このたびはあくまで親しみを込めてご紹介しておりますので、万が一、間違ってこのコラムを見てしまっても、何卒ご理解ご了承賜りますようお願い申し上げます。決して昔のように私を呼び出したりしないよう重ねてお願い申し上げます。 敬具)


さて、そのキュー・・・じゃない、教頭先生と互いに酌をし合って杯を重ねながら昔話に花が咲き、すっかりタイムスリップしてしまったのですが、私が冗談半分に投げかけた言葉に対して先生が語り出した、今と昔の学生たちの違いの話に聴き入っていました。

「私らのときの先生のクラスはヤンチャが多かったから大変だったでしょ?」

「おお、そりゃえらかったさあの時のゴタッ小僧どもは・・・何つってもお前とも仲のよかったYとNが筆頭だろ?それに亡くなったNも1年の時は大変だった・・・あのバカやろうは俺より先に死んじまってなぁ・・・。あとは学校を辞めちまったMに、KとかTもしょっちゅうバカやってたなぁ・・・毎日毎日あんな連中とやりあってたから、俺は神経磨り減っちまって夜も眠れなかったよホントにー!」

「んな大げさなー でもYとNとは俺今も付き合ってますよ」

「おお知ってる知ってる、3年位前にあの二人と一緒に飲んだんだよ『Yが東京から帰省してるから一杯やろう』って連絡もらってな。その時だったと思うけど聞いたよ、何でもお前たちは卒業してからずっと同期の連中と正月に新年会やってるってな。同級会でもないのに家族ぐるみで毎年20人近く集まるんだって?・・・そういうのは普通ないと思うよ」

「そうっすねーホントよく続いてますね。もう私らにとっては当り前だから、みんなの顔を見て初めて年が明けるって感じなんですよ。メンバーが当時のゴタッ小僧ばっかりだし、類は友を呼ぶじゃないけどやたらと仲間意識が強いんでしょうね。それにその会の言い出しっぺが、実は亡くなった先生のクラスのNなんですよ。あいつが集まろうって言い出して、自分で初回の幹事をやったんです。そんな縁でやってきたからきっと俺らは死ぬまで続けると思いますよ。

でも先生も散々手を焼いた昔の教え子から個人的に誘われるってすごいじゃないですか
先生がヤツらに本気で向き合ってなかったら、やっぱり普通そんなことしないと思いますよ」


「ああ連絡もらったときは本当に嬉しかったよ。あいつらだからお礼参りでもされるのかと思ったけどな(笑)。まあ当時はこっちも初めての担任で歳も若かったから必死だったんだな。

ただな、お前達は確かにゴタだったけど、あの頃のゴタッ小僧は大人に対して向かってくる姿勢はしっかり持ってた。ことの是非はともかく、自分の主張をいつもはっきりぶつけてきてくれた。だから争うことも多かったけど、本気でやりあえたからきっと信頼関係も強くなったんだと思う。仲間意識ってのも今とは違う。お前たち同期の連中が30年たった今でも付き合っていられるのは、単なる馴れ合いのオトモダチじゃないからだろう? 高校時代からお互いに言いにくいことでも正直に言い合ったり、本気で喧嘩したりして、そこから逃げ出さなかった奴らが今も一緒にいるんじゃないの? それがホントの仲間だと思うけど、残念ながら今時のゴタ小僧にはそういうところがないんだよ。言いたいことががあるのかないのか、何を考えてるのか分からんヤツが多い。教師に対してもその場では『ハイ』って分かったような振りをするけど、結局『そんなの関係ねェ』ってことを見えないところで言ったりやったりしちまう。お前たちだったら『どうしてそれがいけないんだ!』ってぶつかってきたんだけどな、そこが一番違うんだ。だから今のゴタ小僧たちが大人になったときに、教師との付き合いは学生時代だけ、本気で支えあえる仲間なんて持てないんじゃないかと思うんだ・・・。ひょっとしたらそういう付き合い自体、自分には必要ないって考えてるかもしれない。俺も今まで7回担任持ってきたけど、最近どんどんその感覚が強くなってるなぁ・・・寂しい限りだよ…」


これは今の子どもたちに責任があるわけではありません。

ほとんどの人が我慢とか忍耐という言葉を必要としない裕福な社会環境や家庭環境に恵まれ、欲しいものは何でも与えられるそんな時代に彼らはおかれているのです。だからこそ、親の向き合い方一つで子どもの価値観はどのようにでも形成されるのです。

全ての責任を学校や社会に転嫁する親、金だけ渡して勝手にやれという親、我が子さえ叱れない親・・・
TVドラマに出てくるような親が現実にたくさんいると先生は嘆いていました。

本当に大切なことは何か、守るべきものは何か、それを私たち親がしっかりと捉える力量を持ち、その上で子どもたちを導くことができなければ、先生の抱く危惧は現実になってしまうのではないでしょうか。


30年ぶりに再会した先生の言葉は、まさに今時のゴタ小僧を持つ私にとって、自分を省みる貴重なものとなりました。

先生 ありがとうございました! 今度はあいつらと一緒にまた飲りましょう!

2007年10月28日

スタンス

『ピッ ピッ ピ―――ッ!』

スタジアムに鳴り響く長い笛
精も根も尽き果てた仲間達が泣き崩れピッチに倒れ込む

バックスタンドからずぶぬれになって応援し続けた息子の
高校サッカー最後の瞬間が訪れた・・・

次男の高校生活最後の選手権大会は、皮肉にも私ら夫婦の母校に準決勝で敗れ幕を閉じました。
今大会の3回戦前に組まれた練習試合で相手ディフェンダーと交錯し、鎖骨にひびが入る怪我を負ってしまった息子は、登録を抹消されて応援組に回っていました。完治までは最低一ヶ月、もうこの県大会には間に合いません。彼のピッチへの思いをつなげる一縷の望みは、チームが全国切符を手に入れてくれることだけでした。

