2010年7月31日

奇跡の裏付け

「えっ? 取ったの? うわー取ってるじゃん! スッゴ~い!!」

ゲームセットと同時に 毎度おなじみカミさんの雄叫びが響き渡った

「いやいや ホントに勝っちゃったかぁ~ しっかしすごい試合したな~」

こちらも鳥肌ものの好試合に 興奮冷めやらず暫し動けなくなっていた

「これって球史に残るってやつだよね きっと…」

「あったりまえだのクラッカーだな(古っ)
こんな試合ここ最近記憶にないよ
それにしても敵ながらいいチームだったなぁ~
早速あいつに祝福のメールでも入れといてやるか…」



高校野球夏の甲子園 当地長野県の決勝はなんと60数年ぶりの松本決戦。

突然ですが みなさんはご存知でしょうか?

今から14年前、ここ松本市をロケ地として、TOKIOの長瀬智也と酒井美紀の主演で大ヒットしたテレビドラマ「白線流し」

男子は学帽の白線を、女子は制服のスカーフを、固く結んで一本の紐にして川に流し、学生時代の仲間たちとの永遠の絆を誓う卒業の儀式。その発祥の地といわれる岐阜県高山市の斐太(ヒダ)高等学校では、学校前を流れる大八賀川で70年以上前から今でも毎年行っているそうである。

そのドラマの中で白線を流す舞台となった信濃川水系の一級河川“薄川(ススキガワ)”

標高2千メートルを超す美ヶ原を水源として、松本市の中心部を縦断するように流れる薄川は、決して大きな川ではないが、春は両岸3km近くにわたって咲き乱れる満開の桜に囲まれた川原がお花見のメッカとして、秋は多くの学生や市民ランナーが、一直線の堤防道路をマラソンやトレーニングのコースとして利用するなど、一年を通して市民の憩いの空間として愛されている。

そんな“薄川”を挟んだ南北の対岸に向き合うように位置し、直線距離にしたらおそらく2~3百メートルしか離れていない二つの高校がある。それが今回の決勝戦にコマを進めた松商学園と松本工業だ(いい話は実名でいかせてもらいます)

夏の甲子園35回出場を誇る松商は我々夫婦の母校、一方悲願の初優勝初出場を目指す松工はウチの長男の母校。この試合、我が家にとってはこれ以上ないドストライクのシチュエーションなのである。

前評判ではやはり伝統の力を持つ松商優勢の声が大きかったが、プロのスカウトも注目する今大会屈指の右腕投手柿田を擁し、1試合ごとに台風の目として注目を集めた松工に、ひょっとしたらと思っていたファンも相当数いたのではないだろうか。

とにかく、ここまでの松工の勝ち上がり方は半端なく神懸っていた。

春の大会ベスト8で今大会のシードを勝ち取った松工は、初戦の2回戦伊那北高校戦で予想外の大苦戦。1対2の9回裏ツーアウトから同点に追いつき、延長11回裏1番倉田のタイムリーで何とかサヨナラ勝ちを収める。

続く3・4回戦は、エース柿田の投球が冴え、2対0、3対1という僅差で守り勝った。

そして最大の難関と評された昨年夏の覇者長野日大高校との準々決勝。初回、力みの見えた柿田はいきなり4点を先制され、やっぱり日大には敵わないかと思われたが、2回以降完全に立ち直り追加点を許さない素晴らしい投球を見せた。そんなエースの粘りのピッチングに打線も応え、こつこつ得点を積み重ねた7回裏遂に同点に追いつくと、試合は4対4のまま松工にとって今大会2度目の延長戦に突入。そして一進一退で迎えた延長12回裏、日大内野陣の守備の乱れから松工に決勝点が転がり込んで、またもサヨナラ勝ち、8年ぶりの準決勝進出を手中にした。

厳しい試合を勝ち上がり、初優勝がグッと現実的なものとなった松工は、続く上田千曲高校との準決勝を5対2で勝利して、おそらく一番倒したかった相手、古豪松商学園との初の決勝戦に挑む。

この決勝戦が本当に長野県高校野球史に残るであろう圧巻の名勝負となった。
(野球にあまり興味のない方はちょっとご辛抱下さい)


