2011年12月31日

今年の重大ニュース2011

「いやいや 大掃除ってこんなに大変だったっけ?」

今年は29・30の二日間で終わらせて、大晦日はBSの
『女子ワールドカップなでしこジャパンプレイバック』を
一杯飲りながら一日中見てやろうと画策していたのだが・・・

「みんな居なくなっちゃったから仕方ないね・・・  
 四角い窓を円く拭く連中でも若い力は貴重ってことよ」

自宅と隣のカミさんの実家二件分の大掃除となると
五十を過ぎた私ら二人には想像以上にきつかった

「あいつらもそれなりに役に立ってたって訳か」

結局TVを付けっ放しにしたまま、ときに動き回りときに釘付けになりながら、今年一年の垢をすべてやっつけたのは、大掃除三日目の大晦日も日没の頃となってしまった



辛い出来事が多かった2011年も、もうすぐ終わりを迎えようとしています。最近のきまり文句のようになっていますが、来年こそは日本中が本当に良い年になってくれることを祈ります・・・というより、みんなで同じ方向を向いて良い年にしたいものですね。

さて、我が家に起こった今年の重大ニュース、皆さんにはほとんど「それが何か?」という話だと思いますが、何卒最後までお付き合いのほどよろしくお願いいたします。


【オヤジ30年ぶりの入院】

今年6月の終わり、持病の治療のため二週間の入院をさせていただきました。二十代初めの頃に過労から肺気胸という病気を発症し一週間ほど入院したことがありますが、それ以来約30年ぶりということになります。ただ今回は症状の改善を目的として自ら要望した治療のための入院だったので、あまり大袈裟にお伝えすることなくできるだけ内々に臨むことにさせていただきました。

私の持病は『頸椎後縦靭帯骨化症』と言って、首の骨に並行して走っている靭帯が徐々に石灰化するという、原因がまだ判明していない国の特定疾患に指定されている病気だそうです。

数年前、趣味のテニスのプレー中にぎっくり腰のような状態になり、数日後、腰痛に加えて臀部から両足、足裏にかけて徐々に痺れや張りなどの違和感を感じるようになってしまったので、近所の整形外科で診てもらうと「つい甲板ヘルニア」だと診断され暫く治療を受けることになりました。

しかし症状は一向に改善することなく、それどころか治療を始めて半年後位に、診断を下した医師の紹介により大きな病院で受けたMRI検査で、ヘルニアの症状は確認されないという診断結果をもらった私は、憤慨して件の医師に三行半を突き付け、その後あそこがいい、ここがいいと知り合いから紹介された整形や整体に何件も通ってみました。

結局どこへ行っても原因が分からず、症状は改善することもそれ以上に悪化することもなかったので、完治は無理なのかなと半ば諦めがちに過ごしていました。

それが昨年の11月に首を寝違え、あまりに痛みが激しかったので近くの大学病院に駆け込みMRIなどの検査を受けたところ、そこで初めて前述の何とも仰々しい病名を告げられ、一連の痺れや違和感は骨化症により変形した首の靭帯が、身体中に行きわたる神経を束ねる神経管を圧迫しているのが原因だろうと診断されたのです。

自分としては腰だと思っていたのが首だったことに驚きましたが、いずれにしてもその段階で効果が期待できる治療は、血流を良好にする点滴投薬を一日6時間、最低二週間集中的に行うことだと医師に勧められ、此度の入院を実行したわけです。

退院して半年が過ぎましたが、さすがに原因不明の難病だけあって、残念ながら自分が認識できるほどの改善はなかったというのが正直なところです。

現在は投薬を続けながら三ヶ月に一度通院して様子をみることしかできませんが、今のところ重症というわけではないのでご心配には及びません。

私もそれなりの年齢になってきたので、持病は持病として受け入れて、上手く付き合っていこうと思っています。


【長女 就職決定】

東京の専門学校を来春卒業する長女の就職が決まりました。川崎市にある照明技術会社で採用していただけるとのことです。娘が専攻していた照明技術の外部講師の先生が経営している会社ということで、運のいいことにその先生というか社長さんに「ウチに来ないか」と誘われたのだそうです。

その会社の主力業務はPVやMV制作で、娘は同じ照明技術でもイベントや舞台を主たる事業とする会社ではなく、作品として残せるPVなどの制作を手掛ける仕事に拘っていたようです。

芸能関係の人と会うことも多く有頂天にもなりそうですが、おそらく本格的に勤め出せば、そんなミーハー感覚なんぞすぐに吹っ飛ばされるのでしょうが、ある意味職人の世界なので、プロと呼ばれる知識と技術をしっかり身につけて欲しいものです。


【次男 独立?】

独立という言葉が相応しいかは若干疑問ではありますが、今年6月に次男が自宅を出て彼女と二人暮らしを始めました。二人ともまだ21歳そこそこの若輩者ですが、ここ二年位の間に結婚したいようです。

同棲という行為自体はとても褒められたことではありませんが、現実問題として一緒に生活してみないと分からないことも多いし、結婚を約束しているのならお互いしっかりやってみなさいというのが双方の親の心境です。

とりあえず今のところ二人で相談しながら仲良くやっているようなので、社会人として世間様に迷惑をかけないよう、信頼しつつも叱咤しながら見守ろうと思っています。


【長男 復興支援ポスターで一灯】

東日本大震災から二ヶ月、東京でロゴやパッケージのデザイン関係の仕事をしている長男が、あるツイッターの呟きに目を奪われたと言います。

それは息子と同業の人が投稿したもので、そういったデザイナーに対して復興支援をテーマにしたポスターを制作して、それを被災地に届けて少しでも元気になってもらおうと呼びかけるものだったそうです。

被災された人々のために、何か自分にできることはないだろうかと考えていた長男は「うん!これなら俺にもできる」と思い立ち、仕事の合間を縫ってこんなポスターを制作して、発起人の同業者宛に送ったそうです。

息子のような一般の名もないデザイナーたちから、そのツイートを通して何と千枚近く寄せられたというポスターは、宮城や福島などの被災地のいたるところに貼り出され、瞬く間にマスコミでも話題となり、あるラジオ番組で全国にその活動が紹介されたと言います。彼らの行動は、きっと被災地の人々の心に一灯を投じたことでしょう。



ある意味2011.3.11大震災は日本人の心を一つにし、ほとんどの国民が自分にできることは何かと考え、方法は様々あっても現実に何かしらの行動を、多くの人々が起こしてきたのではないかと思います。

本当に厳しいニュースばかりの一年でしたが、今を生きる私たちはいつまでも下を向いているわけにはいきません。新しい2012年は気分を新たにして、これまで以上の元気と思いやりを持って笑顔で暮らせる一年にしていきましょう。


そうこうしている間に今回もまた年が明けてしまいました。

川崎会計事務所スタッフ一同今年もしっかり勤め上げていく所存です。
愛すべき我が家ともども、本年もどうぞよろしくお願い致します。

2011年11月30日

行動目標

「早く持っていかなきゃ お父さんが売っちまうぞ!」

次男坊が祖父から貰った古いが高価な数本のゴルフクラブ
今年春先から我が家の二階の納戸に置き去りにされている

「あぁゴメン忘れてた 今日は無理だけど今度持ってくから」

ゴルフ用品店に出せば結構な小遣いになると祖父に告げられ
ゴルフに興味のない次男坊が喜び勇んで譲り受けた代物である

「お前 いつどうするか ちゃんと計画してその通り実行しろよ」

「うん分かってるけど・・・ 仕事とか家事とか色々忙しくて」

「か、家事って・・・ もうそんな力関係?」

今夏から彼女と二人暮らしを始めた息子はこんな調子で自分の立場が悪くなると
「夕飯作らなきゃ・・・」などと戯言を呟きながらそそくさと帰って行く

とりあえず誰かに迷惑をかけることでもないので 私もそれ以上言わないが
たぶんそのうちゴルフクラブの存在自体 忘れてしまうのだろう・・・



今月、我が川崎会計事務所は創業32年目を迎え、月初めに行われた全体会議で例年通り当期の基本方針を発表しました。

今年は二万人近い死者、行方不明者を出す未曾有の大災害となった東日本大震災に始まり、その余波での福島第一原発事故が今なお社会に不安な影を落とし、また当地信州の栄村や我々の地元松本でもかつてない規模の大地震が発生して、広い地域で多くの人々が甚大なる被害を受けました。さらに地震のみならず、奈良県を中心とする近畿地方で百名以上の人々の命を奪う大型台風まで発生するなど、本当に異常事態とも言うべき自然災害に見舞われた悲惨な一年となってしまいました。