サッカーには怪我はつきものとはいえ、「何もこんなところで・・・」と、焼酎片手に夜な夜な涙を滲ませながら私に絡んできたカミさんの気持ちもよーく分かります。

しかし、一番辛いはずの当の本人は、私らの前ではそんな文句の一つも言わず、腐ったり投げ出すこともなく、最後の最後まで早朝、放課後の練習に出て、仲間達を信じてサポートに徹していたようです。それが、自分で考え選択した彼自身のサッカーに対するスタンスであることは十分見てとれたので、私も敢えて慰めることもせず、何も言わずに見守ってきました。

親としては言うまでもなくピッチを駆け回る子どもの姿を見ることがこの上ない喜びですから、この現状を受け入れるのは正直とても難しいことでしたが、彼のその姿勢は、とにかく息子と同様にチームを精一杯応援しようという気持ちにさせてくれました。

小学校に入学すると同時にスポ小に入ってサッカーを初め、今日までずっとやり続けてきた彼にとって、そこで出合った多くの仲間たちや指導者の方々が、どれほど自身の人生に大きな影響を与え、どれほど自身を成長させてくれたのかは、おそらく彼自身まだ実感してはいないと思います。

別にプロになるわけでもないのに、ろくに勉強もしないで部活部活とスポーツバカになって、社会に出ればそんなことは何の役にも立たないという考えを持っている人もたくさんいます。色んな価値観や考え方があるので、それを否定するつもりは毛頭ありません。しかし、私は今息子を見ていて思います。

目の前に起こる様々な事象に対して自分がどういったスタンスをとることがベストなのか、或いはどういったスタンスをとりたいのか、それを自分で考え、そして自分で見定めたスタンスをきっちりとる力を発揮できるか。これは残念ながら分かったような親の説教や知識を習得するための勉強なんかで身に付くことではありません。

夢を持って本気で打ち込むことがあるという現実、そこに現れる人々との連鎖、組織のルール、その中で自ら体験する成功や挫折、それらが時間をかけて育んでくれるのではないでしょうか。そしてそのスタンスのとり方こそが、その人の人間力だと私は思います。

私は、この最後の大会で自分のおかれた状況を受け入れ、その上でしっかりしたスタンスを見せてくれた息子を誇りに思うと同時に、彼に多くのことを経験させてくれたサッカーというスポーツと、多くのかけがえのない仲間達に心から感謝しています。


一流企業の偽装やら政治家の隠蔽やら、世間を騒がせる事件がここのところ後を断ちませんが、それらはみな私利私欲というスタンスをとってしまった愚かな大人たちが巻き起こした結果です。

私達が関与させていただいている中小、零細企業ならなおさら経営者のとるスタンス一つで、繁栄、衰退のいずれかが決まるといっても過言ではありません。確実に言えることは、ご自身の営まれる事業が、人の役に立つには、目の前の人に喜んでもらうにはどうすればいいかというスタンスで日々経営に臨んでいれば間違いないということです。


「残念だったな お疲れさん!」

夕方帰宅した息子に私は手を差し出した

「・・・うん」

握手を返した息子は両手で私の手を握り締めたまま
とたんに大粒の涙をポロポロあふれさせた

精一杯抑えていた感情が一気に噴き出したようだ


それ以上言葉が出なくなってしまった私は
息子の肩を叩きながら心の中で何度もつぶやいた

『お前のおかげで素晴らしい時間を過ごせたよ ありがとう!』

2007年9月30日

老犬ミック

「ウンモ~~ッ」 皆が寝静まった深夜 突然聞こえてくる呻き声

牛ではない・・・ 老犬ミックだ

「クゥ クゥ クゥ クゥ」 家の中の我々に向かって飯を要求する鳴き声

ついさっき食べたことをもう忘れている・・・ 老犬ミックだ


今年21歳になるウチの長男が「犬が欲しい犬が欲しい」と毎日騒いでいた小学校3年生の頃、たまたま私の担当のお客様の家で子犬が数匹生まれ、そのうちの1匹を譲っていただき我が家にやってきたのが“ミック”です。当時「ミッキーマウス」が好きだった長男が、母親と相談して命名しました。

ミックは紀州犬の血統を持つ真っ白な雌の日本犬で、生後一月足らずから飼い始めた当時は、表情も仕草もそれはそれは愛らしく、あっという間に我が家のアイドルになりました。
ウチは隣に住んでいる家内の両親も含めてみんな犬が大好きなので、彼女も皆に可愛がられてすぐに自分も家族の一員だと思い込んでいたようです。

しかしそこは紀州犬、気性が荒く、犬独特の縄張り意識の強さも他の犬種に比べて群を抜いているので、幼犬の頃はそのとんでもない快活さに私もかなり手を焼かされたものです。

見知らぬ訪問者には誰彼かまわずドスの効いた声で吠えかかるので、その度に外に出て訪問者に謝っていましたが、そんな彼女の怖いもの知らずの闘争心は、我が家の防犯役という面では確実にセコムの上を行っていたのも事実です。


そんなミックも最近は耳も遠くなり、物忘れも激しくなって、おまけにやっとヨタヨタ歩いている状態なので外に散歩に出ることもなく、すっかり年老いてしまいました。

まあ無理もありません、人間なら既に90歳前後のお婆ちゃんです。逆に大きな病気もせず、よく長生きしてるなと思います。かみさんの言葉を借りれば「何でも食べるし食欲だけなら40代、100歳まで生きたあんたのお祖母ちゃんにそっくりよ」とのことです。


私自身、子どもの頃からいつも家に犬がいる環境で育ってきましたが、これだけ長い間同じ犬と一緒に過ごしたのは初めてです。それだけに我が家におけるミックの存在価値も大きなものになったと感じています。

末の娘にとっては、自分がちょうど物心ついた頃にミックがきて、それからずっと一緒に戯れたり噛みつきあって成長してきたわけですから、きっと同志のような感覚をもっていることでしょう。そんな娘とミックを見ていておもしろいのは、娘はあくまで自分が面倒を見ている主人の立場のように振舞っているのですが、何故かミックはミックで「私の方が上よ」という態度を見せることです。『この子は両親と二人の兄に世話してもらってるわがままな末っ子でしょ?』という状況が分かっているようです。

