2007年11月30日

ゴタ小僧の今昔

「先生ごぶさたしてます! 覚えてますか?」

「おーっ久しぶりだなー 覚えてるよー さっきからあそこに座ってるのはって思ってたんだよ
いやーそれにしてもお前もすっかり貫禄付いたなー」

「いやいや、先生の二重アゴとメタボ腹にはまだまだかないませんよー」

「お前相変わらず言いにくいことはっきり言うな~
そういうとこは30年前とちっとも変わってないなー ハッハッハッハ(笑)
いやぁしかし懐かしいな・・・でもこうやって声をかけてくれるから嬉しいよ・・・」

「こちらこそ覚えていてくれて光栄です!」

「まぁ堅い話は抜きだ さあ一杯飲ろう!」


今年娘が進学した高校が私ら夫婦の母校というそれだけの理由で、大方予想はしていましたが、OBである私は有無を言わさずPTAのクラス代表になってしまいました。

とは言っても、まだ1学年なので特にこれといってやることもなかったのですが、先日そのPTA主催の大きなイベントがあり、役員皆の献身的な協力により成功裡に終えることができたということで、反省会と称した懇親会が催され私も参加してきました。

その席で現在同校の教頭の地位にある先生と、改めてご挨拶方々膝を交える機会を持ちました。

その先生は私が進学した年に、この学校に赴任して初めての担任を持ったという方です。
当時まだ24歳という若さで、私の二つ隣のクラスの担任でした。

今はどうかよく分かりませんが、当時この高校は学年の上下関係はそれこそ軍隊なみでしたが、同期のクラスの境はほとんどありませんでした。授業の大半は教科によって教室を移動して、各クラスの合同とか混成メンバーで受けていましたし、加えて生徒同士は部活やサークル主体で横のつながりを大事にしていたので、とにかくどの先生がどのクラスの担任だろうが、誰が何組だろうがまったく関係なかったのです。

先生方も、カラスにマムシにキンギョだの、果てはヤクザにポルノにキューピー・・・(これ以上の公表は私の命の危険を感じますので割愛させていただきます)私立ならではの個性的な方ばかりで、本名は忘れても一生忘れることのない愛称を生徒達から捧げられ、ご自身の担任の有無にかかわらず、すべての生徒に対して言葉では形容しようのない独特の愛情を注がれる方ばかりでした。

従って、私も自分の担任には一度も呼ばれたことがないのに、前出の素敵な愛称を持つ蒼々たるお歴々にはわざわざご指名を頂き、職員室はもちろんのこと、体研や社研といったできれば足を踏み入れたくない場所にもよく招かれ、心身ともに何度もその独特の愛情を注いでもらったものです。

(拝啓 親愛なる先生方、お変わりございませんでしょうか? このたびはあくまで親しみを込めてご紹介しておりますので、万が一、間違ってこのコラムを見てしまっても、何卒ご理解ご了承賜りますようお願い申し上げます。決して昔のように私を呼び出したりしないよう重ねてお願い申し上げます。 敬具)


さて、そのキュー・・・じゃない、教頭先生と互いに酌をし合って杯を重ねながら昔話に花が咲き、すっかりタイムスリップしてしまったのですが、私が冗談半分に投げかけた言葉に対して先生が語り出した、今と昔の学生たちの違いの話に聴き入っていました。

「私らのときの先生のクラスはヤンチャが多かったから大変だったでしょ?」

「おお、そりゃえらかったさあの時のゴタッ小僧どもは・・・何つってもお前とも仲のよかったYとNが筆頭だろ?それに亡くなったNも1年の時は大変だった・・・あのバカやろうは俺より先に死んじまってなぁ・・・。あとは学校を辞めちまったMに、KとかTもしょっちゅうバカやってたなぁ・・・毎日毎日あんな連中とやりあってたから、俺は神経磨り減っちまって夜も眠れなかったよホントにー!」