こういった災害の影響もあり、現在の経済情勢も一層厳しさを増す中で、我々事務所スタッフが関与先企業経営者の真のパートナーと位置付けられるように、事務所一丸となって活気ある活動を実践することを今期の基本方針の中で確認しました。

そのためには、我々もこれまでの通常業務だけを旧態依然と続けていく訳にはいきません。税務会計や経営支援に関する業務品質を更なる高みに向上させるとともに、顧客のニーズや思いに常にアンテナを張り、それに応えられるビジネスモデルを開発し実践しなければなりません。

ウチの事務所では、この基本方針を絵に描いた餅に終わらせないために、所内の部署単位で「行動目標」なるものを毎年策定し、基本方針を具現化する活動計画として組み入れています。その内容は各部署の責任者が当期の方針に基づいて、これを実現達成するための管轄部署における重点課題を抽出し、それをいつどのように実施するかという具体的な行動として計画します。

そして計画した行動目標は、四半期毎にその進捗状況、反省、課題などを行動目標報告書というシートにまとめて報告し、PDCAサイクルに乗せて一年間見直しや評価を行って管理しています。

因みにPDCAとは、【計画(Plan)⇒実行(Do)⇒検証(Check)⇒対策(Action)】の四つのサイクルを回すことで、目標予算や経営課題を確実に達成しようとする管理手法のことを言います。


それでは当期の各部署の行動目標をいくつか紹介しましょう。

「経営改善目標と実施状況管理票の運用」 課長:宮澤高明
事務所で最も中心となる月次巡回監査や決算申告業務を管轄する監査課の行動目標です。ウチの事務所では、決算申告時期に当事務所で決算検討会を行い、新年度の経営計画を策定するのが標準となっているのですが、その経営計画策定時に関与先経営者が掲げた目標や課題をこの管理票に展開して、その実施状況を経営者自らがチェックして経営に活かしてもらおうという計画です。企業が黒字体質を構築するためには、PDCAサイクルを使った業績管理が有効であると最近巷間でも注目されていますが、関与先経営者の皆さんが、この実施状況管理票をしっかり運用することで、標準的にPDCA管理が実践できるようになれば、確実に自社の業績アップに繋がると信じて、これを我々がご支援しようという行動目標です。


「FX2.net版の導入推進」 委員長:松本和彦
TKCシステムの導入支援や事務所OA機器関連の管理業務を管轄するOA委員会の行動目標です。現代は、クラウドコンピューティングと呼ばれるインターネットを介したコンピュータの利用形態に、あらゆるシステムが加速度的に移行しつつあります。関与先に利用していただいているTKCの財務会計システムFX2も同様で、データのバックアップやソフトウェアのダウンロードなどが直接TKCのサーバーとネットを介してできるシステムに生まれ変わっています。関与先企業がこの時代の流れに乗り遅れないように、また財務データという企業にとって非常に重要な情報のセキュリティを万全にし、最新バージョンのソフトウェアをタイムリーに活用するなどのメリットを享受していただくために、従来版のFX2からこの新FX2への移行支援を積極的に実践しようという行動目標です。


「原点回帰 定期保険の推進」 委員長:太田 任
関与先企業を不測の事態から守るための経営者大型保険を初め、従業員の退職金準備や福利厚生に資するための各種保険の推進を管轄する企業防衛委員会の行動目標です。TKC会員事務所では、前述の目的を遂行するために、関与先企業に対する生命保険等の推進を本来業務と位置付けており、㈱大同生命保険と連携して必要と思われる保険の提案、契約業務を行っています。そうした長年の推進によって、現在法人関与先のほとんどが最低保障額は付保されているはずだが、ここでもう一度原点に立ち返り、退職金・借入金・運転資金・相続事業承継・福利厚生といった五つの観点から、本当に必要な保障が確実に付保されているかを関与先一件一件に対して点検し、不足があれば保障重視の定期保険をもれなく提案しようという行動目標です。

他にも総務課や業務保証室といった部署があり、それぞれに行動目標を掲げていますが、当事務所では前述したように、通常業務に慣れやマンネリを生じさせることなく、我々が提供する業務品質の更なる向上を目指して具体的な活動計画を行動目標として落し込み、関与先企業の経営によりお役にたてる事務所になりたいと考えているのです。

私たちはそのために、今年度もすべての行動目標を確実に実践していく所存です。



「今日も持っていかないのか?」

こたつを取りに来た次男坊に再び問うた

「えっ? 何を?」

きたきた いよいよ思った通りだ

「ふ~ん そうきたか じゃぁもうお父さんが処分していいな」

「・・・アッー グローブ? じゃねぇクラブだ  今日はこたつが・・・
 今度ホントにそれだけ取りに来るから もうちょっと待って」

「決めてもやらなきゃ何の意味もないだろ
 忘れずに実行するための工夫をしなさい!」

「ハイ! ごめんなさい」

何事も言うは易し 行うは難し である

2011年10月30日

Thank you 山中湖!

「うわっー!! これで富士山見えたらヤバイよねぇ」

富士の裾野に悠々と広がる湖の防護柵にまたがり、今にも身を投げ出さんばかりに長男が叫ぶ

「二日間とも好い天気なのに一度も拝めないって・・・ 何とかならんかなぁ」

湖越しにその雄大な姿を一望できる絶景スポットに車を停め、大迫力で迫るマウント富士を満喫するはずなのに、中腹から頂上までのその空間だけが雲に覆われてしまった残念な姿の日本一を恨めしそうに眺めながら私も呼応する。


「風が強いからもう少し待ってれば晴れるかも・・・」
「もう~ ホントあの雲どっか行ってくれぇ~」

厳しめな願いと知りながらも最後の神頼みをカミさんと娘が口々に呟くと、まったくその通りと言わんばかりに長男の彼女が傍らで何度も大きく頷いた。

全員が同方向を向いたまま、感動の大パノラマが眼前に広がることを期待して、湖上を吹き抜ける少し強めの風に暫し身を任せていたのだが・・・

「・・・帰りのバスに間に合わなくなっちゃうな 残念だけどそろそろ行こうか」

一泊二日の家族旅行 いつの時代も楽しい時間はあっという間に過ぎていく



行楽の秋真っ只中の今月連休、本当に久々の家族旅行に赴いた。

旅行といってもすぐお隣、山梨県は富士五湖の一つ、山中湖畔の小さなドッグペンションを目指しての『安・近・短』お手軽コースの旅である。



しかし、さすがに家族全員そろってとなると、子どもたちが小学生だった頃から十数年ぶりとなる。しかも今回は息子たちの彼女と、もう一人の主役、我が家のアイドル、トイプーの「ぷー」を連れ立っての賑やかなイベントとなった。


ご存じの通り、山中湖は富士五湖の中で最大の広さを持ち、何と言っても日本一の富士山を最も近くで眺めることができる湖として有名だ。標高は千メートル近くあり、当地信州の軽井沢や菅平などと肩を並べる風光明媚な避暑地としてもよく知られている。