また、以前次男が大事な試合に負けて帰宅したときは、なかなか家の中に入ってこないので窓から庭を眺めてみると、地面に腰を下ろした息子の前にミックがちょこんとお座り状態。息子は何も言わずにたまにミックの頭や喉の辺りをなでたりして、ぼんやりその顔を見ているようでした。
私からは息子の背中越しにミックの顔しか見えなかったのですが、ミックはとても穏やかな表情で息子を見つめ、動かずにずっと付き合ってくれていたように見えました。暫くして、息子が何かを吹っ切ったように勢いよく立ち上がり、「ただいま!」と元気よく家に入ってきたのですが、ミックはそれを見届けてから静かに小屋に帰って行きました。息子もまた、親子だけでは満たすことのできない癒しをミックからたくさんもらっていたように思います。


犬を飼った経験のある方は皆さん思い当たるでしょうが、不思議と彼らにはすべて見えているんじゃないかと思うときがあります。勿論犬だけに限ったことではないのでしょうが、彼らと一緒にいることで、逆に人間という動物の上辺だけの気付きのない独りよがりの感覚って本当に薄っぺらいと思うときがあります。

彼らは言葉で人間にメッセージを送ることはできませんが、上手い言葉で知ったかぶる人間とは違うからこそ愛されるのかもしれません。


今年の冬を乗り切れるかどうか、ここ数年心配しながらウチの老犬ミックをみていますが、彼女の死もまた、親が言葉などでは伝えることのできない感覚を、きっと我が家の子どもたちに残してくれると信じています。


『ミック、来年も一緒に初詣に行こうな・・・』

2007年8月31日

分かるorやる

「これ見て・・・」

家内が差し出した娘の成績表に暫し見入った

「あ、赤点?・・・理科?・・・ほんとに?」

振り向いて『どうすんの?お前』って感じの視線を娘に送る

『煮るなと焼くなと好きにせー!』みたいな表情で
煎餅をかじりながら視線を返す娘

「あっはっはっはー!ほんとにあるんだこういうの・・・
こりゃ記念にとっとかなきゃいけねーなーおい!」

笑うしかない状況に意味不明の言葉を発すると

「えへへ・・・まいったまいった」

ちょっと悪びれた照れ笑いを娘が返す・・・と、その時

ウオーッ!あんたたちー!いい加減ふざけてる場合じゃないでしょー!」

ちょっと触れたら崩れ落ちそうに固まっていた家内が・・・吠えた

我が家に安住の日が訪れるのはいつのことだろうか・・・



今年高校に進学した娘の成績は、正直半ば予想はしていましたが、予想をはるかに超える現実にはさすがに冗談も言ってられなくなりました。部活部活の毎日で、朝は7時までに学校に行き帰宅は毎日夜の9時、土日は試合に遠征、おまけに授業中が唯一の休憩時間などと普段からうそぶいていましたから、一体いつ勉強するの?という状況は分かっていたことです。だから成績が悪いからといって娘だけを責めるわけにはいきません。責任の一旦は放っておいた私ら親にもあるからです。

娘も好きなテニスをやるために自分でそういう環境の高校を選んだわけなので、勿論言い訳なんかはしませんが、今回はかなり真剣に応えたようです。「勉強しなきゃマジやばっ!」と、やらなきゃいけないことは頭では分かっていたようですが、せいぜいテスト前の一夜漬けがいいところ。とりあえず部活は一生懸命やってんだから何とかなるだろうという甘い考えは、現実を知りどこかへ吹っ飛んだようでした。


夏休みに入るその日の夜、娘と2人で話す時間を持ちました。
敢えて平気な顔をしていた夕方とは一変、娘は曇った表情でうつむいています。

「このままじゃ好きなテニスもできなくなっちゃうな」

「あたし・・・勉強する・・・」

「どうやって?」

「・・・」

「お父さんが指示してもいいか?」

「・・・うん」

「それじゃ明日起きたら部屋を掃除して片付けなさい。マンガ本やCDなんかは別の部屋の本棚に全部しまって、勉強机には学校の教材だけを整理して並べなさい。お前の場合まずは自分の部屋を勉強するぞっていう環境にすることが先決だ。次に学校行事や部活優先で夏休みのスケジュール表を作りなさい。それでどの位時間が取れるのかをはっきりさせて、空いてるところに勉強の時間を入れてみなさい。できれば2時間、最低でも毎日1時間は予定して、作ったらお父さんに見せなさい。それから明日中に必要な参考書や問題集を用意するから、学校の課題と併せていつ何をやるか明日の夜一緒に計画しよう。いつも言うけど、国・数・英はとにかく問題を何回も解くこと、今回やっちゃった理科と社会はとにかくポイントを覚えること。教科書や参考書をみても分からないところはその日のうちにお父さんに聞きなさい。そして、部屋で勉強をやってるあいだケータイは電源を切って下に置いとくこと。今回のおまえ自身のけじめと本気の証拠としてだ・・・いいか?」

「・・・はい!」

「人間ってみんなそれほど強くなくて、頭で分かっているつもりでも実際にはできないことが山ほどある。やめなきゃって思いながらタバコ吸ってるお父さんも、痩せてやるって言いながらケーキ食ってるお母さんもそうだ。勿論、勉強しなきゃって言いながら結局マンガやケータイに手を伸ばしてしまうお前も一緒だ。要するに本気じゃないんだよ。だけど例えばそれでお父さんが肺ガンになったり、お母さんが20キロも体重増えちゃったなんてことになれば、いよいよ本気で何とかしなきゃと思って行動を変えるだろう?まあそこまで切羽詰らないとできないのが人間の弱いところなんだけどね・・・。ただそうなったとき初めて「分かる」ことと「やる」ことが一致する。そしてそれを続けることで必ず自分の思う姿に「成る」ことができるんだ。お前も今回のことで自分が一高校生としてどういう状況なのかが分かって、本気で何とかしなきゃって思ったんだから、あとは本当にやること、そして続けることだけだ。さっき話したことは、ただやるやるっていう決意表明だけに終わらせないための具体的な方法だから、もう後先のことは考えないで、その日の目の前の課題だけに集中して取り組んでみなさい。大丈夫!お前は勉強ができないんじゃなくてやらなかっただけだから、本気でやれば必ず結果はついてくるはずだ。2学期は先生や仲間連中をあっと言わせてやれ!・・・ついでにお母さんもな」