試合が動いたのは2回の表 戦前の下馬評を覆し
松工が鮮やかな先制攻撃で2点を先行する

しかし夏に照準を合わせてチームを仕上げてきた
古豪松商はその裏すかさず1点を返し、続く3回にも
1点を追加してあっという間に2対2の同点に追いつく

春先の故障から復活した松商のエース平間は
ランナーを出しながらも要所を締め得点を許さない
そして破壊力のある松商打線は、6回に1点、さらに
7回にも2点を追加して、じりじりと松工を追い詰める

7回を終了して松商5対2松工、このまま勝利すれば
全国最多36回目の夏の甲子園出場を果たす松商

ところが、ここから松工が脅威の粘りを見せる

8回表松工は当たっている5番小池がヒットで出塁
送りバントで2塁に進み、ツーアウトとなったが
続くバッターの倉田が外角低めの難しい変化球を
右手一本で合わせ、フラフラッと上がった打球が
ショートのグラブをかすめながらレフト前に落ち
2塁ランナーが生還して2点差に追いすがる

その裏松商の攻撃 ここで前代未聞の光景が球場を包み込む

一球のストライク 一つのアウトを取るたびに、観客席から
湧き起こる「柿田」コール。明らかにいつもの県大会とは違う
異様な雰囲気が、松本市野球場を覆い尽くしていた

ここまで6試合全イニング800球近くを一人で投げ抜いてきた
松工のエース柿田。その姿は、あの北京五輪ソフトボール
681球の力投で日本を金メダルに導いた上野投手を彷彿とさせる

球場のほとんどを味方に付けた柿田は、その8回裏を三者凡退
に打ち取り、9回最後の味方の攻撃に望みを託す

そして5対3で迎えた9回表、松工の攻撃はすでにツーアウト
松商エース平間の表情に、この試合初めて笑みがこぼれる

バッターは、県No1投手の球を受け続けてきた2年生キャッチャー大熊
彼はワンツーからの4球目を詰まりながらも気持ちでセンター前に運ぶ
一塁ベース上、歯を食いしばりながらガッツポーズでベンチに応える
彼の目には、既に大粒の涙が溢れているようだった
先輩達との野球を終わらせたくないという本気がひしひしと伝わってくる

ここで球場を揺るがす柿田コールに迎えられ、4番柿田がバッターボックスへ
彼は2球目アウトコースの難しい球を上手く拾ってライト線への2塁打を放つ
塁上での表情はまったく変わらない、まさに野球三昧、無心の境地なのだろう

ツーアウト2・3塁 局面は一転 今度は「松工」コールが球場を包囲する

そして当たっている5番小池に打順が回る 巡り会わせとはこういうものか
その小池はあっぱれ初球を詰まりながらもセンター前に2点タイムリーヒット
松工はクリーンアップの3連打で9回ツーアウトから5対5の同点に追いつき
今大会自身3度目の延長戦に持ち込んだ

土壇場の奇跡的な同点劇の余韻冷めやらぬ延長10回表、松工はまたも
ツーアウトから俊足佐野がヒットで出塁、さらに意表を突く二盗を決めて
一打勝ち越しの場面を演出する

迎えるバッターは1番上原 彼はこの試合自らのエラーで
相手に得点を献上していた 雪辱を期して臨んだこの打席
意地の一振りでしぶとくライト前タイムリーヒットを放つ
6対5 延長戦には滅法強い松工が遂に勝ち越した

この試合最高のボルテージで連呼される柿田コールの中
10回裏松商の攻撃もすでにツーアウトランナーなし
しかしここで代打中西が執念のセンター前ヒットを放ち出塁
さすがに県下No1の伝統校、最後まで諦めずに全員で喰らいつく

ツーアウトランナー1塁 迎えるバッターは長打力のある1番岡村
その岡村は甘く入った4球目の変化球をフルスイング
打球はレフト後方への大飛球 ランナーは2塁を回って3塁へ
抜ければ同点という当たりに松工レフト倉田が必死の背走
そしてダイビングキャッチ 最後はフェンスにぶつかりながらも
ボールは放さない、そして高々とボールを掲げてゲームセット! 

