2009年12月31日

今年の重大ニュース

『うわ~ うまッ!! こりゃかなわんわ・・・』

3点目のヘディングシュートを決められたとき
さすがに全身から力が抜け 思わず呟いてしまった

強風吹き荒れる浦和レッズの本拠地埼玉スタジアム2002

全国高校サッカー選手権 この大晦日 娘の母校の応援に駆けつけたが
試合は1-4 力の差を思い切り見せ付けられる結果となり
身も心もさむい一日となってしまった

しかし最後まで精一杯のパフォーマンスを見せてくれた選手達は
この仲間とプレーすることが最後である事実を認めたくないのだろう
涙を流しながら抱き合い 互いに感謝の言葉を掛け合う

彼らはまだ気付いていないが 本当にすごい経験をしている
こんなシーンを見せてもらうといつも思う

今こみ上げているその感覚 それを忘れずに力強く生きて欲しい


さてさて今年も残すところあと僅かとなりました。
ちょっとほろ酔い気分で嗜めていますが お許しを・・・

今後たぶん年末恒例ってことになると思いますが、今年我が家に起こった重大ニュースをピックアップしてみたいと思います。

まず一つ目は 「長男のデザイン広告が渋谷を席巻」 

東京のデザイン会社で働く長男の某携帯電話会社の広告デザインが採用され、今年10月頃から渋谷のあちこちにその広告看板が掲示されました。



朝方まで会社に詰めっ放しで仕事をすることも多いようですが、彼の作品がこれだけ大きく取り上げられたのはもちろん初めてです。
この経験を糧にして、今までとはまた少し違った目と心で自身の仕事に向かってくれるものと信じています。(渋谷に行くことがあったら探して見て下さい。駅周辺に数ヶ所あるようです)


二つ目は「次男 オヤジと同じ病気で入院」

今年11月のある朝、仕事に行ったはずの次男坊から「胸が苦しくなって日赤に来たんだけど 入院になるみたいだから来てくれる?」という電話が突然入りました。

肺の内部に余計な空気が漏れて呼吸を困難にする「自然気胸」という病気です。

実は私もちょうど二十歳の頃に患ったんですが、どうも体質的な問題が主な原因ということで、そういえば私の父も確か40代に同じ病気で入院し、何でも背中から長~い注射針を刺して空気やら水を抜いて大変だったという話を思い出しました。明らかに遺伝ということでしょう。

また、私の頃は何も治療する術がなかったらしく、とにかく一週間入院して、その後一ヶ月自宅で寝ていただけなのですが、医療技術が進んだ息子の時代は、脇下から肺にカテーテルの管を通し余計な空気を抜く治療が施され、僅か3~4日で退院し10日後には仕事に復帰していました。

まあ実際のところ大事なくてよかったのですが、彼にとってはビジネスマンでありながら、若さに任せて週末に朝晩寝る間もなく遊び回っていた付けでもあると認識して、また一歩大人になるきっかけになれば、これもまた教訓と捉えておきたいと思います。


三つ目は「オヤジ 遂に禁煙・・・いや絶煙」

今年9月に、30年お世話になったタバコからやっと卒業させていただきました。

きっかけは、シルバーウェークに帰省した長男と家で一杯やりながら、仕事や将来のことなんかをダラダラと朝方まで話していたときのことでした。ちょっと酒が進んでからの息子のタバコの量が明らかに増えていく姿を見ながら『あ~ 俺も若い頃こうだったんだろうなぁ・・・やっぱ息子ってオヤジとおんなじことするんだ オヤジがバカやってりゃ結局子どももバカやるわけだ・・・』

まったく今さらなんですが そのときの私のオヤジとしてのスタンスというか立ち位置が情けなくて『あー もうやめよ! もーやめた!』と、何故かいとも簡単にその気になってその日から止めました。

絶煙したことが自分にとって良いの悪いのはともかく、親子というのは本当に鏡の関係であることを思い知らされる出来事となりました。


最後は「オヤジ PTA会長になる」

今年私ら夫婦の母校でもある娘の高校のPTA会長をやってます。

私の半生で学校のPTAほど無縁なものはなかったのですが、何の因果かお鉢が回ってしまい止むを得ず引き受けることになりました。

ただこれが・・・流石に何でもやってみなきゃということなんですね。
私学のこと、母校のこと、とにかく自分が知らないことの多さにビックリしました。

平日に休んだり中抜けすることも多く事務所には正直迷惑もかけていますが、おそらく現在自分の勤務する仕事の世界以外で、このような活動ができる機会はないと思います。

冒頭のサッカー選手権応援も、そのお役目という色彩が強いことも事実ですが、やるからには好き嫌いのレベルではなく、自分ができる限りの行動はしていこうという思いで今年一年携わってきました。

しかしそのおかげで通常の生活では巡り合えなかったであろう多くの方々との新たな縁を持つことができ、一方で、私が学生時代にお世話になった旧知の先生方とも別の立場で交流を深めることもでき、会長職に就いたこと以上に大きなサプライズを戴くことができました。


人生というのは本当によくできたというか不思議なもので、一般的には家庭を持ち子育てが終わる頃、今度は年寄りの世話が始まり、いつも何かに追われながらもその中で小さな喜びや感動を与えられて生きているような気がします。

年齢的にも“仕事”の世界だけではなく、家族を通した組織やサークル、町内や自治体といった色んな世界に携わる機会がこれからもっと増えてくることでしょう。

そのすべてに共通して言えることはただ一つ、自分がどう向き合うかだと思います。

私は「いただかなければいけないものは いただかなければいけないものだ」の精神で
どうせやるなら“楽しく”をモットーに、向き合っていきたいと思っています。



「お前の重大ニュースってなんかないの?」

とんとニュースのないカミさんに聞いてみた

「ニュース~?・・・ 別にないよネエ~ 今年も平々凡々変わりなし!」  

「それが一番幸せなんじゃない?」

「そう? 私は身を焦がすような刺激が欲しいわ! ア~ッ」

「・・・」


おっと年が明けました 2010年も何卒ヨロシクお願いします!




2009年11月29日

教訓

「この度はご愁傷様でした・・・
本当に・・・突然のことで・・・何と申し上げていいか・・・」

「いえいえ とんでもございません・・・
お忙しいところありがとうございます・・・」


先週お葬式があり参列してきました。
亡くなったのは事務所のメインバンクにお勤めだった53歳の男性です。

当然バリバリの働き盛りでもあり、ようやくこれから家族や自身を振り返る余裕が少し持てるかなという時期でもあります。

それが土曜日の日中に突然クモ膜下出血で倒れ、救急車で病院に運ばれたのですが、日付が変わった翌未明、家族にひとことの言葉をかけることもないまま息を引き取ってしまったそうです。

おそらく真っ白になっている頭と心を必死に整理しながら、気丈な態度で会葬者への挨拶を返す奥様と二十歳になる一人息子のご長男、そのお二人を支えるように横に立って一緒に頭を下げる弟さん夫婦
ご両親は高齢なうえショックがあまりに大きく、自宅で喪に服しておられると伺いました。

本当にかける言葉が見つかりませんでした・・・


実は、この方は私の高校の先輩でもあり、弟さんはまたその高校で私と同期の友人でもあり、そして件のメインバンクは家内が独身時代に勤務していた会社なので、家内にとっても元上司という関係でとてもお世話になった方です。

そんな縁で、不動産を少し持っている彼のお父様と彼本人の確定申告もここ数年私がお手伝いさせていただいており、事務所にとってはお客様でもあります。今年もほんの2ヶ月前にお会いして、いつもと変わらない元気な笑顔を拝見しながら、一緒に半年分の帳簿を整理したばかりでした。
残念でなりませんが、これも受け入れなければならない事実です。


私が懇意にしていた人物で、若くして亡くなってしまったのは彼で4人目です。

私が26歳のとき、以前働いていたパブで大学在学中ずっとアルバイトをしてくれていた男性が、卒業後郷里の九州長崎に帰郷した翌年2月、心不全を患い亡くなったとご両親から連絡を貰いました。
享年23歳でした。

彼はこちらにいる間、私と家内を兄や姉のように慕ってくれていました。私たちも純朴な彼の人柄が大好きで、しょっちゅう家に呼んでは一緒に飯を食ったり、恋の相談にのってあげたりして、本当に弟のように可愛がっていました。
四十九日を過ぎて、とにかく一度私たちに会いたいと九州から来てくれたご両親が、『息子は亡くなる直前まで今年の6月にあなた達の結婚式に行くことを一番の楽しみにしていて、毎日のようにあなた達との思い出話をしてくれていたんですよ』と仰ったときは、私も家内もその場に立っていることさえできませんでした。