「分かった、やってみる・・・ ありがとう!」

いつものあっけらかんとした表情を取り戻した娘は、2階の部屋に駆け上がっていきました。



今年の気が狂うほどの暑い夏休みは
そんな娘にとってもまさに灼熱地獄となりました

補習に課題 部活に遠征

しかし、私の目には高校生活の青春を謳歌する
何とも充実した毎日を送っているように映りました

ただ・・・その日本人離れした黒さは何とかならんか

まあ仕方ないか  これからこれから・・・

2007年7月29日

ハプニング

「マイス、ジャポネ、シェフサラ、ウィズライスでオール3願います!」

私のよく通る(素敵な)声が厨房に響き渡る

「はいよー! 
マイス(コーンクリームスープ)!
ジャポネ(和風サーロインステーキ)!
シェフサラ(オリジナルサラダ)!
ライスでオール3よろしく!」

オーダー番のチーフシェフが各配置のコック達に向かって繰り返す

婚礼シーズン真っ只中のとある大安吉日のディナータイム
そのホテルのレストラン厨房のデシャップ前は
オーダーの飛び交う声、食器の重なり合う音
額に汗するコック、小走りに行き交うウェーター・・・
それはまさに戦場という形容がピッタリの活気に満ち溢れていた

「あっ!ライスが・・・」 「えっ?」 

一瞬厨房の時間が止まった

そう、ハプニングというやつはいつも突然やってくる・・・


先日、ちょっとした会合があって松本駅前のあるホテルに行ってきました。そこは昭和57年に開業した結婚式場やレストランを併設する全国チェーンのシティーホテルで、私がオープンから2年ほど勤めさせていただいた懐かしい場所です。当時はホテルウェディングが定着しつつある時代で、真夏と真冬を除くシーズンは、ほとんど毎週末2会場に2件ずつ、1日計4件の披露宴が入るという繁忙ぶりでした。私はその料飲部門に所属し、メインはレストランのウェーターをしていましたが、当然披露宴のある日はバンケットにヘルプに行き、日夜サービスの仕事に忙しく携わっていました。

「お~い、よっちゃん、元気かー?」

後方から懐かしい声が聞こえて振り向くと、その会合の会場責任者だった現料飲副支配人の方でした。彼は数少ない現職のオープンメンバーなのですが、私と同じ町場のバーテン上がりだったせいか、高校の先輩だったせいか、とにかく在職中は言葉ではとても言い尽くせないほどお世話になった、私が今でも尊敬してやまない人物です。

実はTKCの研修でこのホテルにはよく行くのですが、この日はプライベートということもあり、彼もちょうどその会合で上がりだったので、久々にゆっくりグラスを傾けながら話す機会を得ることができました。今では季節の便りでしかお付き合いがないので、暫くは仕事のことや家族のことなど近況を話していましたが、ほどなく20年以上前の同じ釜の飯を食っていた当時の話になったとき、私はいつか彼に言おうと思っていた忘れられないエピソードを話し始めていました。

「そんなことあったっけ?」 残念ながら先輩は本当に忘れているようでした。

「忘れちゃったんスかー?まあ当の本人はそんなモンかも知れませんね・・・でも俺にとってはあの時の『喜んでいただくそうです!』は、今でもハプニング対応の最高のバイブルですから。先輩の一言で一気に厨房の空気が変わって、あの日あの場所にいた連中は、料理長を含めて全員きっと最高の気持ちで仕事したはずですよ。とにかくあの最悪の状況が一変したんだもんなあ・・・ ああ、今思い出しても涙出てくるわ」

「んな大げさな」

いやいや私にとっては決して大げさな話ではないのです・・・・・・


「あっ!ライスが・・・」 「えっ?」

その日ライス番のコックがあまりの忙しさで予備のライスを炊き忘れた
最初のライスが底をつきかけ、ちょうど私がオーダーした3皿が用意できない
その日はたまたま普段レストランにはいない料理長が陣頭指揮を執っていた

また不思議とハプニングとはそういうときに限ってよく起きる

当然料理長はものすごい剣幕で部下のコック達を怒鳴りつける
叩き上げの職人気質、若い連中にとってそれはそれは相当な恐怖である

厨房が完全に凍りついた・・・

私はパニクりながら、その日のチーフウェーターだったその先輩に報告した
料理長が険しい表情で私たちに向かって「ブレッドに・・・」と言いかけたそのとき
「料理長!今日のバンケットの栗ご飯まだありますよね?」と先輩が言った
「あ、ああ、残ってはいるが、こっちはフレンチだぞ・・・」料理長は困惑の表情
「私に任せてもらえますか?」きびすを返した先輩は冷静な表情でホールに向かう
私は先輩の後ろに付いてお客様のテーブル横に立った・・・ひたすら謝る準備をして

「お客様、本日当店では是非お勧めしたいスペシャルメニューがございます。
信州名産の栗をふんだんに使った栗ご飯なのですが、いかがでしょうか。
通常のライスと同じ料金で提供させていただいております。
今が旬の当店自慢の栗ご飯を是非お召し上がりになりませんか?」

「ほお、栗ご飯・・・?おもろい取り合わせやけど、それだけお勧めならいただくわ」
関西なまりのお客様は先輩のこのセールストークに応えた

私は胸の支えが一気にほどけ、お客様に深々と頭を下げて先輩とともに厨房に戻った

ここまではまあこの商売では稀にあるハプニングで、ちょっとベテランの手馴れたウェーターなら、ある程度こういった対応はできるでしょう。

しかし厨房に戻った先輩が料理長に向かって放った一言に、私は本当に感動してしまったのです。

「料理長!栗ご飯3つ 喜んでいただくそうです!