ただ今回カミさんが目的地をその山中湖に選んだのは、ドッグペンションやらドッグカフェといった類のお店が数多くあり、ペット同伴で旅行ができる観光地の人気スポットだからということだった。

行ってみて驚いた。そういった店が確かに多いことも「こりゃすごい」の世界だが、湖畔の散策路や小公園にはワンちゃん連れの人々がここかしこに溢れ、湖畔道路沿いに点在するドッグランの入り口には、県外ナンバーの車が行列を作っている。

私はこの地に滞在するのは初めてだが、“観光地”の魅力というのは、その地にあった個性をブランド化することなんだなぁと、つくづく感じさせられる光景であった。


さてさて連休初日の正午、山中湖畔中心街に位置する旭ヶ丘バスターミナルに現地集合というところから我が家の珍道中は始まった。

私ら夫婦と愛犬ぷーは、中央道を休み休みドライブしながら11時ちょっと過ぎに現地に到着。山中湖畔の散策路に下りて、景色を眺めながらゆっくり散歩などしていると、半時間ほどのち、次男と彼女が年代ものの愛車キューブをうならせながら到着し無事合流。

新宿発の山中湖直通高速バスに乗った長男と彼女と娘の東京組は、予想はしていたが連休の渋滞に巻き込まれ、長男から「1時間位遅れそう ゴメン」とのメールが入る。まあまあ彼らに罪はないが、チョイスした発車時間は確かにちょっと甘かったか。

一方時間が空いたカミさんは、バスターミナル前の道路を挟んで立つ「梅宮辰夫の漬物工場」なる看板を見つけ、次男の彼女を連れて「ちょっと冷やかしに」と意気揚々向かったはいいが、店を間違えて隣の怪しい不動産屋に足を踏み入れたらしく、強面のお兄さんに逆に冷やかされたなどと言って慌てて逃げ帰ってきた。
何をどうしたら漬物屋と不動産屋を間違えるのか・・・ 流石というほかない。

はたまた愛犬ぷーと戯れていた次男は、兄貴たちの到着時間を見計らってターミナルに戻ろうとした矢先、車のキーがないことに気付いて大騒ぎ。バッグやポケットを何度ひっくり返してみても、心当たりを駆けずり回って探しても出てこない。すっかり血の気の引いた顔にあぶら汗を浮かべる次男に向かって彼女が一言 
 「車に付けっ放しとか・・・」  「?!」 

猛ダッシュでターミナル前の駐車場に停めた愛車の横に辿り着いた次男は、私らの方にゆっくり顔を向けると、運転席のドアの鍵穴にささったまま誰にも身を任せなかった律儀なキーを抜いて、気色の悪い笑顔を浮かべながら罰悪そうにかざして見せた。

のっけからそんな笑うしかないハプニングをあちこちで巻き起こしていた最中、やっとこさ新宿発の高速バスが到着して東京組三人が山中湖に降り立った。

再会の挨拶もほどほどに、2台の車に分乗し、ナビを装着した次男の車を先導役に先ずはその日お世話になるペンションに向かった。

ところが次男がナビに何の情報を入れたのか知らないが、行き着いたのは行列のできる湖畔のドッグラン・・・? 苦笑する私と、窓越しに再び気色の悪い笑顔を浮かべる次男の2台はUターンして引き返し、やっと道沿いに出ていたペンションの小さな看板を見つけ、立派な別荘が点在するなだらかな坂道へと左折した。

山間の登りの一本道を今度は自信ありげに走る年代もののキューブの後を追走すると、坂道の途中をスッと右に折れ、とある建物の庭に侵入。しかしそこは一般の方の別荘で、目的のペンションはもう一つ上を右に折れたところに門を構えていた。

何とか目的地の駐車場に到着した次男は、車から降りると開口一番「俺はナビの通りに走ってきただけだから!」と、上ずった声で誰にともなく強がりを言ってみせたが、「ナビの問題じゃなくて使い方の問題だろ」と私が穏やかにたしなめると、またしてもあの気色の悪い笑顔を浮かべ、何事もなかったように荷物を運んで行くのだった。


ペンションのチェックインを済ませ、急いで予約していた湖畔のバーベキューハウスに行くと、すでに午後2時を過ぎた広い店内には、予約なんてまったく必要なかったと確信させる二組ほどのお客しかいなかった。

私らはその閑散とした店内を通り抜け、山中湖を見渡せる屋根付きのテラス席に陣取り、早速生ビールで乾杯、やっと旅行に来たという雰囲気の中で一息ついた。それから黒毛和牛とジンギスカンのバーベキューセットを四人前ずつ所望して遅い昼食・・・否、ちょっと早い宴会が始まった。

よく晴れた午後だというのに、さすが避暑地としても名高い山中湖の空気は肌寒ささえ感じるほどだったが、皆でテーブルを囲み肉や野菜を焼きながら、ついさきほどの新着ハプニングなどを面白おかしく話していると、そんな周囲の冷気も吹き飛ばすような大きな笑い声が絶え間なく響き、心温まる楽しい時間が流れて行った。

実はこの日、娘と兄貴たち二人の彼女とは共に初対面だったので、変に遠慮したり、気兼ねしたりしなければいいが、などと親バカな心配も正直少しはあったのだが、すぐにそれはまったく余計な取り越し苦労であることが分かった。

兄貴しかいなかった娘にとってはお姉さんを一度に二人も持ったようなもので、同輩の友達とも学生時代の先輩なんかともまた違った立場で付き合える存在になるだろうし、何はともあれ兄貴たちが自分で決めて長く付き合っている彼女なのだから、会う前から素敵な人に違いないと思っていたのだろう。

おまけに誰に似たのか?兄妹の中で間違いなく娘が一番酒が強くて好きなので、下戸の兄貴二人はそっちのけで、この私が酒豪と認める鹿児島娘の長男の彼女とはすっかり意気投合して何度も杯を酌み交わし、酒はほとんど飲めないが、いつもあふれる笑顔で後頭部の辺りからハイトーンボイスを発するやや天然系の次男の彼女とも、年頃のガールズトークで大いに盛り上がっていたようだ。

今度は娘の彼氏も一緒になんて話も出ていたが、当然近い将来そういう日も来るだろう。ただ、娘の彼の場合は、父親である私の前に二人の兄貴の高いハードルをクリアしなければならんので、可哀想だがそれなりに覚悟してもらう必要がありそうだ。何しろ兄貴たちの妹の彼氏に対する評価はオヤジより相当シビアできつい。

だから逆に兄貴二人が妹の彼氏として認めた男だったら、私は何も言わずに認めようと思っている。カミさんには「な~に言って 無理無理~」などと茶かされるが、それだけ私が息子たちを信頼しているということである・・・な~んて言っても最終的には本人同士の問題なので、娘の目と感性を信じてこちらは応援するしかなさそうだ。


子どもが小さい頃は毎年のようにあちこちに出かけ、親子の絆みたいなものを確かめながら年を重ねてきた。それぞれが成長し、思春期の頃になると、子どもたちは一旦親兄妹とは距離を置き、自分の世界を見つけようとあちこち道草をしながらもがいて生きるようになる。そして、ある意味そんな充実した時期を過ごしてきちんと成長すると、今度は素敵な仲間を連れて戻ってくる。

世の中には、息子の彼女となんか会いたくもないという母親や、娘がどんな男を連れて来ても絶対受け付けないという父親が結構多いと聞くが、家庭の一番の楽しみは、魅力ある家族が徐々に増え、その分新しい幸せ感を与えてもらえることではないかと私は思う。

もちろん人間の命は永遠ではないので、家族がただ増え続けるわけではない。新しい出逢いもあれば辛い別れがあるのも事実だ。しかしそこに限りがあるからこそ今この一時を無駄にせず、互いに深い繋がりを築いておきたいものである。


旅行を終え 帰宅した夜 長男からメールが入った

「昨日今日とありがとうございました! ものすごく楽しかったー!
 またこういう機会を持って みんなで楽しい思い出たくさん作りたいね
 いろいろごちそうになりました!」

遊びに連れて行ってもらった息子がオヤジに礼を言う歳になった
大人としてしっかり成長しているのが嬉しい

ただ富士山が一度も見れなかったのがたった一つ心残り
だから来年このメンバーで再び訪れることにしよう
新しい仲間がまた一人増えているかもしれないが・・・

楽しいひとときを Thank you 山中湖!