その2年後、瓦店を営む親父さんの後を継いで、その会社をもっと大きくしようと大志を持って懸命に働いていた私の高校時代からの親友が、奥さんと幼い二人の子どもを残し、仕事中に屋根から転落して意識が戻らないまま帰らぬ人となってしまいました。享年28歳でした。
私は気が遠くなるような悲しみの中で、号泣しながら弔辞を述べましたが、何を話したのかほとんど記憶がありません。

当時は私も若かったので、彼らの死は本当に信じがたく、その事実を受け入れるためには相当な時間が必要でした。

そして4年前ですが、現在も事務所の顧問先である企業の経理責任者だった男性が出勤してすぐ会社で倒れ、救急車で病院に運ばれましたが、ほどなく息を引き取ってしまいました。急性心不全、享年40歳でした。
彼は以前別の顧問先の経理担当者だったのですが、その会社を辞めることになり、就職の相談を受けていた私がこの企業さんに紹介した方でした。とても勤勉で有能な男性でしたが、放っておくと夜も寝ないで仕事をしてしまうような男でもありました・・・


私も今年50歳を過ぎ、そろそろ自分の親の死に対する心の準備をしなければならない歳周りになりましたが、若くして亡くなった彼らのように、こちらにその覚悟がまったくない状態での突然の訃報は本当に辛い現実です。

しかし辛い現実だからこそ強烈に刻まれる教訓が私には二つあります。


一つは死というものが特別なことではないということです。
言い換えれば今生きていることが当り前ではない・・・
理想を言えばいつ死んでも後悔しないように生きたい・・・
それは、今、ここで、自分を精一杯生きること以外にないと思います。

そんな格好いい言葉でまとめるなと思うかもしれませんが、私にとって仲間とも言うべき彼らの「死」を我がことと捉えて本気で向き合えば、いつ命が途絶えるか分からない毎日を、我欲の赴くままに漫然と生きているわけにはいかないということです。

本当に大事なのは、そういう生き方ができるとかできないという評価ではなくて、今の自分を精一杯生きようという気持ちを素直に持つことだと思います。


そしてもう一つは、愛すべき家族のために最善の準備をすることです。

我々TKC会計人には「企業防衛」という本来業務があります。
この目的は中小零細企業経営者に万一不測の事態が起こっても、その後会社や遺族が路頭に迷わないように、万全の資金確保が可能な生命保険を付保するというものです。TKCが大同生命保険㈱と提携し、企業向けに独自の保険商品を設計して、我々会員事務所が代理店となって顧問先に推進しています。

保険が好きとか嫌いとか、保険料が高いとか勿体ないとか、そういった時限で行っている業務ではありません。私たちはその企業に最低限必要な「標準保障額」を算出し、それがその経営者にとっての絶対要件であれば、半強制的にでも加入を勧めます。そういう位置付けの業務だからです。

この「企業防衛」は基本的に法人を対象として行っていますが、先の彼らの死が、企業の防衛のみならず、普通の家族が安心して暮らせる環境を確保するために、一個人の「生活防衛」として絶対に怠ってはならない準備であることを教えてくれるのです。

少なくとも私たちTKC会計人は、企業防衛業務を遂行するために、これまで生命保険等に関する専門的なスキルを身に付けてきました。

従って、業務としてのお客様に対してはもちろんのこと、多くの仲間に対しても、機を逸することなく自信を持って最善の準備のためのアドバイスが積極的にできる存在でありたいと思います。



「ただいま~」

「お帰り・・・ お葬式 どうだった?」

帰宅すると神妙な表情のカミさんが問いかけてきた

「ああ・・・息子さんが今にも崩れそうなお母さんを気遣って対応してたよ
若いけどしっかりした息子さんだ!」


「そう・・・ウチの息子達は大丈夫かしらねぇ?」

「まあ俺が死んだら1億入るから お前が全然大丈夫でしょ・・・」

ちょっとアンター!! こんなときに言って良いことと悪いことが…

…フッフッフッ …でもホントに1億入るのよね~?」


「・・・ (怖っ)」



2009年10月31日

経営方針

「お父さん! 専門学校に行かせて下さい!」

「・・・そこで何の勉強をしたいの?」

「わたし 映画関係の仕事がしたくて・・・」

「お前・・・まさか役者になるの?」

「ち、違う違う!・・・裏方の・・・セット創ったりとか・・・」

「そうか・・・まあお父さん達が納得できるようにしっかり説明しなさい・・・」

「はい・・・」


来春高校を卒業する長女の進路もそろそろ決定する時期になりました。

ウチの子どもたちはカミさんのコントロールが上手いのか、進路、就職の話なんかはもちろんのこと、学校生活や友達、恋愛に関しても、本当に大事な話はみな直接私に向かって話をしてくれます。

皆さんのご家庭ではいかがですか、お子さんは本当に大切な話を大黒柱であるお父さんにまず相談されていますか?

これって家庭にとっては結構重要なことだと私は思います。

今日のスケジュールがどうとかは、毎日食事の支度や身の回りを見ている母親が知っていればいいことですが、自分の人生や生活に対する方向性や方針などを判断し、決定しなければならない事柄は、やはり家庭ではまず父親に相談できる環境を、父親自身が懐深く確保してあげたいものです。

ところが、忙しがってなかなか子どもの話を聞いてくれないとか、そもそも子どもの教育は母親の仕事だと居直っているとか、カミさんの主婦仲間からは父親と子どもとのコミュニケーションの希薄さに悩んでいる家庭が多いという話をよく聞かされます。

そして実はこれビジネスの世界に置き換えてもセオリーなんですね。

会社の営業や販促などは、取引先企業の決定権を持つトップや長に対して話をしないと意味が無いと言われますが至極当然のことです。少なからずその判断によって会社の盛衰が左右されたり、将来の方向性に影響を及ぼす話であればなおさら、企業のトップ、経営者へのアプローチが絶対的に必要になります。

そしてこれは私ども会計事務所という職域の人間にとっても、最も認識し実践していかなければならないことでもあるのです。


11月、新事業年度を迎えた私ども川崎会計事務所は、当期の経営方針として『経営監査の実践』を掲げました。経営監査とは当事務所の造語ですが、要するに「経営者との面談をポジティブに実践する」ということです。

皆さんの意識の中には、会計事務所というのは企業の帳簿付けと税金計算の手助けをする仕事というイメージが定着しているのではないかと思います。

それはそれで私どもの重要な仕事の一部ではありますが、現在の企業経営者の皆さんの会計事務所に対する第一のニーズとは、ご自身の事業経営に対する後方支援なのではないでしょうか。

時に経営に関する意思決定のサポートであり
時に将来に向けての方針へのアドバイスであり
時に「やりましょう!」という応援ではないかと思うのです。


私どもは今年度、得意先事業経営者の皆さんと「もっとコミュニケーションする」を目標に、具体的な方策も準備して取り組んで行きます。従って、巡回に来ても経営者と全然話をしないなんてスタッフがいたら(そんな奴はいる筈ないですが)遠慮なく張りっ倒してやって下さい。

ただ、皆さんにもご協力頂かなければならないことがあります。

まずは経営者の皆さん、私どもが伺うときは必ずそこに居て下さい。
30分でも結構です。私どもは今後巡回に伺ってすぐに帳簿をチェックするなんて無粋なことはいたしません。まず現在の業績をきっちり説明させていただき、経営者の皆さんの考えや思いを精一杯聴かせていただきます。

そしてもう一つ、『経営監査の実践』は皆さんの経理レベルが一定水準以上であることが前提です。これがクリアされなければ、これをクリアするために、私どもは相変わらず現金を合わせて下さいとか、科目が違うだのという古典的な「記帳指導」という業務に時間を費やさなければなりません。

正確な経理処理が当然にできていることが前提で、その正確なデータを経営者がきっちり読むことができて、その数字に基づいてスピーディな意思決定ができなければ、企業として生き残ることが難しい時代が既に到来しています。

今、売掛金残高はいくらあるのか・・・2ヶ月以上滞留している先は?
今、たな卸資産はいくらあるのか・・・不良在庫の有無は?
今、借入金残高はいくらあるのか・・・月々の返済元金はいくら?