「そうか・・・ヨーシ!バンケに飛んですぐ下ろせ!せいろ準備!蒸し5分で火を入れろ!ぐずぐずするな!」

「ハイッ!」 厨房のコック全員が血色を取り戻し一斉に動き出した

今まで見たこともない料理長の毅然とした鮮やかな指揮とコック達の軽快な動き、この後のレストランは閉店まで活気に溢れ、厨房とホールの人間が見事に一体となって、それまで経験したことのない最高の雰囲気で営業を終えたのです。


お客様は「喜んでいただく」までは言っていませんでした。
しかし、「とりあえず栗ご飯にしてもらったんで…」
なんて先輩が普通に言っていたらどうなっていたでしょう。

おそらく料理長は怒り心頭のまま、落ち込んだコックたちは下を向いたまま仕事をしていただろうし、きっと私らウェーターは「何やってんだよ」と、最後まで厨房に溝を感じたまま重苦しい時間を過ごしていたことでしょう。言い方一つでそんな雰囲気をすべてプラスに変えてしまった先輩の、空気を読んだ、機転の効いた、センスある一言を私は忘れません。


「計算なんてナンもしてないさ…よく覚えてないけど、たぶん咄嗟に出た行動がたまたまいい方に作用しただけだよ。ただ、お前と一緒にやってたときも勿論今でもそうだけど、いつも相手やその場にとってどうするのが一番いいだろうってのはまず当り前に考えてる、それが仕事だから・・・職業病だろうな

でもそういう些細なことにちゃんと気付いて、それを自分の肥しにしようっていうお前が凄いよ。同じことが目の前で起こっても、それをどう消化するかで人の生き方なんてぜんぜん違ってくるからな…そこんとこがお前の強みというか魅力だろうな…さすがだよ!」

最後の一言に私はまたやられてしまいました。

2007年6月28日

自分基準

「ただいまー」 

「ほら、お父さん帰ってきたわよ、ちゃんと自分で話しなさい」

「・・・」

ある夜、帰宅早々何やら不穏な空気・・・嫌な予感

怒っているのか冷めているのか何とも微妙な表情のかみさん
照れ笑いの赤ら顔でやたら目を泳がせている挙動不審の息子

ネクタイを緩めながら先手を打って切り出した

「どうした?お前またナンかやらかしたか?今度は何週間休みだ?また丸坊主か?」

「ち、違うって!そういうことは何にもしてないって」

「これからしようとしてるんだよねー」 間髪入れずに外野からかみさんが茶化す

「・・・あのさぁお父さん・・・ウチって・・・彼女とか泊まりにきちゃいけないの?」

ぎょえー!そっちかい いやいやいや この小僧は いきなりそうきたかい!

「“とか”って何“とか”って・・・ま、まあ、とりあえず座りなさい」 

「さっきから座ってるけど・・・」

即答できず何とか平静を装うも、さすがに少々取り乱してしまった


生意気なことにウチの高3の次男には、もう1年以上前から付き合っている彼女がいて、部活がオフの休日などには、よく我が家に遊びに来たり先方の家に行かしてもらったりする仲です。違う高校の同じ3年生とのことですが、これがなかなか礼儀正しく素敵なお嬢さんで、何が悲しくてウチの息子と付き合っているのか私ら親も理解に苦しむような可愛い彼女なんです。


さてさてそれはともかく、思春期のお子さんをお持ちの皆さん
皆さんのお宅で、もしこんなことがあったらどう対応なさいますか?

『バカヤロー!駄目に決まってんだろうが!高校生の分際で何すっとぼけたこと言ってんだテメエはー!』
私らの時分なら、星一徹ばりの頑固親父が、ちゃぶ台ひっくり返してこう怒鳴りちらかすところですが(知らない方はご勘弁)、どっこい最近はずいぶんと様子が違うようです。

息子の話では、今時は高校生でも親公認で彼氏の家に彼女が泊まるのはそう珍しいことではなく、逆に自宅の方が安心だからと、どこか遊びに行くくらいなら家に連れて来いという親も結構多いと言うのです。
まあ誘惑の多い今の世の中、理屈としては一理あると言えばあるのですが・・・

確かに一月ほど前にも息子の同級生の家に彼女が泊まりに来たという話がありました。その子のお母さんが「どうしよ~」と、ウチのかみさんにメールで相談してきたそうです。同級生の彼は息子とは幼なじみで、スポ小の頃からずっと一緒にサッカーをやってきた間柄で、家族ぐるみで仲良くお付き合いさせていただいている一家です。

数日後、試合の応援でそのオヤジさんに会ったので「何でOKしちゃったのよ?」と尋ねてみると

「それが俺が帰ったときはもう彼女がウチに居てさあ、女房もどうしようか迷ってたみたいだけど、変に駄目だって言うとウチの息子のことだから切れて何するか分からんし・・・とりあえず先方にご心配なくって電話入れてさ、息子にはお前分かってんだろうなって一応釘は刺したんだけどね・・・」という回答でした。