 

2011年9月30日

『神様のカルテ』 観戦記

「櫻井翔も 思ったより良かったじゃん」

「・・・だね さすが慶応ボーイ 天下のジャニーズってもんだ
 でも やっぱり全体的にキャスティングが綺麗すぎない?」

「それはしょうがないんじゃない 映画なんだから・・・
 誰だって汚いより綺麗な方がいいに決まってるでしょ」

「汚いって・・・まあまあしょうがないね とりあえず良しとしますか」 



今年最後の信州に因んだ全国版メディアプログラム『神様のカルテ』

嵐の櫻井翔と宮崎あおいという人気若手俳優を主役に配し、当地松本市に実在する病院をメイン舞台として、その病院に勤務していた現役医師夏川草介原作の2010年本屋大賞第2位にノミネートされたベストセラー小説の映画化である。

今月初めの週末、ともにこの小説のファンであるカミさんと二人、5月の『岳ーガクー』以来となる市内の映画館に気合いを入れて観戦に赴いた。

小説の内容については昨年10月のコラム(ブレイク)でも触れているのでここでは割愛するとして、よく知る好きな小説が実写版になるというのは、まことに色んな思いが交錯するものだと我ながら感心しきりの鑑賞となった。


不思議なもので、小説などの活字本を読み進めていくと、そのストーリーに登場する人物が段々と自分の頭の中にイメージされていく。そのストーリーがおもしろければおもしろいほど、登場人物の姿かたちから声のトーンに至るまで、そのキャストイメージが自分に都合よく出来上がってしまうものである。

2009年8月発行の『神様のカルテ』初版、そして翌2010年9月発行の第2版をそれぞれ2回ずつ読んでいる私にも、当然の如く個性的な登場人物たちのイメージが、自分の好みを十分に反映させてしっかりと出来上がっていた。

ここで困ってしまうのが、自分の思い入れで勝手に作り上げたキャストが、さあ登場するぞと前のめりにスクリーンに向かったときに、そのイメージとまったく異なるキャスティングの人物が、当り前のように実写版の世界でその役を演じているのを目の当たりにしたときのガッカリ感が半端ないことである。

今回、私がイメージしていた医師栗原一止は、「うつむき加減で常に疲労感を漂わせる古風な思考を持つ変人。服装や身なりには滅法無頓着で、抑揚のない話し方をするネクラな二枚目半」だった。

封切り前、この主役を櫻井翔が演じると聞いたときは、「ちょっとイイ男過ぎるでしょ」と即効漏らしたものである。

ところが意外なことに、二枚目半がバリバリの二枚目なのと、おそらく野暮ったさを出すために当てたルーズなパーマが整った顔立ちに飲み込まれて単なるおしゃれと化したところを除いては、さすが歌に踊りにニュースキャスターまでこなすトップアイドルだけのことはある。彼は持ち前の爽やかさを封印し、私の抱いていたイメージに近い男を黙々と演じ、ストーリーが進むに連れてこれもアリかなと納得させてくれた。

宮崎あおいのハルは誰が何と言っても最初っから文句なしだった。彼女がヒロインに決まったときから私が抱いていたイメージにぴったりと思っていたが、スクリーンの中の彼女は、そのイメージ以上に愛おしく芯の強いハルの気性を見事に演じ切っていた。

本庄病院のスタッフ、吉瀬美智子の外村看護師長と池脇千鶴の東西主任看護師の二人も見ていて“らしい”キャスティングと演技で良かったし、柄本明の大狸先生に至っては、さすが名優いい味を出していた。

残念だったのは要潤の砂山次郎だ。ガサツで色黒の豪快な大男のはずなのに、これは本当にイイ男過ぎてちょっと難があった。そもそも原作では栗原一止と医大時代の同期生なのだが、スクリーンでは一止の先輩って・・・??
原作に入り込んでいると、このような設定変更を受け入れるのも中々難しい。

もう一人、原田泰造の男爵もいささか真面目過ぎた感がある。私が「男爵」という渾名に引きずられていたこともあるが、外見はそれこそお笑い芸人ひげ男爵の「ルネッサ~ンス」と叫んでいた山田ルイ53世をイメージしていたので、正直最後まで彼を「男爵」として観ることはできなかった。

おそらくこの映画のポスターを街で初めて見たとき、出演者として紹介されていた原田泰造の顔写真を見て、「おっ泰造がきっと砂山次郎だな? これはナイスキャスティングだ」などと、勝手に思い込んでいたせいもあるだろう。


とはいえ、考えてみればそんな思いもイメージも、すべて自分勝手な思い込みにこだわっているだけで、それが映画の良し悪しを決めてしまうわけでもなんでもない。

特にこの『神様のカルテ』はまさに松本市だけで撮影されたような映画で、全国的に有名な国宝松本城は言うに及ばず、一止が勤務する病院のすぐ近くにある深志神社を初め、地元住民の憩いの場である里山の城山公園やアルプス公園につながる住宅街の坂道、その高台から一望する市街地の景色など、スクリーンに登場する様々な景観は、我々にとっては何とも身近で心落ち着く場面の連続だった。

松本市は今春上映された『岳』に続き、『神様のカルテ』を松本シネマ第2号に認定した。小説の方は第2版も出版されて大ヒットしているのだから、映画の方も是非続編が制作されることを期待したい。


今年は震災の影響で各地の観光地の入込みが激減する中、当地信州ではこの2本の映画と、何と言ってもNHK連続テレビ小説『おひさま』の効果もあり、この夏季シーズン、安曇野市では前年比120%超となる約40万人、松本市でも例年を上回る20万人近い観光客が訪れたという。

3月11日の栄村大地震、さらに6月30日には震度5強の松本地震に見舞われ、全国的にはここ信州も被災地の一つと見られていたにも拘らず、これだけ多くの人が訪れてくれるのだから、現代社会におけるマスメディアの力というのは、本当に強烈なものがあると改めて実感する。 


そしてその地元に住む私はというと、今年これらの作品をしっかり見倒してきて、そのすべてに共通して再認識したことがある。それは、我々信州の人間はなんて美し過ぎる自然に囲まれて生きているのだろうということだ。

荘厳なアルプスと穏やかな里山の幻想的なコントラスト、その山々から人里に流れる美しく澄んだ豊富な水量を持つ多くの河川。

数年前、大阪に住む八十になる私の叔母が当地に遊びに来たので、私ら夫婦で安曇野を案内してあげようと車で出掛けたことがあった。その道中、ちょうど犀川にかかる田沢橋に差し掛かったとき、正面に広がるアルプスの絶景を見て、叔母が歓声を挙げ、暫し涙を流していたのを思い出す。

我々にはそんな感涙を呼ぶほどの美しい大自然を守る責任と、全国の一人でも多くの人にこの素晴らしい景観を知ってもらう義務があるとさえ思ってしまう。


その昔、長野県というと田舎の代名詞のように扱われてきたように思うが、ここ最近、環境問題に端を発しての人間回帰の風潮も手伝ってか、美しい自然環境溢れるここ信州に色んな意味で注目が集まっているのは事実である。