経営者ならせめてこれくらいのことは知っていたいところです。
そして私たちはこれらを知っていただくための時間を必ず持ちます。

だからこそ、今年度の経営方針を『経営監査』としたのです。


川崎会計事務所も皆様に支えられて今年度開業30周年を迎えることができました。
(来年の今頃は30周年記念を何らかの形でやりたいと画策しております・・・)

正直言って所長を初め職員も・・・すっごい歳とりました。

だからこそ皆純粋にもっといい仕事がしたいと強く思っています。

綺麗ごとだけでは喰っていけない経済情勢であることは、私どもより経営者の皆さんが一番実感されていると思います。
そんな皆さんの思いを共有させていただくという姿勢を忘れずに、前述した事務所の方針を常に意識しつつ、今年度も徹底的にお付き合いしていくつもりでおりますので相変わらずよろしくお願いいたします。



「・・・分かった 自分の人生だ やるだけやってみなさい」

「ありがとう!」

最初からこちらの答えは決まっている
大事なのは娘が自分の言葉でしっかり話せるかどうかだ


ただ私に向かって真剣に話してくれることが嬉しい

たとえそれが分かりきったことでも
答えが決まっていることであっても

そのコミュニケーションが安心と信頼を育むに違いないのだ





2009年9月30日

ブランド

「おっ!いいキーホルダー持ってるねぇ・・・PRADAっての?」

「ああ・・・それ元カノから貰ったヤツだよ」

「元カノって・・・よくもまぁ抜けしゃーしゃーと使ってるなぁ」

「なんか問題ある?」

「問題あるって・・・そんなの使ってて今の彼女は何も言わないの?」

「・・・関係ねぇんじゃね?」

「ねぇんじゃね?って・・・普通そういうのはお前
別れたときに『バカヤローッ!』か何か叫びながら
海とかに向かって投げ捨てるってもんじゃない?」

「・・・それっていつの時代の話?」

「お父さんの青春時代の話だよ」

「古っ! 今は『ラッキー!』か何か言いながら
リサイクルショップに持ってって売りとばすってモンでしょ」

「・・・上手いね」


何とも情緒ってものが足りない世の中になったものです・・・昭和生まれのオヤジにとっては、息子達の言動には理解に苦しむことが何かと多い昨今ですが、とりあえずウチの息子が元カノから貰ったブランド物のキーホルダーを未だに使っていることは置いといて、今回はこの『ブランド』についてちょっと考えてみたいと思います。


“ブランド”とはもともと家畜に「焼印をつけること」を意味する “brander” というノルウェー語から派生したものだと言われており、現代では「他と識別するためのしるし」という意味を持つようになりました。

サザンオールスターズの往年のヒットナンバー「ミス・ブランニュー・デー」の“ brand-new”は、「真新しい」という意味で用いられていますが、「焼印を押したばかりの」という形容がもともとの意味のようです。

一般的にブランドというと、アクセサリーやアパレル関係、また自動車業界などの大手一流メーカーの会社名がそのままブランドとして認知されることが多く、これらは世界的に“NB”(ナショナルブランド)などと呼ばれています。

しかし近年ビジネスの世界におけるブランドという概念はかなり様変わりしてきました。

みなさんも最近新聞紙上などで頻繁に“PB(プライベートブランド)”という文字を目にすると思いますが、これはスーパーなどの小売業者が独自の製品を開発し、それらの製品にやはり独自のブランドネームを冠して販売するというもので、例えばイオングループの「トップバリュ」などが有名です。

また先月の日経MJ(旧日経流通新聞)には、全国有名百貨店やスーパーで青果仕入れを担当するプロのバイヤーを対象に実施したアンケートで、長野県産のリンゴとナシがそれぞれ日本一のブランド評価を得たという記事が載っていました。

これは信州に住む私たちにとってはとても嬉しいニュースなのですが、リンゴ部門で1位になった「長野シナノスイート」は、“ふじ”と“つがる”の交配品種で、果汁が多く、ほどよい甘みと少ない酸味で何よりその『味』が評価されてトップになったということです。因みに第2位には「安曇野林檎」がランクインしており、我が信州が金銀独占という何とも誇らしい結果となりました。また、ナシ部門で1位になった「長野南水梨」は“越後”と“新水”の交配品種で、糖度が高く貯蔵性に優れているという特色も評価されましたが、やはり『味』の評価で群を抜き、知名度ではNo1の鳥取「二十世紀梨」を抑えての堂々トップという結果になったそうです。

このように現代は、社会や顧客のニーズに基づいた研究開発に力を入れ、そこから独自のアイディアを生み出し、その製品化、システム化に向けた飽くなきチャレンジを繰り返すことによって、リンゴの一つ、ナシの一つでも“一流ブランド”と認知されるような可能性のある世の中になりました。

ここに大きなビジネスチャンスを感じませんか?

先の家畜の焼印にあるように“ブランド”の根本は「他との識別」という意味ですが、これは現代ビジネスの世界で言えば、巷でよく耳にする「他との差別化」に値します。

要するにウチには他社とは違う魅力、強みがあるということです。

しかし、ただ単にオレ達は差別化を図っているぞという自己満足の一方通行では当然“ブランド”には成り得ません。その違い(付加価値)を世間に認識せしめ、その確実性を世間に信頼されて初めて真の“ブランド”として認められるのです。

厳しい経営環境を強いられている今だからこそ、その業種や規模に関わらず、自社のプライベートブランド(他社に負けない強み・自社ならではの付加価値)を追求し、これを認知せしめる施策に経営資源を集中することが最も必要なことかもしれません。


私達も当事務所の提供するビジネスモデルが“川崎会計ブランド”として認知されるべく、試行錯誤を繰り返しながらその確立を目指して真剣に業務に取り組んでおります。そしていつか『会計事務所』という職業の世間の認識を、もうワンランク上の次元に持っていけるようなスキルを備えた事務所に成りますのでどうぞご期待下さい!



「お父さんのキーホルダー年季入ってるよねぇ・・・どこの?」

「ジャスコの1,980円だけど・・・何か問題ある?」

「問題あるって・・・何年使ってんの?」

「もう5~6年かな? でもお前にこの“照り”とか“熟れ”ってのが分かるかなぁ?」

「・・・うん! シブいよね」

「ほぅ分かるか・・・このしっくりくる安心感がホントの“ブランド”ってやつさ」

「・・・そういうもん?」

「あぁ そういうもん!」



2009年8月30日

リストラ

「お父さん ウチの会社一度に10人位辞めちゃったよ・・・」

ある晩 仕事から帰った息子が遅い夕飯を取りながらポツリと呟いた

「・・・リストラってこと?」

「よく分からないけどたぶんそうだと思う」

「もしそうなら事前に希望退職を募るとかって話があったんじゃないの?」

「いや・・・ボクはそんな話全然聞いてなかったけど・・・」

「そうか・・・じゃ個別に相談したってことかな・・・
まあ不景気が長引いててどこの企業もすごく厳しいから
人を減らしてでも何とか乗り切らなきゃって会社が多いからね・・・
でも人材ってのは本来宝だから 本当はやらない方がいいんだけどな」

「次はボクかもしれないけどね」

「・・・」


昨年春、高校卒業と同時に地元の物流会社に就職した息子は、自分の会社に最近起こっている異変に不安を隠せない様子でした。

彼は現在その会社の工場部門に配属されており、製品のメンテナンスや補充、設置などの業務に当たっています。彼が入社したとき、その工場には管理者、事務職なども含めて総勢30名ほどの社員さんが勤務していたそうです。

昨年の今頃は結構忙しかったようで、息子も土曜、祝日に出勤することも多く、残業もバリバリこなしていたように記憶しています。それが今年の春先から定時で帰る日が多くなり、そして今回、息子曰く社員の年齢や経験に関係なく、お世話になった先輩や仲のいい同僚が多数退職するという事実を眼前にして、無理もありませんが、この先どうなってしまうのだろうと自分のみならず会社の将来も心配になったようでした。

それからというもの、ウチのカミさんもまた「ねえ大丈夫かなぁ・・・あいつは辞めさせられないよねぇ・・・」などと、それこそ泣きそうな表情で焼酎片手に夜な夜な絡んでくる始末・・・まあこれもやむを得ません。何しろ彼女にしてみれば、新聞やテレビで他人事としか見ていなかった“リストラ”という事態がこんな身近な現実となってしまったのですから・・・