「まあ難しいとこだけど・・・一度認めちゃうと歯止めが利かなくなるんじゃない?」
なんて偉そうに言ってたのが、我が家でも現実のこととなってしまったのです。

おそらく息子は『みんなやってるんだから』という基準で『俺も』と考えたのでしょう。


さて私はと言うと、頭を整理する時間を稼ぐため

(父)「彼女のお母さんも同伴ならいいよ」
(子)「あ、ありえネェ・・」
(母)「そりゃ彼女のお母さんの方が危ないわ」
(父)「言う?息子の前でそこまで言う?」

などと暫くお茶らけモードで軽口をたたいていましたが

「お前彼女のこと本当に大切に思ってる?」改めて親父の顔をして聞きました。

「・・・うん!」ニヤけ顔を止め、背筋を伸ばして息子が答えました。


「だったらやめとけ・・・自分たちが本気で付き合ってることを分かってもらいたいなら、お前がやろうとしてることはお前たち二人にとってマイナスだ。お前の場合、成績優秀でも品行方正でもないけど、サッカーだけは真剣に打ち込んで毎日がんばってるところを、今は彼女も彼女の親御さんも認めてくれてるんだと思う。お父さんがもし相手の親父さんの立場なら、この大事な時期に平気で彼女を泊まらせるような家庭の息子が本気でサッカーやってんのかって思うし、そんな奴もそれを許す親も信用することはできない・・・
人にはそれぞれその人なりの事情や環境とかがあって、みんながやってりゃ誰でも同じように何してもいいってわけじゃない。他の家では認めてくれるのに、どうしてウチは駄目なんだって思うかもしれないけど、重要なのは周りがどうとかじゃなくて、今自分が置かれている立場や果たすべき責任をしっかり自覚したうえで、自分の基準でものごと考えてその善し悪しを判断することだ。そしてその基準は、自分に都合のいいわがままなものにならないように、常に相手の立場を第一に考えることを忘れちゃいけない。
お前もせっかく今までいい付き合いをさせてもらって彼女の親御さんにそれなりに信頼されてるんだから、せめて高校生の間は、そこんとこのけじめはきっちりつけといた方がいいとお父さんは思う。
まあそれで来年まで彼女と今の関係が続いてたら、彼女の親父さんに頭下げて『二人で卒業旅行に行かして下さい』くらいのこと言ってみろ。そのときは『よろしく頼む』って言われるよ、きっと」

「・・・うん・・・そうか・・・そうだね・・・分かった 了解ダー!」

携帯を握り締めて「おやすみー!」と2階に上がっていく息子を見届けて
「ふーっ」と大きくため息をついた私の横に
焼酎のグラスを握り締めたかみさんが座ってニヤッと一言

「ちょっとちょっと・・・自分のこと棚に上げて立派に語るじゃん?」

ヤベッ! ウチも高校時代からの付き合いだった・・・ こいつはすべてを知っている・・・

「君は私の立場を理解して、余計なことは言わないように・・・た、たのむ」

2007年5月30日

タイムリミット

「お母さん!弁当まだー?!」

「今やってるわよ・・・まだ2分あるでしょ!」

「早くしてくんねーかなァ、友達待ってんだよね」

「6時に間に合えばいいんでしょ?・・・ハイ出来たーホラとっととお行き!」

「・・・ッタク~またギリじゃん(ブツブツ)」

「やかましい! あんたには感謝っていう・・」

「ハイハイ、わかったわかった!感謝、感謝と・・・んじゃ行ってきまーす!」

日課となっている家内と息子のけたたましいやり取りで目が覚める
ぼんやり『もう少し寝れるな・・・』と寝返りを打って二度寝を決め込む
が・・・ほどなくして


「お前これ先週のお便りじゃないの、どうして今頃出してんのよー!」

「だって忘れてたんだもん・・・」

「忘れてたって・・・えっ?部費持ってくの今日まで? もういい加減にしなさい!!」

今度は何? これも恒例となった娘とのバトルに入ったようだ
「いい加減にして」ってこっちのセリフだよーほんとに・・・


現在高校に通うウチの次男と長女は、部活のため朝がやたら早いのです。
勿論二人とも弁当持ちで、さらに朝飯もガッツリしっかり食べて行くので
家内は毎朝5時前には起き出して、髪を振り乱しながら戦場へと向かいます。
しかしほとんど毎日、私が起床する(できればそうしたい)朝7時までは
早朝の築地市場のせりのようなワケの分からん活気?に満ち溢れているのです。

また、そんな一日の壮絶な闘いを終えた家内は、夜9時を回るとご推察の通り
焼酎のグラスを握り締めたまま意識を失ってしまうため、帰宅の遅い子供たちは
私の指示で伝言板に明朝家を出る時間と弁当の要否を書き込むようになりました。
今では朝起きてまず家内はその伝言板を凝視し、頃合を計って戦闘モードに突入します。


さて、仕事でも生活でも、どんな事象にも期限というものがついて回ります。
「今週中に提出して下さい」「何時までに作成して下さい」などなど・・・
我が家の喧々諤々の恒例行事も、この期限に対する考え方に原因があるようです。

皆さんは“期限(タイムリミット)”に対してどんな感覚をお持ちでしょうか。

期限を基準にして、その期限から逆算していつ着手しようかと考えますか?
期限は気にせず、認識した時点から可能であればすぐにでも着手しようと考えますか?

「間に合えばどっちでもいいでしょ」と思われる方もいらっしゃるかもしれません。
しかし、このどちらの感覚が日常の思考パターンになっているかで、その出来栄えは
大きく違ってくるように思えるのです。


前者の思考パターンは、まずアクシデントに対応できません。「まだ時間がある」という感覚を持ちながら予定するので、ただでさえ優先順位が後回しになり、いざやろうとして予期せね急用でも入ったりすると(仕事では実際これがよくあります)間に合わせるために無理が生じます。最悪期限に間に合わなくなることも往々にして起こります。
やっかいなことに、難しいことや面倒なことほどこの状況に陥りやすくなります。また、精神的にもどこか追い込まれた状態になり、いつも何かに追いかけられているような慌しい印象を周囲に与えます。

後者の思考パターンは、空いた時間に前倒しで事を進めていくので、期限を待たずして一通り完了している状態になります。時間的にも余裕があるため、場合によっては見直しや手直しまで行うことができます。また、あれをやらなきゃいかんという気がかりがないので精神的にもスッキリした状態で次の課題に取りかかることができます。どんなことでもサラッとこなす、仕事のできる人という印象を周囲に与えるのです。

もちろんあらゆる事象すべてにこの考え方が当てはまるとまでは言いません。
ただ、できるできないといったその人の能力や技術の違いではなく、あくまでも“タイムリミット”に対する捉え方の違いによる行動の差だと思うのです。