せめて当地に生きる我々は、そんな信州の良さをもっと知り、自然と共生する意思と正しい術を持って生きて行きたいものである。



「オープニングでハルがカメラを構えてた山はどこなの?」

「美ヶ原じゃないかな」

「え~ 美ヶ原にあんな絶景見られるとこあるの?」

「たぶん俺たちが知ってる美ヶ原なんてホンの一部だよ・・・
 プロのカメラマンが正月に美ヶ原に張り込んでご来光を撮るって話はよく聞くし
 信州の本当の自然を知ろうと思ったら 俺たちには一生かかっても無理かもよ」

「そうか・・・じゃあんたは厳しい山に登って! 私は知られざる秘湯を回るわ!」

「・・・何で別々?」

2011年8月31日

けじめ

「ちょっと何これ・・・ 寒いくらいじゃん」

高速バスで帰省した長男が私の迎車に乗り込みながらボヤく

「ああ ここんとこ夏がどっか行っちまった感じだからな」

「まいったな~ なんも持ってきてないよ・・・」

Tシャツ短パンにビーサンという出で立ちの長男がさらにボヤく

「お前は準備悪すぎ・・・ こっちは涼しいからってメール入れたでしょ?」

あきれた口調でカミさんが毒づく
 
「ゴメン ゴメン まさかここまでとは思わなかったわ・・・」

「ッタク・・・ 甘い!」



こんな調子で東京に住む長男が、お盆明けに取らせてもらった一週間ほどの夏休みを利用して、小雨降る冷夏の松本に彼女を連れ立って先週帰省した。今回は当地に3日ほど滞在したら一旦東京の自宅に戻り、翌日彼女のご実家がある鹿児島へ二人で飛ぶという。

何とも忙しいスケジュールではあるが、二人ともなかなか自由に休暇が取れない身のようなのでいた仕方ない。それでもお互いの故郷に揃って顔を出そうとは、さすがは我が息子、その義理堅さをひとまず褒めてやろうと思っていたら、どうやら息子たちには今回もう一つ別の大きな目的があったようだ。


彼らは数年前から結婚を前提に付き合っているのだが、今年あたりから本格的に二人で暮らすことにしたと言う。ただ、息子としては事後報告にはなるが、その事実と自身の意思を彼女のご両親に出来るだけ早く正直に話し、とりあえず父上にご理解頂かねばならんと決意しての里帰りという訳だ。

親元を離れて暮らす自由をいいことに、親には内緒でなし崩し的に同棲し、できちゃったから結婚しますなんてパターンになるよりはよほど健全で、我々に釘を刺される前に、自分なりのけじめをつけようとした息子の覚悟は認めてやらねばなるまい。


実はほんの3ヶ月ほど前には、それまで同居していたウチの次男が、こちらも以前からそんな雰囲気を匂わせてはいたのだが、いよいよ実家を出て彼女と二人暮らしをしたいと頼み込んできたばかりだった。

こんなとき男子の親は気楽なものだと思いつつも、ウチにも男子のような気性を持ってはいるが、一応女子の末娘がいることを思い出した。

やはり他人ごとではない・・・娘方の親御さんの気持ちを考えると、いくら今の立場が男子の親だからとは言え、21歳そこそこの未熟な若僧に向かって「好きにしなさい」などと軽く受け流すわけにはいかなかった。

私は次男に対し、結婚を約束できる相手であること、いつ頃結婚するか決めること、それまでに二人でいくら貯金するか約束することという条件を挙げ、それができるなら、自分で直接彼女の父上にすべてを話して承諾をもらってきなさいと命じ、その上で許してもらえないのであれば、それが今の自分の限界と受け止めて今回はきっぱり諦める。そしてもっと自分を磨いてからまたやり直す。それが男としての『けじめ』ってもんだと付け加えた。

この件を兄弟で情報交換していたのか、それとも偶然かは知らないが、いずれにしてもこの親父にしてこの息子ありというか、兄弟そろって同じような時期に同じようなことをしでかすものだと血縁の怖さに内心うち震えながら、長男と彼女を連れて、昼食に寄った蕎麦屋で二人にそんな弟の話をしているときだった。


「あらら たいへんだ…」

小声で呟きながら長男がスッと立ち上がり、私らが座っていた座敷奥のテーブルから三間ほど離れた座敷の上り口付近のテーブルに急いで歩み寄った。

何があったのか状況が見えなかった私らが、ちょっと腰を上げて長男が向かった先を見やると、どうやらそのテーブルで食事をしていた5歳位の女の子が、お蕎麦の入ったお椀をひっくり返してしまったらしく、お腹の辺りから腕や足の上まで蕎麦とツユまみれになって、懸命にそれを取り払おうとしていたようだ。

その女の子の母親はもう一人のお姉ちゃんを手洗いに連れて席を離れていて、不運にもそのとき、そのテーブルにはその幼い女の子一人だけだった。

店は結構混んでいて、座敷の他のテーブルにも多くの客がおり、そのせいか店員も忙しそうに動き回っていたのだが、その緊急事態に気付いていたのか否かはともかくとして、何の躊躇いもなく素早くそこに歩み寄ったのは息子だけだった。

彼は女の子の横にゆっくり座り、一言二言声をかけ笑顔を見せながら、衣服にへばりついた蕎麦を丁寧にとってあげていた。

息子と向かい合って腰掛けていた彼女が振り返り、その光景を見てすぐに自分も駆けつけようとしたのだが、「あいつに任せておけばいいよ・・・大人が大勢集まるとあの娘が可哀そうだから」と言って、私は立ち上がりかけた彼女を手招きで制した。

暫く息子と幼い女の子の様子を三人で眺めながら、「あんな風に思わず身体が動いちゃうとこがいいよね・・・ そこがあいつのたった一つの取り柄かな」と私が誰にともなく言うと、彼女が即効で私の方に向き直り、ニコッと笑って「ハイッ!」と応えた。

おそらく彼女も長男のそんなところを一番気に入ってくれているのだろう。

自分のことにはまったく無頓着な男だが、困っている人を見ると放っておけないあの思いやりは、一体どこで身に着いたのだろう・・・ 

故郷を離れて都会に一人、何年も社会に揉まれながら、きっとこの彼女を筆頭に、彼が関わってきた周囲の心ある人々に、知らず知らずのうちに育んでいただいた産物なのだろう。

親としては本当にそんな皆さんに感謝すべき、長男のたった一つの取り柄である。


社会人となり、徐々に自分の力量で生活できるようになってきた息子たちではあるが、それだけに今後彼らがぶつかる様々な事象は、我々親にとっても幼い頃とは比べ物にならないほど重く大きな責任を伴うものとなろう。

彼らには、此度の彼女との新しい生活もその一つだが、仕事、結婚、家庭といった自身の重要な課題に対して、大人として誠実に向き合い、失敗を恐れることなく、その時々で然るべき『けじめ』をしっかりつけられる男になって欲しいと願っている。



「お帰り~」

彼女の父上から一応の承諾をもらい、実家を出て2ヶ月になる弟が、彼女と一緒に兄貴たちとの夜の宴に顔を出した

「ああ・・・ 元気?」

相変わらずオヤジの前では何ともそっけない兄弟である


「は、初めまして・・・」

二人の彼女はこの日が初対面だった


皆で行きつけの居酒屋に赴き、膝を交えて一時間も経った頃、頬を桜色に染めた二人の若い娘が、既に半世紀を生き抜いた人生の大先輩である恋人の母親を挟み、大笑いしながらやたらと盛り上がっている

どうやら私ら夫婦のなれそめを聞き出しているようだ

カミさんがつまらんことを暴露しないか多少冷汗をかいてはいたが、彼女たちの微笑ましい空間が醸し出すこれまでとはちょっと違った心地よい幸せ感を味わいながら、夏の終わりを惜しむかのように、我が家の至福の時間がゆっくりと過ぎて行った