“リストラ”とはご存知のように「リストラクチャリング“restructuring”」の日本語版略称ですが、経営学の分野で著名な青山学院大学名誉教授森本三男先生の解説によれば、リストラの広義は、政治、経済、社会全体の根本的再構築を言い、通常は企業が経営環境の変化に適応するために、事業の内容や範囲を大幅に改革し再構成することで、企業再構築などと訳される。有名なところでは、旧ソ連のゴルバチョフ大統領が推進した“ペレストロイカ”がこれにあたり、その英訳が“リストラクチャリング”であると言われています。

さらに企業のリストラは、景気変動、技術革新、過当競争などの環境変化に適応して、自社が生き残るために不断に推進されるべきとされているが、特に不況や業績低下のような苦境下では、それがより厳しく求めらる。具体策としては、企業合併、不採算部門の廃止、事業分野の縮小・整理・撤退・売却、また有望部門・事業分野への経営資源(ヒト、モノ、カネ、情報)の集中投下などが挙げられる。アメリカではM&A(合併・買収)による徹底したリストラを実施することが多いが、日本では終身雇用制など制度上の制約が強く、大胆で徹底したリストラはしにくい、とも説かれています。

その日本ではいつしかリストラ=首切り・解雇・人員整理を意味するようになってしまいました。昨年9月の米国リーマンショック以来その様相は更に加速し、百年に一度の大不況の中、企業としては決して短絡的というわけではないのでしょうが、リストラによって数多くの人々が失職し、再就職できずに食うや食わずの生活を強いられている人が後を絶たない状況であることも事実です。

これに対し国は、そういった企業のリストラによる従業員の失業予防を目的として、景気変動や金融危機などの理由で収益が悪化し、事業の縮小を余儀なくされた場合に、従業員を一時的に休業・教育・出向させる際に支払う休業手当や賃金を助成する「雇用調整助成金」を支給する措置をとっています。

行政、企業、そして雇用者が、この厳しい不況を乗り切るためにそれぞれの立場で懸命にがんばっていると思います。

しかし、顧客のある経営者は「従業員は会社のことなんかちっとも考えてくれない・・・高い給料払ってやっても飲みに連れてっても結局自分のことしか考えないんだよ」と言います。またある経営者は「何とかして従業員の生活を守りたい それが俺の責任だから」と言います。一方である雇用者は「こんなにがんばってるのに給料は安いし会社は俺たちに何もしてくれない」と言います。そしてある雇用者は「こんなときだからこそ自分達の持ってる技術と知識を使って、新しい商品やビジネスモデルを開発したい」と言います。

たとえどんな時代になっても、企業経営は経営者と雇用者の信頼関係の上に成り立つ顧客満足を通した社会貢献であることに変わりはないと思います。いかなる状況であろうとも、組織の一員として、自分がどんな姿勢で仕事を全うするかに尽きるのではないでしょうか。



「あいつは大丈夫だよ」

「えっ? どうして?」

「あいつずっと仕事のアンチョコ作ってるの知ってる?」

「・・・アンチョコって?」

「だから新しく覚えた技術とか知識を書き留めてるってこと!」

「いつからそんなことしてるの?」

「会社に入った時からだよ・・・就職してすぐだったと思うけど
仕事ってのは“お前がいてくれないと困る”って言われるような
会社から必要とされる存在にならなきゃダメだって話をしたんだ
そのためには他の人にはない力を身に付けること
そのためには先ず今やってる仕事を徹底的に覚えること
それで考え付いたのがアンチョコ作りだったんだろうな
子供の頃からやってたサッカーノート様様だ・・・」

「ふ~ん それなりにがんばってんだぁ・・・」

「それなりって・・・まああんまり心配すんな
万が一首切られてもあいつはどこでも食っていけるよ
ちゃんと仕事に向き合ってるから」

「・・・そうだね」



2009年7月31日

対処

「ケータイが無いんだって・・・」

帰る早々娘が携帯を無くしたようだとカミさんからの報告

「いつから無いの?」

「午後プー(ウチの愛犬です)の散歩に行ったときからみたい・・・」

「ちゃんと探したの?」

「ウン・・・部屋も散歩のコースも探させたけど・・・無いって」

「で? あいつは今何やってるの?」

「部屋にいるんじゃない?」

「お前は・・・それで終わり?」

「何が?」

「何がって・・・のんきにテレビなんか見てていいの?」

「もう一度家中よく探して無かったらお父さんに相談しなさいって・・・」

「それだけかい・・・まあいいや・・・あいつ呼んでくれる」

暫くして娘が下りてきた

「・・・おかえり」

「何やってた?」

「・・・ちょっと寝ちゃって」

「ッタク!・・・顔洗ってこい!探しに行くぞ!」


人は誰でも色々な失敗をします。
本当に数え切れないほどのミスを日々繰り返しながら生きています。

大切な物を無くしてしまったり、大事な約束を忘れてしまったり、大きな事故を起こしてしまうような、それこそ一大事と言える失敗もあれば、弁当忘れちゃったとか、コーヒーこぼしちゃったとか、シャツ後ろ前に着ちゃったなんて笑って済ませられることもあります。

ただ、こういった様々な失敗に共通して言えることは、起きてしまった事実に対して後悔したり落胆したり、やたら原因究明や犯人探しばかりするのではなく、機を逸することなくどう対処するかが最も重要なポイントだということです。

もちろん失敗を引き起こしてしまったその時の気持ちや行動を反省し、原因を認識して同じ失敗をしないように注意しようとする心がけは必要ですが、起きてしまった事実に対して、自分が今何をしなければならないか、何ができるのか、そのしなければならないこと、できることを先ず本気で精一杯やることが何より重要です。

「なんで無くすの!」とか「どうして忘れるの!」などと、つい口走ってしまう(ウチのカミさんのような)親御さんをよく見かけますが、なんでとかどうしてが分かれば誰も苦労しません。しかも「だからあんたは・・・」なんて思い出したようにその失敗とは無関係な話を持ち出して、相手の全人格まで否定するような物言いをしてしまうことも往々にしてあるように思います。

何の失敗もしない人間なんてこの世にいません。最初から失敗しようなんて考えてる人間もいないでしょう。逆に失敗を恐れていては何もできないのも事実です。だから失敗すること自体は単なる事象であって、それがその人の価値や評価を下げるとか、その人自身を否定するようなものではないのです。

大事なのはあくまで失敗したあとの対処です。どういった対処をとるかでその人の人間力が計られもするし、その経験を次に活かすことが人間力を育む要因にもなると思います。「失敗は成功の母」であるとか「クレームこそビジネスチャンス」などと言われる所以もこの辺にあるのではないでしょうか。


私もこれまで失敗ばかりの人生を右往左往しながら生きてきた一人だからでしょうか、子どもたちが失敗したこと自体を叱責したことは一度もありません。しかし、その失敗に対しての対処が納得できないときは決して放っておくことはしませんでした。というより、そこは敢えて厳しく対応してきたつもりです。

今回も娘が携帯を無くした事実に対して叱りはしませんでしたが、「無い」と気づいた後の態度や行動は娘も、そして親としてのカミさんも明らかに不十分でした。

仕事から帰り、まだ少し明るかったので、私は娘を連れて犬の散歩で歩いた道を辿って、どの段階まで持っていたのかを思い出させるように話を聴きながら一緒に探し、家に戻ると娘には自分の部屋を大掃除するよう指示し、私とカミさんはトイレから玄関や洗面所までもう一度家中くまなく探しました。
みんなで一通りできることはやってみましたが結局見つからなかったので、私は近くの交番に遺失物届けの電話をかけ、携帯会社に連絡してオートロックと回線停止の手続きを済ませました。

私の行動を無言で見ていたカミさんは何も言いませんでしたが、その表情からは「無い」と聞いてから数時間、ただ探しなさいという言葉だけの対処をしていた自分に対する親としての反省の色が少し見えました。


失敗というのは自分一人で解決できる場合も多少はありますが、そのほとんどは必ず周囲の誰かしらに迷惑や負担をかけるものです。だからこそ、起こしてしまった後の対処を誤らないようにしたいものです。



「お父さん・・・あの・・・ゴメンなさい」

寝る支度を済ませた娘が今日初めて謝ってきた

「ああ・・・たぶんもう出てこないだろうから
明日お母さんと機種変更の手続きに行きなさい」

「・・・はい」

「無くしてしまったことは仕方がない
でもその後のお前の姿勢が気にいらない!