「んな大げさなー でもYとNとは俺今も付き合ってますよ」

「おお知ってる知ってる、3年位前にあの二人と一緒に飲んだんだよ『Yが東京から帰省してるから一杯やろう』って連絡もらってな。その時だったと思うけど聞いたよ、何でもお前たちは卒業してからずっと同期の連中と正月に新年会やってるってな。同級会でもないのに家族ぐるみで毎年20人近く集まるんだって?・・・そういうのは普通ないと思うよ」

「そうっすねーホントよく続いてますね。もう私らにとっては当り前だから、みんなの顔を見て初めて年が明けるって感じなんですよ。メンバーが当時のゴタッ小僧ばっかりだし、類は友を呼ぶじゃないけどやたらと仲間意識が強いんでしょうね。それにその会の言い出しっぺが、実は亡くなった先生のクラスのNなんですよ。あいつが集まろうって言い出して、自分で初回の幹事をやったんです。そんな縁でやってきたからきっと俺らは死ぬまで続けると思いますよ。

でも先生も散々手を焼いた昔の教え子から個人的に誘われるってすごいじゃないですか
先生がヤツらに本気で向き合ってなかったら、やっぱり普通そんなことしないと思いますよ」


「ああ連絡もらったときは本当に嬉しかったよ。あいつらだからお礼参りでもされるのかと思ったけどな(笑)。まあ当時はこっちも初めての担任で歳も若かったから必死だったんだな。

ただな、お前達は確かにゴタだったけど、あの頃のゴタッ小僧は大人に対して向かってくる姿勢はしっかり持ってた。ことの是非はともかく、自分の主張をいつもはっきりぶつけてきてくれた。だから争うことも多かったけど、本気でやりあえたからきっと信頼関係も強くなったんだと思う。仲間意識ってのも今とは違う。お前たち同期の連中が30年たった今でも付き合っていられるのは、単なる馴れ合いのオトモダチじゃないからだろう? 高校時代からお互いに言いにくいことでも正直に言い合ったり、本気で喧嘩したりして、そこから逃げ出さなかった奴らが今も一緒にいるんじゃないの? それがホントの仲間だと思うけど、残念ながら今時のゴタ小僧にはそういうところがないんだよ。言いたいことががあるのかないのか、何を考えてるのか分からんヤツが多い。教師に対してもその場では『ハイ』って分かったような振りをするけど、結局『そんなの関係ねェ』ってことを見えないところで言ったりやったりしちまう。お前たちだったら『どうしてそれがいけないんだ!』ってぶつかってきたんだけどな、そこが一番違うんだ。だから今のゴタ小僧たちが大人になったときに、教師との付き合いは学生時代だけ、本気で支えあえる仲間なんて持てないんじゃないかと思うんだ・・・。ひょっとしたらそういう付き合い自体、自分には必要ないって考えてるかもしれない。俺も今まで7回担任持ってきたけど、最近どんどんその感覚が強くなってるなぁ・・・寂しい限りだよ…」


これは今の子どもたちに責任があるわけではありません。

ほとんどの人が我慢とか忍耐という言葉を必要としない裕福な社会環境や家庭環境に恵まれ、欲しいものは何でも与えられるそんな時代に彼らはおかれているのです。だからこそ、親の向き合い方一つで子どもの価値観はどのようにでも形成されるのです。

全ての責任を学校や社会に転嫁する親、金だけ渡して勝手にやれという親、我が子さえ叱れない親・・・
TVドラマに出てくるような親が現実にたくさんいると先生は嘆いていました。

本当に大切なことは何か、守るべきものは何か、それを私たち親がしっかりと捉える力量を持ち、その上で子どもたちを導くことができなければ、先生の抱く危惧は現実になってしまうのではないでしょうか。


30年ぶりに再会した先生の言葉は、まさに今時のゴタ小僧を持つ私にとって、自分を省みる貴重なものとなりました。

先生 ありがとうございました! 今度はあいつらと一緒にまた飲りましょう!