2011年7月30日

快挙

「ヨッシャー入ったー! 澤ー!!」

元日本代表GK小島伸幸と元なでしこ川上直子両解説陣の雄叫びを遮るほどの歓声が夜明けの日本に轟いた

「ヨッシャーとめたー! 海堀ー!!」

神憑りともいえる彼女たちの頼もしさが日の出の日本に奇跡の予感を充満させた

そしてチームメイトの手を握りしめたまま、懸命にサッカーの神様に捧げるキャプテン澤穂希の真直ぐな祈りと、日本サポーター全員の心からの祈りが重なった瞬間

「ヨッシャー決まったー! 熊谷ー! 優勝だぁー!!」

夢のような快挙が みごと現実のものとなった



東日本大震災と福島原発事故の余波がまだまだ残る陰鬱なムードの7月18日、女子サッカーワールドカップなでしこジャパン世界一という快挙を伝えるビッグニュースが日本中を席巻し、愛すべき21人のなでしこ達が、この上なく力強い大きな活力を我々にもたらしてくれた。

まさかまさか自分が生きている間に、あのワールドカップの優勝トロフィーを、日本チームが天に向かって突き上げる光景を見ることができるなんて・・・ホント皆さん信じられます? これが夢なら覚めないでくれと怖いほどの歓喜に打ち震え、暫く動けなくなってしまったのはおそらく私だけではないだろう。


それにしても今大会、なでしこジャパンの戦いぶりには驚嘆するばかりだった。

その予選リーグは、なでしこのシンボル澤穂希の代表通算得点記録となる76ゴール目を含むハットトリックの活躍などもあり、2勝1敗という戦績で突破した。

そして迎えた決勝トーナメント初戦、ベスト4をかけた準々決勝の相手は大会3連覇を狙う優勝候補筆頭のドイツ。今大会の開催国であり、3年前の北京オリンピックでは、なでしこジャパンが初のメダルをかけて臨んだ3位決定戦で1点も取れずに叩きのめされた因縁の相手でもある。加えて日本はこれまで一度もこの強国に勝ったことがない。

試合前は、私を含めてかなり多くのサポーターの脳裏に『今回もここで終わりかな』という思いが正直よぎっていたのではないだろうか。

ところが、完全アウェイの中試合が始まると、彼女たちは体力も技術も明らかに格上の強豪ドイツを相手に、攻め続けられながらも身体を張った全員守備で守り抜き、前後半90分を0-0のドローと踏ん張った。

そして迎えた延長後半3分、澤の浮き球に反応した丸山が相手ディフェンダーの裏に抜け出し、エンドライン際角度のないエリアからトップスピードのまま放ったシュートが左サイドネットを揺らし、これが決勝点となって対ドイツ戦の初勝利と、初のメダル獲得への挑戦権を再び手中にした。


今大会このドイツ戦の勝利が本当に大きかった。北京のリベンジを果たしたなでしこジャパンは、この勝利をきっかけに何か憑きものでもとれたかのように、最後まで諦めない強いチームへと変貌していった。

我々サポーターも、このチームならひょっとして本当にやってくれるのではないかという期待感が日に日に強くなっていた。

そんなムードで迎えた準決勝スウェーデン戦は、永里に代わって先発出場した今大会のシンデレラガール川澄の2得点の活躍で勝利し、女子サッカー世界大会での初のメダル獲得を確実にした。


そして、なでしこジャパンの真の粘り強さを全世界に知らしめたアメリカとの決勝戦。

日本は世界ランク1位アメリカの猛攻に叩かれても叩かれてもチーム一丸となって懸命に喰らいつき、絶体絶命の窮地に二度も追い込まれながら、これまでなでしこジャパンを牽引してきた2人のリーダー、澤と宮間の技術を超えた執念のゴールで追いつき、全員が絶対に諦めないという強い姿勢で最後までボールを追い続けた。

そして延長を含む120分間を戦い抜き、互いに譲らず2-2のドローという結果となったが、この決勝戦でのなでしこの戦いぶりは、まさに今、復興日本が目指すべき明日を象徴するかのような圧巻の試合内容だった。

雌雄を決する最後のPK戦は、大会を通じて再三好守備を見せてきた守護神海堀のスーパーセーブも含めて、今大会ずっとキャプテン澤穂希に微笑み続けてくれたサッカーの神様が、彼女のこれまでのひたむきな努力と、純粋にサッカーを愛する気持ちに対するご褒美として、日本を勝利に導いてくれたように思えてならなかった。


今回のなでしこジャパン優勝という事実、そして彼女たちの最後まで諦めない姿は、被災地の方々を初めとする我々日本国民にどれほど大きな勇気と元気を与えてくれたかは言うまでもないが、この優勝を通して、全世界の人々が日本への祝福と同時に、復興への激励、支援を改めて心に刻んでくれたことも、彼女たちが身をもってもたらしたもう一つの大きな貢献と言えるのではないだろうか。



「でも澤って ホントすごいよね~」

試合後のインタビューを見ていたカミさんが呟いた

「澤の何がすごいと思うの?」

「だってゴール見ないで後ろキックで点入れちゃうんだよ~
 あんなこと他の選手には絶対できないでしょ!」

「後ろキックって・・・まあ確かにあれが入っちゃうとこはタダ者じゃない
 でも本当にすごいのは いつでもどこでも“自然体”ってところだよ
 あの立場にいたら 普通あれだけ無邪気にサッカー楽しめないよ
 凡人なら必要以上に格好つけるか プレッシャーに潰されるだろうね
 彼女にはそれが全くない そこが一番すごいとこだと思うよ」

「ふ~ん でも無邪気って 考えが浅いとか単純って意味じゃないの?」

「ああ 俺が言った無邪気ってのは邪心がないってこと 
 無駄に野心や妄想を抱いてない・・・無心ってことだよ」

「そうか・・・じゃ私もより無邪気にテニスとか温泉を楽しめばいいってことね!」

「その無邪気はお前が言った方の意味!」

「あら・・・」

2011年6月30日

初めての父の日

「夏休み 研修兼ねたアルバイト入るみたいなんだよね」

「それじゃあ パスポート作っても使うときないだろう?」

「うん・・・ そうだね」

「うんそうだねって お前 結局何しに帰ってきたの?」

「まあまあ いいじゃん! それよりワイン飲も飲も!」


今月15日、東京の専門学校に通う娘が一本のワインをぶら下げて一夜限りの帰省をした。

夏休みに友達と海外旅行に行く話があるので、パスポートを作るために6月中旬に一度帰るかもしれないと、母親には事前に連絡が入っていたらしい。

今年学生最後の年となった娘はGWも帰省することなく、本人曰くひたすら就活に奔走していたらしい。その結果、娘が希望する職種に就けそうな会社から、夏休み中に研修を兼ねたアルバイトに来れるかとオファーがあったので、二つ返事でOKしたのだと言う。


娘は現在メディア関係を学ぶ専門学校で「放送映画」という分野を専攻しており、映画やTV番組などの照明技術を修学している。中学生のときに大ヒット映画「オールウェイズ 三丁目の夕日」を観て以来、映画の裏方の仕事に興味を持ったらしく、いつのまにか映画やドラマを制作する側の仕事に就くことが将来の目標となっていた。

そして昨年から、いろんな専門分野を学習経験する中で、自ら照明というセクションを選択した。今のところ何故照明技術なのか詳しい理由は敢えて訊いていない。娘が自分で決めたことだからその道を信じて進んでくれればいいし、大事なのは何を選ぶかではなく、どう活かすかだと思っているので、我々親は子どもを信じて応援するのみ、これまで同様この時期の子どもたちに対する私の変わらぬスタンスである・・・

なんて、親元離れて暮らす娘のことを何でもお見通しのように書き並べているが、実はこういったことを私に知らしめるために、今回彼女が平日一泊二日の弾丸里帰りを強行したということを、私はほどなく知ることとなった。