先ずお前にとってはとても大切なものだろう?
それに携帯は色んな情報が入っているから
もし変な奴に拾われたら悪用される可能性もある
免許や財布を無くすのと何も変わらないんだよ

それが無くなったんだからうたた寝してる暇があったら
親に言われなくても部屋中全部ひっくり返す位必死で探せよ!
真っ暗になるまで何度でも心当たりの場所を探せよ!

それがお前にできることだろう!
すぐにやらなきゃいけないことだろう!
失敗したときに何が本当に大事なのか
しっかり頭に叩き込んでおきなさい!」

「ハイッ!」


久しぶりに娘を真剣に叱った一日でした




2009年6月26日

挫折で終わるな

『負けちゃったわ・・・』

『バックサイドで見てた・・・完全に自信なくしちゃったね』

娘のおそらく高校最後の出場試合になるであろう公式大会は
そんなカミサンとの短いメールのやりとりで幕を閉じた


今春最終学年となってやっと選抜メンバーに残れるかと
本人も昨年秋の新人戦あたりから必死にがんばっていたが
(~3ゲーム差の落とし穴~2008/11)

毎年恒例のスーパー1年生の出現によりその道は絶たれ
先日開催された最後のインハイ予選にも出場できなかった

選抜を外れ、練習ではメンバーの玉出しや玉拾いに回り
大会や強化試合では後輩たちと一緒に準備と応援に回り

それでも腐らずに部内のムードメーカー役に徹していたようだが
肝心の自身のスキルとメンタルはここ数ヶ月で明らかに後退していた

前日行われたダブルスでは、やはり選抜外の後輩とのペアで臨み
それでも意地を見せて何とかベスト8までは勝ち上がったものの
準々決勝では第1シードに0-6で完敗

その1回戦から久々に娘のプレーを観戦した私は
結果勝った試合でも、以前に比べてボールへの執着心はなく
ミスする度に暗い表情でうつむくその姿に
「こんなに変わっちゃうかなぁ・・・」という驚きさえ覚えた


そして最後のシングルス戦を控えた朝
「試合を楽しんでこいよ」とだけ娘には声をかけたが

私らが思っていた以上に彼女が失った自信は大きく
とても試合を楽しむ余裕などなかったようだ・・・


私ら夫婦もOB、OGである娘の高校の硬式テニス部は、私らの現役の頃とは大違いで、現在男女ともに県内屈指の強豪校となっています。特に女子団体は春の選抜大会で昨年、今年と2年連続全国ベスト8という輝かしい実績を挙げており、当然県内外から毎年卓越した子どもたちが入部してきます。

そんな勝つことを宿命付けられたような部活なので、その選抜組(俗に言うレギュラーで基本8名)に入ること自体が、県大会のベスト8に残るくらい厳しい現実なのですが、メンバーに入れなければ春の全国選抜やインハイなど団体戦のあるメジャー大会には出場できず、練習でもメンバーのサポートに回ることが多くなり、大志を持った子ほど辛い部活になってしまうことも事実です。

OBである私らは勿論、娘にしても進学前からそんなことは百も承知していましたが、当時の彼女はどうせやるなら自分を伸ばすためにも、小中時代からずっと競い合ってきたハイレベルな子達と一緒にやりたいという強い気持ちと、ある程度の自信もあったようで、迷うことなくこの学校のテニス部を選択していました。

私ら親としては、ウチの娘のことだから仮に選抜に入れなくても、最後まで好きなテニスを仲間たちと楽しんでやっていくだろうとそんなに深刻には考えていませんでしたが、単純に選抜を外れたというメンタルの問題だけではなく、明らかに広がっていくメンバーとのスキルの較差を実感する毎日に、これまで自分なりに培ってきた自信や負けん気が急速に揺らいでしまったようでした。

一昨年、当時サッカー部で高校最後の選手権大会最中に、今の娘と同じような境遇にあった次男坊の姿を投稿しましたが(~スタンス~2007/10)、その中で夢叶わぬ挫折感を味わったときに、自分はその対象に向かってどんなスタンスをとるかがとても重要であることを息子に教えてもらったという内容の話を書きました。

今回、娘の姿を通して更に願うことは、今は精一杯無理をしてでも最後までそのチームの一員としてきっちり自分の役割を果たすというスタンスをとった上で、その後の人生においてもその対象に背を向けることなく、形はどうあれできる限り長く続けていって欲しいということです。一時の挫折感に押し潰され「もういいや」と本当に好きなことを切り捨て失ってしまうことこそ、自分にとって大きな損失になるのではないかと思うのです。

人がある時期本気で打ち込んだことは、たとえその時点での結果が自分の思いの丈まで届かなかったとしても、その過程で嬉しくも悲しくも数多くの経験を自らに与えてくれるはずであり、それらの経験は必ずや今後何度もぶつかるであろう様々な壁を乗り越える原動力となり、自己の成長の礎になるものだと私は信じています。



「試合どうだった?」

娘の大会が終わった日の夕方
帰宅した次男坊にカミさんが声をかけた

「オオッ! 準優勝だぜ!」

「ウッソ~ すごいじゃん!」

「どうせビギナー相手の大会じゃネエの?」

ビールを煽っていた私はすかさず冷やかした

「なにー!! これ結構レベル高いんだって~
 何たってNBSマイチャン・カップだし!」

「そりゃTSBだろ? いちいちスポンサー間違えんな
 それでおまえは試合に出てんのか?」

「マジで聞いてんの? オールフル出場だし
 まぁ相変わらず貢献度ナンバーワンじゃネ?」

「自分で言うな…」

「ガチでマジだってぇの! だいたい俺のドリブルって・・・」


高校時代にサッカーでそれなりに挫折を経験した息子は
社会人になった今、当時の仲間たちとチームを組んで
フットサルを楽しみながら続けている・・・


前日は最後かもしれないと母親から聞いて
妹の試合をこっそり見に来ていた

部内での妹のポジションを薄々知っている兄貴は
何も言わないが私らより娘の気持ちを分かっているのかもしれない

夕飯をとっていた妹の表情から察したのか
いつも以上に盛り上げようと私らに絡んできた

そんな不器用な兄貴の精一杯の気遣いに

落ち込んでいた娘が やっと笑った・・・

いつもはとぼけた息子だが 今日はやたらと頼もしく映った



2009年5月30日

定額給付金

「エーッ もらっていいのー?」

息子と娘が目を輝かせて声を揃えた

「あぁ・・・これは国が国民一人一人を対象にくれたお金だから
とりあえずウチではそういうことにしとくわ」

「ヤッター! おぉ2万円ダー! アリガトウ麻生さん!」

どうも娘は総理大臣からお小遣いを貰ったとでも思ってるらしい

「おいおい これ総理大臣のお金じゃないから・・・
元は毎日一生懸命仕事してる人たちが納めた税金だからね
まぁ景気対策の一環でもあるから貯金しなくていいけど
働いている人たちに感謝して心して有効に使いなさい」

「ハ~イ・・・ あれ?兄ちゃん働いてるくせに何で2万なの~?」

2枚の1万円札を電気にかざして見ていた19歳の兄貴に妹が喰い付いた


「給付金の額は社会人か学生かじゃなくて年齢によって違うんだよ
ただ兄ちゃんは今回ほんとラッキーだったけどね・・・
18歳以下と65歳以上の人が2万円ってことになってるんだけど
この制度に限ってはその年齢を判断する日が今年の2月1日なんだよ
だから兄ちゃんは今年2月24日の誕生日で19歳になったけど
2月1日の段階ではまだ18歳だったから2万円の枠に入ったの
もし兄ちゃんがもう1ヶ月早く生まれてたら1万2千円だったってわけだ」

「そうか~ 俺ってヤッパ何か持ってるな~」

「何言ってんの お前を産んだお母さんに8千円よこしなさい・・・違うかァ!」

名残惜しそうに金を渡したカミさんが最近気に入ってるノリ突っ込みを返す

「笑えネエし・・・意味分かんネエし・・・」


「・・・どうでもいいや ヨーシ明日からマックにガストにミスドだぁ!」

「(娘よ)お前は喰うだけか・・・心してな・・・有効にな・・・」

まァ無理もないか 臨時収入ってのは大人だってテンション上がるもんね・・・



さて、皆さんはもう定額給付金の支給を受けられたでしょうか?