長野県立松本工業高等学校 悲願の初優勝初出場の瞬間である


諸先輩OBのお歴々には、何と理不尽なとお叱りを受けるかもしれないが、松商OBである私が、母校が負けたにもかかわらず、何故松工を詳細な試合経過まで説明してここまで讃えるのか。息子の母校でもあり、多くの知り合いが卒業しているからという地元ならではの仲間意識も勿論あるが、私は他ならぬ今年の松工野球部ナインに本当に心を動かされたのである。

あれだけ好きだったプロ野球のナイター中継は最近まったく見なくなったが、高校野球は平日のテレビ放映を録画して観戦する相変わらずの野球ファンに変わりはない。

その録画で見た松工の試合で、エース柿田君が女房役の後輩キャッチャー大熊君を筆頭に、チームメイトがミスをすると必ずその選手の元に歩み寄り、笑顔で励まし鼓舞する姿を何度目の当たりにしたか分からない。更にその柿田君が得点を取られてベンチに戻るときは、背番号10を付けたキャプテン松下君がベンチを飛び出しエースに駆け寄って肩を抱き、大丈夫大丈夫と元気付けている。しかもこの光景はテレビカメラがたまたま捕らえた場面だけでのことである。

通常、超高校級のエースというのは、自己中心、我がまま、自分勝手が代名詞となるような性格を持ち合わせていなければ大成しないと言われている。

しかし、昨年の岩手県代表花巻東高校のエース菊池雄星もそうだったように、地元出身者の仲間で作り上げたそのチームで、少しでも長く一緒にプレーしたいという意思を強く持ち、それを無限定に実践する選手がこうやって続々台頭してくると、どんなに素晴らしい才能を持った選手でも、自分のためだけに一生懸命やるお山の大将より、チームのために本気で頑張れる選手こそ、その才能は際限なく発揮されるのではないかと思えてならない。

何故なら、他人のために無心で力を出し切れる人間の行動は、確実に周囲の心を動かし、そうやって同じ方向に動いたときの人間力は、不可能なことでも可能にしてしまうほどのパワーを持つ、まさしく奇跡を起こす裏付けがそこに生まれるからだ。

自分に対する何の努力も、他人に対する何の気遣いもできない人間に、奇跡なんて絶対に起こるはずはない、と私は思う。

地区予選6試合を、チームメイトを信じ、そして気遣いながら最後まで諦めることなく投げ抜いた柿田投手。その姿に触発され、このエースを助けようとどんな相手にも臆することなく一丸となって挑んでいったチームメイト。無限の伸びしろを持つ高校時代、エゴをかなぐり捨てた彼らは一戦ごとに本当に逞しくなっていた。

決勝戦で観客席から自然発生的に沸き起こった「柿田」コール、「松工」コールは、まさにそんな彼らの気持ちのこもったプレーに共感した人間力の表れであり、彼らはその人間力を自らのパワーに変えて、甲子園出場という裏付けのある奇跡を勝ち得たと言えるのではないだろうか。

勿論、松商の選手にだってその気持ちがなかった訳ではない。現在の監督は高校時代同期のよく知る友人であり、今年のキャプテンの母親はPTA役員として一緒に活動してきた間柄だ。それだけに母校の選手たちがどれだけこの夏に懸けてきたかは十分知っている。ただほんの少しだけ、相手の思いの方がより強いインパクトを発して、周囲の心を動かしたということなのだろう。

勝負ごとだから結果として勝者もいれば敗者もいる。勝者には「おめでとう!」、敗者には「よく頑張った!」と声をかけるしかないが、今回は両校に「素晴らしい試合をありがとう!」と一高校野球ファンとして素直に伝えたい。



『そっちに帰るの1ヶ月後だから 送ってもらえる?』

『それじゃDVDにダビングして送ったるわ』

『サンキュー! 楽しみに待っとるわ』

短いメールのやりとりながら、母校の優勝に歓喜する長男に
決勝戦のDVDと詳報を伝える新聞記事を宅急便で送ってやった

『今年の甲子園 全国放送で校歌が聞けたら最高だな』