ビジネスの世界では特に、後者の思考パターンで行動できるようになりたいと私は思います。


ある日曜日の朝、いつもより家を出る時間が遅い息子が
相変わらずバタバタと準備に追われる家内を尻目に
穏やかな表情でソファに腰掛けTVを見ている

「おはよう! どうした?今日はえらく余裕じゃん」

「うん(小声で)出る時間10分早く書いといた・・・」

「ほう 考えたね~」

得意げにほくそ笑む息子の頭を笑いながらこずいていると

「ヨーシ出来たーッ!ピッタシ8時50分!さあとっとと行けー!」

穏やかな休日、家内の達成感あふれる気合の入った掛け声が家中に響いた

やれやれ・・・

2007年4月30日

担雪埋井

「この人は相手の話を聞く耳がないから駄目
鑑定しても無駄! はい以上終わります!」

六星占術の細木数子大先生が幸せって何だっけと
ズバリ言ってる姿を最近よくTVで目にする

うちのかみさんも例外にもれず、印税10億とも囁かれる
女史の単行本に数年前からハマっていてやたら詳しい

ここから得た情報を基に、頼みもしないのに毎年私に
素晴らしい?受け売りのアドバイスを投げかけてくれる

「あんたは金星のマイナスだから去年まで大殺界だったの
でも今年から3年間はすごくいい運気なんだって
のびるわよ・・・ウン、絶対のびる!」

「・・・何が? 髪の毛?」

「もうあんたには聞く頭がないから駄目!言っても無駄!」

「いやいや頭はあるけど・・・毛根が・・・」

「バカッ! もういい!」


大宇宙の原理原則とか統計学上の根拠とか、六星占術も色々言われていますが
世の中には理屈では解決できない不思議がまだまだあふれているのは確かです。
だからその分野においては誰が何を言ってもその是非は分からないし、
極端に依存したり否定することも意味のないことだと思います。

まあ細木数子さんの場合、番組の中では総じて家系を知り、祖先を供養して、
人の道に違わずに生きることが大事と結ばれるので、とりあえずごもっともと
いう感じで一件落着といったところでしょうか。

それはともかく、私は彼女とゲストのやりとりを見ていて、自分の言いたいことを
相手に聞き入れてもらうのは難しいなという方向にどうしても目がいきます。

皆さんも家庭や社会の人間関係の中で『この人は本当に相手の話を聞かないなぁ』
という思いを抱くことが結構ありませんか?

私たちも税務会計指導、経営支援という仕事上の立場から、
経営者の方々に色々と助言させていただくことが多いのですが、
中にはどう話しても聞き入れてもらえない方がいらっしゃるのは事実です。

細木数子さんのように、「聞く耳を持たない人には話しても無駄!」と
突き放してしまえば楽なのでしょうが、私たちはそうも言ってられません。


そんなときうちの事務所では飯塚毅名誉会長の言葉を拠り所としてきました。

担雪埋井(たんせつまいせい)」  “雪を担いで井戸を埋める”

何度やってもすぐに溶けてしまう雪で深い井戸を埋め尽くすことはできません。
しかしこの言葉の意味するところは、井戸を埋めるという結果を求めているのではなく
たとえ無理だと分かっていても、それを無心でやり続ける行為こそが尊いということで
特に我々職業会計人にはその精神が必要なんだという教えなのです。


人にはそれぞれ物事に対する主義主張や信念があります。
そのほとんどはその人の生活環境や人間関係によって確立されると言われています。

ただ、無意識のうちにそれは自分の好き嫌いを基準に決められた固定観念となって
強固に自身の心を縛り付けてしまうという恐い傾向もあるようです。
ここに人の話を受け入れにくい心の状態ができてしまうのかもしれません。

私たちはまずはそういった経営者の方の信念とか考え方を理解するために
真正面から向き合ってじっくりと何度でも話を聴くところから始め、
その上で関与先企業にとって少しでも有意義な助言を、また時には多少言い辛いことも
「担雪埋井」の精神で何度でも言い続けていきたいと思っています。

皆さんに「しつこいなぁ」と思われることが、実は私たちの目標なんです。

2007年3月17日

乾杯

「とりあえず生中頼んでおいたけどよかった?」
トイレから戻った私に息子が声をかけた

「ああいいよ・・・それでつまみはどうする?
今日はお前の就職祝いだから遠慮なく何でも食いたいもの頼めよ
もちろん金のことは気にしなくていいぞ!
おっ『しゃぶしゃぶ喰い放題お一人様1,800円』(や、安い)・・・これどう?」

「いいねぇ~しゃぶしゃぶなんてもうずいぶんご無沙汰だなぁ」

「そ、そうか(肉の質は・・・まぁいいか)それじゃこれにしよう!
 お兄さーん すんませーん!」

言っても居酒屋、敢えて言うほどのことでもないのに、少しはオヤジらしいところを見せねばと、やたらハイテンションな乗りで私にとっての一大イベントは始まった・・・

息子と酒を飲む

生活のほとんどを仕事が占めるようになった世の(酒が好きな)オヤジたちにとって、最も楽しみなシチュエーションの一つではないでしょうか。

かくいう私も最繁忙期である確定申告最中の休日、この春社会人になる長男と初めて指しで酒を酌み交わしました。息子がやっと歩き出した頃「いつかはこいつと一緒に酒を飲む日が来るのかなぁ・・・」と公園の砂場で頭から砂をかぶって泣いている姿を遠めに見ながら、ことさら楽しみにしていたことを思い出します。

長男は高校を出て上京し、専門学校で2年間CGデザインの勉強をしていました。
小さい頃から絵や漫画を描くのは本当に好きで、中学の頃だったと思いますが、彼の絵が確か何かのポスターとか文集の表紙とかにも使われた記憶があります。

そんな息子は東京のとある広告代理店に就職が決まり、ちょうど卒業制作展の作品作りの真最中でした。
彼は自分が製作したいくつかの作品を私に見せて評価を求めてきましたが、正直それは門外漢の私が良し悪しを評論できるようなレベルのものではありませんでした。「これホントにお前が作ったの?」と、返すのが精一杯・・・

“親はなくとも子は育つ”とはよく言ったものですが、得意そうに作品を見せてCG技術の薀蓄を語る息子を見ながら、知らないうちに成長している姿に何ともいえない感慨を覚え心地いい酒の酔いも手伝って、期待以上の至福のときを過ごすことができました。

いやー本当にいいもんです!