自治体によって給付開始時期はこの3月から5月と結構ばらつきがあったようですが、当地松本市では今年の9月16日が申込み締切日となっているようなので、皆さんも失念しないようご注意いただきたいと思います。

昨年10月30日に政府与党が決定した「生活対策」「経済対策」に基づいて、景気後退下での家計への緊急支援という大義名分で、総額2兆円を限度とする定額給付金を実施する方向で総務省中心に調整に入りました。

その2兆円の財源は国民が納めた税金です。多額の税金を使うのであれば深刻な雇用対策にと、また景気対策と言ってもほとんど貯金に回ってしまうのではないかと危惧する声も多く、当初の世論調査では確か7割以上の国民が反対していたように記憶しています。

しかし、ご承知の通り今年3月4日に法案は成立し、現在は既に給付も開始されいるので、今さら定額給付金の是非に目を向けても仕方ないということで、一人の親としての私の考えを少しご紹介したいと思います。


どんな施策を行使する場合でも、そこには原因があり、そして目的と手段があります。この定額給付金も、前述したとおり、深刻な景気後退という原因に基づく緊急生活支援を目的とした一つの手段として行使されたものです。

こんな理屈を言い出すと、時事的には自民党と民主党がやりあっている政権交代は目的ではなく手段だ、そこを見誤ってはいけないというようなそもそも論でも展開した方が何かのお役に立つのかもしれませんが、私は今回の定額給付金という施策を、子供たちにとってとてもリアリティのある社会勉強の機会と捉えていました。

ここには当然ウチの子供たちが大人になりかけている世代であること、にもかかわらず日々のニュースにも新聞にもなかなか興味を示さないというウチなりの事情も正直あります。

ただ私は以前から、例えば子どものいじめや自殺、高齢者を狙った振り込め詐欺、政治家の贈収賄事件、はたまた有名芸能人の結婚や離婚騒動などのニュースが報じられると、それを題材にして子供たちとよく話をしてきました。

自ら興味の持てない新聞やニュースをそれなりの歳になったんだから読みなさい、見なさいと親が言ったところで理解できるわけでも頭に入るわけもないので、せめて実際に起こった事象を通して、それがただ良いとか悪いということだけではなく、その原因や背景、人の気持ちなどを子どもたちに話し、そして彼ら自身の思いも聴いたりすることで、「自分には関係ない」ではなくて、たとえ僅かでも我が事として考えたり感じたりすることができればと思ってのことです。

そういった機会を多く持つことで、物事に対して偏らない考え方ができるようになったり、身の回りに起こるちょっとした出来事にも目と心を向けられるような人間になって欲しいと、親バカながら淡い期待を抱いているのであります。

今回の定額給付金は、もともと生活支援が目的ですから、当然のことながら家族それぞれに分けなければいけないものではありません。その家庭の事情に即して運用すればいいわけです。

勿論ウチも経済的に余裕があるわけでも何でもないのですが、実際にお金が支給されるなんて現実的なシチュエーションは滅多にないので、ここはひとまずそれぞれに支給された給付金をそれぞれが受け取って、子どもたちもこの施策が行われた原因や目的を生の感覚で知り、今の日本がどんな状況なのかということに多少でも興味を持ってくれればと考えています。あくまで自論ですが、これが今回定額給付金を子どもたちに分け与えた私の思いなのです。



「そういえば お前定額給付金のことベラベラ喋んなよ」

翌日ちょっと気になって帰宅した娘にそれとなく釘を刺した

「エッ?・・・もう部活のときみんなに話しちゃったけど・・・」

「な、何て?」

「定額給付金もう貰った?って」

「カーッやっぱり~・・・昨日言っときゃよかったけど
それぞれの家庭で事情が違うし、貰って当り前じゃないから
もう大騒ぎしないように!」

「そうか・・・分かった」


親として何ともフォローが不十分ですが、真意をご理解頂ければ幸いです。




2009年4月29日

恩返し

「母さーん お久しぶりです!」

「いらっしゃ~い 元気だったー?」

「あれっ?マスターは?」

「いるいる~ そのうちその辺から出てくるんじゃない?」

「こんな小さい店のどこに隠れてるんですか」

「まあ入って入って ゆっくりしてって下さい」

「ハイッ お世話になりまーす!」


繁華街から少し離れた町の中心部を流れる川沿いに、ご夫婦二人で切り盛りする土蔵造りの小さな民芸スナックがあります。ここは私が社会人になって一番初めにいわゆる常連となった行きつけのお店なのですが、オープンしてからもう35年近くお二人だけで営業を続けていらっしゃいます。

私が結婚して家庭を持ち、歳を重ねるに従って最近は店を訪れることもめっきり少なくなっていたのですが、先日ある会合の二次会で久々に訪れる機会を得ました。


この店のマスターは、スポーツ刈りにした西田敏行のような風貌をしていますが、若い頃は都会のとある大きなリゾートホテルで販促や料飲部門のチーフとして長年活躍し、そこでサービス業のノウハウを身に付けたこの道のプロです。当時職場で知り合った今の奥さんと結婚し、故郷である当地に帰りこのお店を始めました。

奥さんは東北なまりが少し残るお世辞抜きに日本美人の方で、今でも若い頃とちっとも変わらない優しさと美しさを備えた素敵な女性です。

私は十代の頃から一回り年上のお二人を「マスター」「母さん」と呼ばせてもらい、当時はほとんど毎日仕事帰りに通っては旨い夜食をいただいたものです。もちろんウチのカミさんともしょっちゅう一緒に行っていたので、結婚前の若かりし頃から現在に至るまで、二人まとめてお世話になったまさしく親代わり、というか本当に頼りになる先輩夫婦です。

実は私とこのお店との出会いは結構衝撃的なものでした。

それは私が寿司屋で丁稚をしていたある日のことです。その寿司屋によく客を連れて来ていた常連のホステスさんが、何を思ったのか「一度ごちそうするから今日仕事が引けたらおいで」と、裏にそのスナックの地図を描いた名刺を差し出して私を誘ってくれたのです。

『ご・・ごちそう?ごちそうって・・何だ?』

当時私は19歳のすこぶる健康で好奇心旺盛な男子です・・・
困ったことにそのホステスさんは20代前半の魅力的な女性です・・・
関係ないけどウチのカミさんはそのとき京都の短大生です・・・

・・・どうします?


「お先に失礼しまーす!」

いつにない気合とスピードで板場の掃除を片した私はチャリで激走しました。

くれぐれも誤解しないで下さい。激走したのは寿司屋もそのスナックも同じ午前2時閉店だったからです・・・ホントです。

そして2時を少し回った頃、さすがに看板は消えていましたが店内からは灯りが漏れ、BGMや人の話し声も聞こえていたので、遠慮がちにガラガラッとガラス戸を開けて「こんばんは~」と暖簾の間から顔を出してみると、一瞬時間が止まった感じの後、すぐさま訝しげな表情のマスターがツカツカッと私のほうに近寄ってきて、強い口調で一言「今日はもう閉店です!お帰り下さい!」その威圧感に思わず後ずさりした私は、ガラガラパチン!と入り口を閉鎖され、何と門前払いを食らってしまったのです。

『エーッ!ホントかよ~』 これが私とマスターとの初対面でした。

まあ無理もありません。そのときの私の出で立ちが、寿司屋のユニフォームであるダボシャツに腹巻、おまけに角刈りに雪駄でしたから、マスターは明らかに危ない方面の人間だと思ったそうです。

しかも目当て・・・いや当のホステスさんは「近くのお店で働いてる若くてとても爽やかなお兄さんが来るから・・・」とだけ言って、私が着いたときには酔って奥のテーブルで寝ていたというではありませんか・・・マスターは私とその「爽やかなお兄さん」がとても同一人物とは思えなかったのです。

しかし、何だか誤解されているようで嫌だった私は、翌日ちょうど仕事が休みだったので、誤解を解こうと今度はそれなりの身なりで早めの時間にそのスナックに赴いたのです。ちょっとびっくりした表情のマスターを横目にカウンター横のテーブル席に座り、キープしたダルマを飲みながら話すチャンスを伺っていたのですが、カウンターの常連客と盛り上がっていたマスターに結局話しかけることができず、その日は黙って帰りました。

そして次の日、私は仕事帰りに今度こそとユニフォームを普段着に着替えてまた午前2時過ぎに行きました。すると前日までと明らかに違うマスター夫婦が笑顔で私をカウンター席に迎え入れてくれたのです。実はその日の夕方例のホステスさんが店入りの前に寄ったらしく、話しているうちに私が件の「爽やかなお兄さん」と同一人物であることが分かったというのです。平謝りに謝罪された私はホッとするやら嬉しいやらで、その日は朝方までマスターと語り明かしたのでした。