『春休みは震災の影響で、GWは就活のためにと、理由はともかくスネッかじりの学生の分際で長期休暇に帰省せず、元気な姿を両親に見せることもなく、近況や就職のこともしっかり話しをしていないから、きっとそんな状況を多少でも申しわけなく思っていたのだろう。そして今回の研修アルバイトでいよいよ夏休みも帰れなくなってしまうとなれば、無理をしてでも一度帰省しておかないとまずいと思ったに違いない。相変わらず計画性のない娘だが、帰る気になったんだからまあ善しとしてやるか』

私はそんな勝手な憶測を抱きつつ、今年二十歳になるのに相変わらず行き当たりばったりの娘の行動に苦笑しながらも、正直女だから仕事のことはまあそんなに厳しく言わんでもいいかと自分を納得させていた。


娘は蒲田の駅ビルにあるワイン屋さんで週3~4日アルバイトをしている。土日は当然稼ぎ時なのでかなり前に頼んでおかないと休むことはできないから、今週バイトがなかった水曜と、たまたま授業がなかった木曜を使って帰ったというのだが、実家に着いたのは夜の11時、翌日午後3時のあずさで帰るという。いやいやもっと余裕を持って帰省できる日はいくらでもあっただろうと誰でも思うところだ。

なぜそんな厳しい日を選んだのかよく分からなかったのだが、その辺もまた娘らしいと言えばそうなので、さして深く追求することもなく、お土産のワインを飲みながら親子三人で暫く談笑していた。

そして軽い食事をとっていた娘が用を足しに席を外したとき、カミさんが誰に言うともなく諭すような口調で話し出した。

「このワインは父の日のプレゼント・・・ お父さんに会って直接渡して顔を見て、自分のこれからの大事なことを話したかったんだ、いつもありがとうって感謝の思いも込めてね・・・ でも週末の父の日には帰れないから、父の日に一番近い帰れる日にどうしても帰って来たかった  兄貴たちがそうだったように、お父さんとの約束を守りたかった あの娘だって同じお父さんの子どもだから・・・ まあ照れ隠しでパスポート作るからなんて言うとこが可愛いけどね・・・」

今週末は父の日?・・・それが全く頭になかった私には言葉がなかった。
おそらく薄々気付いていたカミさんは娘の気持ちを尊重して、敢えて今日までそこには触れなかったのだろう。


仕事や結婚、家族や健康、そういった自分の人生にとって本当に重要なことは、どんなに忙しくても電話とかメールじゃなくて、相手の顔を見て自分の言葉で真っ直ぐ話しなさい、これはお前たちとお父さんの約束だからなと、子どもたちに言い続けてきたのは確かに私だった。

娘は自分の就職の話が具体的に動き出す中で、仕事に対する目標や将来に対する自分の考え方といったものを一度両親にしっかり話し、それを認めてもらいたかったのだ。と同時に、今までそれらしいことは何一つしたことのなかった父の日に合わせて、その報告、それはすなわち娘の成長そのものを、父親への感謝の気持ちとして示したかったのだと思う。


私は息子も娘も同じように育て、接してきたつもりだが、やはりどこかで男と女という区別をしていたのかもしれない。もちろん生まれ持った役割というか性(さが)といわれるものまですべてひっくるめて男も女も全部一緒だとは言わないが、人としての生き方に男も女も区別がないのは明らかだ。

娘が就こうとしている仕事は、ワゴン車に機材を積み込んで、時間も場所も関係なく、日本中を走り回って、顧客のニーズ以上の作品を提供しなければならないという、過酷な裏方と華やかな表舞台が共存するそれこそ男も女もまったく無関係な世界だ。

そんなことは百も承知でその世界に飛び込もうとしている娘を、無意識のうちに息子たちとは一線を画し、女という視点で明らかになるく見ていた私は、この日、痛烈に横っ面を張り倒されるような苦い感覚と同時に、この上なく心地良い気分で娘の話に耳を傾けたのだが、その不思議な至福の空間こそ、娘が演出してくれた初めての父の日のプレゼントに他ならなかった。



「このワイン父の日のプレゼントだったの?」

「そ・・・そうだよ」

「お前が父の日にプレゼントくれるなんて初めてだよな」

え-! そうだっけ-! んなことないでしょ!!

「でもこんなにパンチの効いた旨いワインは初めてだ・・・ ありがとな」



2011年5月30日

映画 『岳-ガク-』

「そういえばこの前テニスの仲間が観に来たら すぐ近くに60代位のグループがいて
『そりゃありえねぇ~』だの『ありゃ○○岳だな』とか『俺ぁあの山登ったことある』
なんてずっーと喋ってるもんだから 全然映画に集中できなかったんだって」

館内のチケット売場の列に並んで順番を待っていると
カミさんが思い出したように口を開いた

「そりゃ迷惑な話だな~ でも信州人としちゃ 北アルプスを舞台にした山の映画
なんて聞いたら やっぱ一言もの申したくなるマニアも多いだろうからな~」

「今日はどうだろうね?」 

「まあ中の様子見て もしそれっぽい人が居たら離れて座るってもんだな」


「お待ちのお客様どうぞ~」

開演5分前になって やっとこさウチの順番が回ってきた

「あっ はいはい “岳” 大人ニ枚お願いしまーす」

「14時開演の空いているお席は こちらだけとなっておりますが」

「えっ・・・全席指定・・・スゴッ!」



行ってきました映画『岳』。石塚真一の人気マンガを、まさしく今がシュンの小栗旬と長澤まさみの共演で、ご当地信州北アルプスの山々を中心に、松本、大町、白馬などをロケ地として制作されたこの春注目の作品。

今をときめく若手人気俳優の共演、きっと観客も若いカップルなんかが多いだろうと館内の袖からそれとなく周囲を見回してみたが、冒頭カミさんのテニス仲間の悲話を彷彿とさせる、浅黒い顔のいかにも足腰に自信のありそうな年輩の方が多いのにびっくり。これはこちらも心して鑑賞せねばならんかなと、やや緊張の面持ちで指定された席に腰をかけた。

正直私自身は小学生のときの美ヶ原登山と、中学生のときの燕岳登山くらいしか山登りの経験はなく、おまけに原作のマンガを手にしたこともないので、登山の知識もなければ、日本の屋根と言われる北アルプスの山々も、恥ずかしながら名前は聞いたことあるけれど、どれがその山なのかは分からないという、この地方には割とよく居るタイプの素人である。

ただその素人感覚が功奏し、オープニングからいきなり画面狭しと飛び込んで来る冬の穂高連峰の息を飲むようなド迫力映像に、私もカミサンもサブいぼを立てながら感動し、その後もスクリーンに次々と映し出されるアルプスの絶景と、その雄大且つ過酷な頂きで、スタントを一切使わず体当たり演技を魅せる小栗旬の役者魂に、私ら的にはかなりの興奮と満足を味あわせてもらったのである。

幸いこの日は、ここが映画鑑賞をする場所であることをわきまえた方々ばかりだったようで、周囲を無視して蘊蓄を語るような輩も現れず、私らもどっぷり映画に集中できたのだが、確かにプロの登山家から見れば、ストーリーの所々に多少現実離れしたシーンがあるかなと思い入るところはあった。

しかし、そこはマンガの映画化ということで目をつぶってもらうとして、私としては若干翔んだストーリー云々を語るよりも、とにかくアルプス連峰の度肝を抜く素晴らしい映像を、是非とも劇場に足を運んでご覧になることをお薦めする。中には「そのうちDVDか映画番組で観れるから」とお考えになる方もいるだろうが、この映画に関しては絶対に劇場のスクリーンで観るべきである。TVの画面ではこの映画の魅力が半減すること間違いなしと断言できる。