ウチでもそうでしたが、父親と息子というのは中学生後半あたりから極端に会話が少なくなるものです。俗に反抗期なんて言葉で一括りにされてしまいますが、私は一概にそうは思っていません。反抗しようがしまいが、男子から男性に成長しようとする過程で、健康な男であれば誰でも普通に経験するのではないでしょうか。また、私はそれでいいし、そうでなきゃいかんと思っています。

ある時期反抗的になるのは、いつまでもガキじゃないという自負を持つようになり、自分のオヤジを一人の男として観るようになるからです。

(本当のところは分かってないけど)そんなこと言われなくても分かってるよ!
(しっかり確実にはできないけれど)そのくらいオレにだってできるよ!

そうやって色んなことに手を出して何度も失敗や挫折を味わい、そんな経験を通して本当に大切なことが分かっていく・・・その道すがら自分なりに葛藤を繰り返し、ことの是非を覚えながら少しずつ判断力や責任感を身につけ一歩一歩自分の力で次のステップに進んでいく・・・

そんな時期にとってつけたような家庭の団欒など不要です。
自分でもがくことに意味があるのです。

親にとって大事なことは、いつまでもべたべたと世話をやくなんてのは論外ですが、かといって変に突き放したり放任することでもなく、必要なときに言うべきことをきっちり言ってあげられること、何よりその必要なときを見逃さない目と心を親自身が持つことだと思います。

そうすれば、やがて子どもは自分の経験の中で培った僅かばかりの自信を携えて自ら歩み寄ってくるものです。二十歳を過ぎて幼い頃のように、まぁよくしゃべる息子を見ながら「こいつもやっと一つ越えたかな」と実感しました。


「これってオヤジが若いときいつも飲んでたやつだよね」

2件目のショットバーで、カウンターに並んだジャック・ダニエルを指差して息子が言いました。一瞬「えっ?」と思いましたが、親が考えている以上に子どもは親をよく観ているものです。だからそんな子どものためにも親として無責任なこと、だらしないこと、人を欺くようなことはできないのです、してはいけないのです。

息子の何気ない一言は、やっぱりまずは子どもに目標とされるような生き方をしないといかんなと、改めて私に気付かせてくれるものとなりました。



「おぉ懐かしいな・・・お前も一杯飲ってみるか?」

「オレに飲めるかな」

「大丈夫さ・・・お父さんの息子だろ?」

「何それ」

「まぁいいさ・・・とりあえず今日という日に 乾杯!

2007年1月21日

ありがとう

2007年幕開け早々の1月3日、我が川崎浩所長のお母様がお亡くなりになりました。享年80歳、昨年暮れの29日に急性の心筋梗塞により緊急入院、驚異的ながんばりで一旦は回復に向かい集中治療室から一般病棟に移ったそうですが、その翌日容態が急変して無念にも帰らぬ人となってしまいました。

私の知っている亡きお母様は世話好きで話好きでとにかく元気な方でした。

私が言うのもおこがましいのですが、早くにご主人を亡くし、女手一つで二人の息子を立派に育て上げてきた方ですから、そのエネルギーというかパワーの強さにはいつも驚かされていました。

私の家内が所長と従兄弟ということもあり、家内も「おばちゃん」には幼い頃からとてもお世話になっていました。入院するつい数日前、そのおばちゃんが所長の弟さん夫婦と一緒に家内の実家を訪れ、最近ちょっと足腰が弱ってきた家内の母親(おばちゃんにとっては妹です)を「がんばれがんばれ」と励ましてくれていたそうです。

昨年の夏頃に腰の手術をして入院していたおばちゃんを家内と連れ立って元気付けにお見舞いに行ったときも、まだ起き上がることもできないおばちゃんが、逆に私たち家族の健康と事務所の行く末を気遣うお話を一所懸命して下さいました。そんな言ってみれば父親の強さと母親の優しさの両面を持ち併せたような方でした。


告別式の日、火葬場で最後の別れを迎えたその時、棺の中で眠るおばちゃんに向かって所長兄弟のお嫁さんが口々に「お母さんありがとう!」と精一杯の声をかけられました。その思わず発した「ありがとう」に込められたこれまでの時間とお二人の気持ちの重さに、この時ばかりは私も胸が一杯になってしまいました。そして滲んで見える棺に向かって手を合わせ『おばちゃん良かったね、皆に感謝されて・・・』と心の中で何度も呟いていました。


「ありがとう」と感謝されて幕を閉じることができる人生


私たちにとって一番身近な家族という社会に目を向けると、どんな人でも他人にはわからない苦労や悲しみを経験し、時にはちょっとしたボタンの掛け違いによる争いやトラブルに直面したりもします。

しかし、それぞれに与えられた時間の中で互いの気持ちをコントロールして、そういった事象を何度も乗り越えながら知らず知らずのうちに愛情や信頼関係を強くしていく、そうやって時間をかけて成り立って行くものだと思います。

そんな家族の一員として自分はどういう生き方をすればいいのでしょう?

29000日の生涯を生き抜いたおばちゃんは私にこう教えてくれた気がします。

誰に対しても胸を張って正々堂々と向き合っていくんだよ
愛するものを命を賭けてでも守り通すんだよ
家族や周囲に対してどんなときでも思いやりを持つんだよ

おばちゃんのように「ありがとう」と感謝されて幕を閉じることができる人生を、果たして自分は送ることができるだろうかと考えたとき、すでに18000日近くを過ごしてしまった私は、改めて限りある残された一日一日を決して無駄には過ごせないと身の引き締まる思いがしました。


自らの死、というよりその生き様をもって私にそんな気持ちを抱かせてくれた
おばちゃん! 最後の最後まで “ありがとう!”

ご冥福をお祈りします