この話は今でもこの店の語り草になっていますが、それから一気にマスター夫婦と打ち解けた私は、一緒に旅行に行ったり、予約で忙しい日には店を手伝ったりして、本当に家族のようにお付き合いさせていただきました。


そんなマスターはご自身もとても勉強熱心な人ですが、私が飲食に携わっていた頃は、経営や接客、サービスのイロハを真剣に教授してくれました。そんな中で今でも私が教訓としている話があります。

「水商売だってただ好きだからとか持って生まれた器用さだけじゃ長続きしない。本気で勉強して食材の一つ、酒の一つにきちんとした知識を身に付けることが大事。仕事ってのは人に言われてからやってるようじゃダメ、人と同じことをやってるだけでもダメ、人が嫌がる仕事でもさらっとできるようになって初めてお客様の気持ちが分かるようになる。お客様の気持ちが分かるようになって、そしてその気持ちに応えられるようになって初めて一人前なんだ。」

ときに厳しくそしてときに優しく、公私に亘って色んなことを教えていただきました。

若い頃、金がなくて暫く店に顔を出さないでいると、心配して連絡をくれたマスターに「いいから出ておいで」と言われ、行ってみると奥のテーブルに母さんが作ってくれた鉄鍋一杯のおじやが用意されていたこともありました。何も言わずに、でも笑顔で手招きするマスターと、やっぱり笑顔で当り前のように冷たい麦茶を持ってきてくれる母さん。私はその世界一おいしいおじやを涙を流しながら一粒残さず食べました。

ちょっとした事情があって家族と離れて一人暮らしをしていた私のことを、お二人はすべてお見通しだったのです。私にとっては決して大袈裟な話ではなく、あの時代にこのお二人と出会っていなかったら今の私はないと思っています。そんなお二人にいつか恩返ししたいとずっと思っているのですが、私がしっかり仕事をして、家庭を大切に幸せに生きてくれることが一番の恩返しだと言ってくれます。


久々の再会でいつの間にか店にいたマスターとそんな昔話をしていると、傍らで笑いながらも懐かしそうに涙を拭う母さんを見て、またカミさんや息子達を連れてこようと思うのでした。

今度は私がお二人に元気を与える番です
これからも健康でがんばって下さいね!

2009年3月31日

フィニッシュ!

「お~い 洗面所のタオルどした?」

洗面所のタオル掛けにタオルが掛かってない

「あ~なかったっけ・・・新しいの出しといて~」

まったく平気な感じでカミさんの声が飛ぶ

「お前が最後に使った人?」

「そうだけど・・・」

それが何か?という感じのスッとぼけた声が再び飛ぶ

「なんですぐ換えとかないかな~」

「だから・・・掃除の途中だし・・・洗濯もあるし・・・」

きたきた・・・『ゴメン!悪いけど』程度の言葉を頭に付けて
『掛けといて』って言っとけばサラッと片付く話なのに・・・

「掃除洗濯とタオル換えないのとどういう関係があんの・・・
古いの片付けたら新しいのを用意して一つの仕事が終わりだろ?」

「なに仕事の終わりって・・・タオルくらいでホントおおげさなんだから」

「あのね~(一事が万事なんだけどなぁ)・・・」



恥ずかしながら我が家ではこんな件がしょっちゅうあります。

確かに相手はたかが洗面所のタオルです。
これがゴミ箱のゴミ袋のときもあります。
シャンプーやティッシュペーパーのときもあります。

「おまえら使い終わったら次出しとけよ!」が口癖になってしまうほどです。

細かいと言われればそれまでですが、日常よくあるこんなことが結構大事なことではないかと私は思っています。

どんな仕事にも終わりがあります。でも、その仕事の終わりがどこと捉えているかは人によってかなり違いがあるようです。


以前ウチの事務所でも、「皆が共通して使用する書類のストックが最後の一枚になったらストック分のコピーをとってから使いましょう」という改善提案が出たこともありました。

ほとんどの方は、そんなの至極当り前だと思うことでしょう。
もちろんウチのスタッフにしても、言われれば「そんなの常識」と思う話です。

しかし、現実に使おうと思ったサラの書類が一枚もなかったから出た改善です。
しかも、その事実が一度や二度ではなかったから敢えて提案されたのだと思います。

聞けば当り前と思うことでも実際にできないのは何故でしょうか?

ベタですが、これは「思いやり」という意識の問題に他ならないと思います。

これまで例に出した些細なことは、どれも機械的に「こうなったらこうしましょう」と規則付けるようなことではないのです。よくモラルという言葉でも形容されますが、その真意は普段からどれくらい周囲に目と気持ちを配り、どのくらい相手の立場でものを考えることができるかという人間力以外の何ものでもないと思うのです。

少なからず本当に思いやりのある人というのは、次にそれを使う人、それを見る人のことを普通に頭に置きながら仕事を進め、締め括ることができるような気がします。

仕事のフィニッシュがどこなのか、その捉え方は結局自分主体の目線なのか、それとも周囲主体の目線なのかで決まってくるのかもしれません。

先ほどから「仕事」という言葉で表現しているので、フィニッシュの重要性をビジネスの世界だけに傾倒されると困るのですが、私が「ここまでやってフィニッシュ」が重要だと思うのは、繰り返しますが実生活での自分がとっている行動です。

ビジネスにおける一般的な「仕事」は、当初から求められた一定の出来栄えをそれぞれに任された責任と専門性に基づいて遂行することが多いので、そのフィニッシュはある程度画一的なものとなり、ここで言う「思いやり」を伴ったフィニッシュとはちょっと違う次元の話です。

ただ、実生活でとる行動のフィニッシュが、周囲に対する思いやりを持って締め括ることができる人は、ビジネスにおける仕事の出来栄えもまた優れていると確信しているのも事実です。



「髪の毛始末しろコラ!」

毎朝洗面台で朝シャンするナルシスト小僧を一喝

「アッごめん・・・」

「テメーの抜け毛を一体誰に片付けさせるつもりだ!
次の人が気持ちよく使えるようにしてフィニッシュだろ!」

「ハイ!」


細かろうが何だろうが言い続けるのだ

2009年2月28日

特効薬

「お土産は何がいい?」

「BBクリーム!!」

カミさんと娘が声を揃えた

「ビービー・・・?」

「ほら おねぇマンズのIKKOがテレビでよく紹介してるヤツよ」

「そうそう あのユンソナも愛用してる有名なヤツだって」

「今や韓国って言ったらBBクリームよネェ~

何かにとり憑かれたかのようなテンションで二人が畳み掛ける

「ヤツヤツって何・・・化粧品? まあ何だか知らんけどあったら買ってくるよ」



「アニョハセヨ~」「カムサハムニダ」「チョンペケスミダ」の3つの言葉だけを携えて、昨年の暮れクリスマス直前に娘の学校の関係で韓国釜山に3日間行ってきました。

韓国といえば今から20年位前に一度、そのときは事務所のリスクマネジメントキャンペーンの表彰旅行で首都ソウルに行かせてもらったことがあります。

当時の韓国はちょうど経済成長の過渡期で、ソウルを中心に各地で大規模な都市開発が盛んに行われており、車社会への変貌を遂げようとする活況の真っ只中にありました。

その一方で過去の戦争などがもたらした反日感情がまだまだ根強く残っていた時代でもあり、出国する直前に添乗員の方から「現地の人の前で『バカ』などの刺激の強い言葉を発しないように・・・」なんて注意を受けたことを覚えています。

また、表彰旅行ということもあって、観光客の物見遊山を満足させる内容だったので、食事やオプションも日本人の旅行者向けにセッティングされたよくあるイイトコ取りの観光旅行だったと記憶しています。

しかし今回の釜山はそういった旅行会社の企画モノではなく、学校の国際交流を目的とした視察旅行として実施されたもので、実際に現地で我々を接待してくれたのは学校の先生や学生その保護者の方々など一般市民の皆さんだったので、逆に韓国の人々が日常を過ごすその場所で通常の生活ぶりを見て聞いて体験することができ、今まで知らなかった習慣や文化の違いに結構強いカルチャーショックを受ける旅行となりました。

皆さんもご存じだと思いますが、韓国は今猛烈なウォン安で日本同様深刻な不況の波に見舞われています。確かに韓国第2の都市と言われる釜山でも現地でお会いした方々からは不景気で厳しい生活環境を強いられているといったお話をあちこちで伺ったのですが、ただ実際にその生活拠点である町の市場や繁華街を歩いてみると、平日にもかかわらず多くの若者が繰り出していて結構活気があり、何というか昭和の終わりの頃の日本にいるような感覚になりました。歩んできた歴史や文化の違いでしょうか、それとも本来持つ国民性でしょうか、現地の方々の表情からは何とかこの悪い状況から這い上がろう、脱却しようという雰囲気が老若男女を問わず強く感じられました。


隣国もさることながら、この日本も現在100年に一度と言われる未曾有(「みぞうゆう」ではありません)の大不況の渦中にあります。

大企業の赤字転落や非正規社員切りそして内定者の取り消しなど毎日不安を煽る記事が新聞紙上を賑わせていますが、私どものお客様もその業種や規模に関わらず、厳しい経営環境におかれながら募る危機感の中で懸命に現業に従事されています。

その厳しさや業況悪化の現実は、もちろん数字を見ている私ども会計事務所の人間が一番よく分かります。そんな私らとしては、生の数字から課題や改善点を経営者の方々と一緒に考え、親身になって助言進言を行うことで少しでも関与先の健全経営のお役に立ちたいと思いながら日々業務に当たっているのですが、そんな折りよく聞かれることがあります。

「何か儲かる商売はないかい?」

確かにそんな商売があったら誰でもやってみたいものです。もちろん経営者の皆さんもそんな商売がないことは最初から分かって仰っているのだと思います。

企業経営に誰がやっても儲かる、誰にでも効く特効薬なんて存在しません。

遠い昔からあれがいいと言えばそれに乗っかり、これがいいと言えばまたそれに乗っかるような商売をしてきた輩がビジネスの世界で生き残った例はありません。中にはたまたま時代の流れに乗って一時的に富や名声を得るものも現れますが、それこそバブルと比喩されるようにそんな信念のない企業が継続するわけはないのです。

私は先のような質問を受けたときは決まってこう答えます。

「他では手に入らない自社製品を持つか、他では受けられないサービスを提供することですね・・・」

ある意味特効薬みたいな話に聞こえるかもしれませんが、この日本にも一握りのこういった企業が存在することは事実です。

しかし私が本当に経営者の皆さんに伝えたいことは、だからそんな製品を開発しましょうとかそんなサービスを提供しましょうということではなく、その一握りの企業に共通するある一つの事実なのです。


それは経営者が決してぶれない経営理念をしっかり持ち続けていることです。


こんなときだからこそ、経営者の皆さんは今一度なぜこの仕事をしているのか、どんな夢や目標を持ってこの仕事を続けてきたのかをじっくり確認することがとても重要ではないかと思います。そしてその思いを改めてご自身の経営理念として掲げ、その実現のための課題を明確にしてこれを一つずつ確実にクリアしていくことが、真の永続発展につながる手立てではないかと思うのです。

私ども会計事務所も含め、ほとんどの中小零細企業は同業者との競合のなかで事業経営を展開しています。限られた顧客に対して同じ仕事を提供する事業者が同じ地域にたくさんいるわけですから、ユーザーが事業者を選別するこの時代に誰もが等しく生き残っていけるわけではありません。だからこそ、自社の経営理念を再確認し、全社員とこれを共有したうえで、しっかり汗をかいて顧客に喜ばれる質の高い仕事を確実に提供することが、生き残る企業となるための唯一の方法ではないかと思います。



「ハイ!純正BBクリームクリスマス仕様 コンパクト付きだよー!」

「オーッ!!」

カミさんと娘が声を揃えた

「これが噂のBBクリームか~」

「これで今日から私たちも美肌美人になるのね!」

数十年間紫外線の洗礼を受け続けているカミさんと
現在進行形の一年中真っ黒娘がなんか勘違いしている

「おいおい 美肌美人に特効薬なんてないんじゃない?
女は純粋で素直な気持ちを持った心美人にならなきゃ・・・」

「あ~うるさい! 女の現実は厳しいのよ 藁をもつかむ思いなのよ」

「お母さんお母さん・・・それよりこれいつどうやって使うの?」

「ン?・・・ウン・・・知らない」


あ~あ だめだコリャ!

2009年1月30日

恋愛応援団

「おじゃましました~」

仕事から帰宅して、まさにこれから風呂に入ろうと
はだけたYシャツにパッチという出で立ちでうろうろしていたら
背中から聞き覚えのある若い女性の声・・・

「ウオッ! な・・・なに? 彼女来てたの?」

「あ、ああ もう帰るから送ってくるね・・・フッ」

鼻ですかし笑いをしながらバカ息子がこともなげに言い放つ

「もう誰か教えろよ~ ごめんねこんな格好で・・・」

「アッハッハッ 大丈夫ですよー」 って

いやいやいやいや こっちは全然大丈夫じゃない
一応理解のある良いお父さんを気取ってるわけだから
この格好はまずいでしょ・・・ホント頼むわ


ウチの息子たちがそれなりの年頃になった数年前から、彼らがそのときの彼女を家に連れてくるようになったので、我が家ではこんなハプニングも稀に起こるようになりました。

長男は今のところ東京暮らしなので彼女がウチに来ることはありませんが、あっちで今お付き合いしている彼女とは、週末一緒に料理を作ったり、デートをしたりヨロシクやっているようだとカミさんから聞いています。なので今のところは昨年地元で就職してウチで暮らしている次男の彼女がちょくちょくやってくるという感じです。

また、残念ながら今年高3になる娘はまだ一度も彼氏を連れてきたことはありませんが、やはりカミさんの情報では未だに一度も特定の彼氏なる存在はいたことがないとのことです。

それはそれである意味心配でもありますが、実際もし娘が半ケツ出したような今時のチャラい小僧でも連れて来ようものなら、今度はこっちがオヤジの本性を抑えることができるか心配なので、とりあえず今のところはそっとしておこうと思ってます。

まあウチの娘がそんな小僧を好きになるなんて万が一にもありませんが・・・
いや十中八九ないはずですが・・・
たぶんないと思いますが・・・
ないことを祈りましょう・・・


私は子ども達が中学生くらいの頃から、彼らに「人を好きになることはとっても良いこと 人から好かれることはもっと良いこと だから若いうちにどんどん恋をしなさい」と話してきました。
もちろん、まだ大人になり切らない若者が付き合う上での常識やルールをしっかりわきまえる必要があることも同時に話してきたつもりです。

色んな考えがあると思いますが、いい恋愛は彼ら自身の心を成長させてくれると考えていますし、親はそんな恋愛がオープンにできるように子供たちを育て、応援する立場にあると思っています。


恋愛の最も良い点は、自分よりも相手のことを考えるようになることです。


相手に好かれたいから、嫌われたくないからがきっかけですが、それでOKです。
彼女が喜んでくれるプレゼントは、彼女が好みそうなお店は、彼女に似合う服は・・・それまで自分のことしか考えていなかった男が、そう考えるようになることが貴重なのです。


確か長男が中学生のときに私にこんな質問をしてきたことがありました。

「大人と子供の違いって何?」

私は暫し考えてから答えました。

「自分のことしか考えられない人が子供、先ず相手のことを考えられる人が大人。だからお父さん位の歳になっても、自分さえ良ければいいって考えてる人はみんな子供だ。そしていい歳したそういう人を世間ではガキって呼ぶんだよ。」

「ふ~ん・・・」

当時の息子にはちょっと難しかったようですが、本当に好きな人といいお付き合いをしたいと思えば、自然相手のためを先ず考えるようになるだろうし、いつか結婚して子供を育てるようになって初めて、その真意を実感してくれるのではないかと思っています。

若い頃に恋愛の対象がしょっちゅう変わるのも、自分本位の子供であるが故だから当然なのです。
しかし、いい歳をして離婚だのDVだの、果ては自分の子供や伴侶を殺してしまうような事件が後を絶たない今の世の中は、救いようのないガキが多くなってしまったということなのでしょうか・・・


とにもかくにもお互いを高められるような素敵な相手を見つけて恋愛に真剣に向き合い、彼女のためにもっといい男に、彼氏のためにもっといい女に、という思いで色んなことにチャレンジして魅力ある大人になってもらいたいものです。



「お前 今日彼女来るんだろう? 部屋掃除しなくていいのか?」

「ああ・・・ 別にそんな気にしないから・・・」

「気にするとかしないじゃなくて、お前なら遊びに行ったとき
片付いてる部屋とゴミ箱みたいな部屋とどっちが気分いい?」

「・・・・・・」

「相手の立場になってもの考えなきゃすぐ振られちまうぞ!」

「分かったよ・・・」

ちっとも分かってない