北アルプスの絶景だけでなく、他にも私にとっては嬉しい場面がいくつもあった。

松本北東部の三才山峠を水源として市の中心部を潜り抜けるように流れる女鳥羽川(メトバガワ)。その川の対岸に位置する縄手通りと蔵の町中町通りを結ぶ幸橋(サイワイバシ)と中の橋(ナカノバシ)を、小栗旬演じる島崎三歩が道に迷って走り回るシーン・・・
ここは私が子どもの頃、魚取りなどをして友達と散々川遊びをしていた懐かしい場所であり、以前紹介した私が若い頃とてもお世話になった民芸スナック(2009/04「恩返し」)というのも、この中の橋の袂に店を構えている。
 
さらに日本百名山の一つでもある美ヶ原を水源とする一級河川薄川(ススキガワ)。その川にかかる見晴橋(ミハラシバシ)で、怪我をした長澤まさみ演じる椎名久美が、見舞いに来た佐々木蔵之介演じる長野県警山岳救助隊隊長に励まされるシーン・・・
この見晴橋は、美ヶ原と北アルプスを東西双方向に一望できる場所として、映画やTVのロケによく使われるスポットでもあるが、こちらも以前紹介した私ら夫婦の母校、松商学園(2010/07「奇跡の裏付け」)の校庭から堤防道路に出たすぐ先にある、人と自転車専用の、学生たちにとってなくてはならない橋である。


そんな映画『岳』を松本市は今年2月「松本CINEMA」の第1号に認定した。松本シネマとは、松本市を舞台にロケを行い製作される映画で、市の観光振興やPRに寄与する作品に贈られる称号であるという。

現在松本市では、未だ閉塞感漂う景気回復の起爆剤として観光振興を掲げており、国宝松本城や美しい自然環境をアピールポイントとして、映画やTV番組などのロケ誘致に力を入れている。

実は最近、私がやたらと映画やTVドラマの話題をコラムに載せて“信州ブレイク”のテンションを提起しているのも、微力ながらこの市政策の一助になればと思ってのことである。

それは、この信州に住む私らにとって当然に他人ごとではないからだ。

当事務所にも宿泊業や飲食サービス業など、観光と密接に関わる事業を営んでいる顧客が何件もある。不況の煽りをまともに受けるこの業界は、此度の大震災の影響により更なる打撃を被り、以前にも増して厳しい経営環境を強いられている。

そんな皆さんのためにも、信州の知られざる素晴らしさを全国に向けて発信してくれるメディアの力をきっかけに、全国各地から一人でも多くの人が当地を訪れ、観光振興を起点とした地域全体の活性化が実現することを、私は切に願っている。



「しかし 日本もスケールの大きな映画撮るようになったよな」

「うん 最近洋画より邦画の方が 面白いもんね」

「ん?・・・ホウガのホウガって・・・ウメェこと言うじゃねぇかこのヤロー! 」

「・・・あんたのスケールは 相変わらず大きくならないのね」

「・・・」

2011年4月30日

おひさま

「おかえり~ 今日も泣けるよ~」

「私はこれから見るのだ 余計なことを言うな」

「それがさぁ 春兄ちゃんがねぇ~ 良いんだよ」

「まだ言うか! それ以上とぼけたことをぬかすと許さんぞ!」

「分かった分かった もう冗談通じないんだから」

「バカもの! この時代 一家の主にそんな冗談など通じぬわ!」

「・・・今は平成 昭和初期じゃあるまいし ドラマと一緒にしないでよ」

「気持ちから入るのが大事なのだ お前にはわかるまい・・・」

「はいはい 好きにしてちょうだい」

NHK朝の連続テレビ小説「おひさま」が始まって早一ヶ月、帰宅して録画しておいた今日の一話を晩酌の肴にじっくり視聴するのが最近の日課になっている。


信州安曇野と松本を舞台に、戦前、戦中、戦後という激動の時代を明るく力強く生きた実在の女性、須藤陽子の半生を描いたドラマ。ヒロイン陽子役には「花より男子」で一躍注目を浴びた井上真央、そして脚本は連続テレビ小説のヒット作「ちゅらさん」シリーズで著名な岡田惠和氏の書き下ろしである。
(詳しくは http://www9.nhk.or.jp/ohisama/)

今年2011年はこの「おひさま」を初め、5月7日に公開される小栗旬・長沢まさみ主演の映画「岳」、同じく8月に公開が決まった櫻井翔・宮崎あおい主演の映画「神様のカルテ」などなど、信州、特に松本周辺の中信地方を舞台とするトップスターキャストのメジャー作品が目白押し。

「今年は信州が大ブレイクするぞー!」と期待を込めたコラム(2010年10月「ブレイク」)を発信していたこともあり、先陣を切って始まった「おひさま」がどんなストーリーかと楽しみにしていたのだが、子ども時代の陽子を演じた八木優希を初めとする子役たちの見事な演技に心を打たれ、しょっぱなからはまってしまったのである。


何より心地よく見ることができるのは、ドラマのロケ地や登場人物の設定が当然ながらよく知る風景であり、とても身近に感じられるからに他ならない。

田中圭演じる長男春樹が通う旧制松本高校(現深志高校)は、国の重要文化財として現存する同校の校舎であった、現「あがたの森文化会館」が使われている。

この会館の敷地でもあり隣接するあがたの森公園は、ウチの子どもたちが幼少の頃、カミさんがほとんど毎日のように連れて遊ばせていた公園で、子どもたちにとっては自分の庭同然の思い出深い場所である。

またヒロイン陽子が通う女学校とは、その昔女子高だった現豊科高校で、現在は安曇野市豊科に位置する共学の普通高校だが、前身の豊科女子高校は私の姉の母校でもある。

そして永山絢斗演じる次男茂樹が通う農学校というのは、豊科高校のほど近くにその校舎を構え、地元の人間なら誰もが知っている、創立90年の歴史ある南安曇農業高校だ。

さらに陽子が親友の真知子、育子と一緒に毎日女学校へ通う町並みは、江戸時代に中山道の宿場町として栄え、現在も昔の景観を町ぐるみで守り続け、一年を通じて多くの観光客が訪れる塩尻市奈良井宿のメインストリートがロケ地となっている。


そんな風情あふれる信州の美しい景観や歴史がドラマを通して全国に向けて紹介されるという満足感もさることながら、私ら夫婦がこのドラマにはまるもう一つの理由は、他ならぬ須藤家の家族構成にあるかもしれない。

母親が早逝するというシチュエーションはウチにはないが(もっとも殺しても死ぬようなたまではないが?)ましてや一人一人の出来の良さもことごとく違うのだが、須藤家の三兄弟がウチと同じ長男、次男、長女という構成だからだろう。

当然、昭和初期という時代背景はあるものの、威厳ある父と真の優しさで子どもに向き合う母という両親の存在、その両親を心から慕い敬う子どもたち、今はそこまで厳格でなくてもいいのだが、その関係性は家族の理想的な姿ではないかと私は思う・・・ そう、現代の親子関係はあまりにフランクというかフレンドリー過ぎるのだ。

そんな親と子の関係、末娘の陽子と二人の兄との思いやりのある関わりがウチの子どもたちとダブってしまい、甚だしい感情移入に我ながら困惑している始末である。

相棒でお馴染み寺脇康文演じる父良一に対する陽子の「はい」という返事が、何とも爽やかで愛らしく、そして羨ましく・・・ 
お前にもこんな返事が出来ないかな~なんて娘の顔を浮かべて思ったり

弟を祖父母の養子に行かせないために、当時中学生の兄春樹が「茂樹は大切な弟なんです!絶対に離しません!」と命がけで祖母に直談判するその姿に・・・ 
お前もここまで身体張って弟や妹を守れるか~なんて長男の顔を浮かべて思ったり

海軍予科練入隊志願を懇願する次男茂樹の父親に対するビシッとした態度に・・・
これがホントに大事な時の姿勢なんだぞ~なんて次男の顔を浮かべて思ったり

ともかく、ドラマの配役に選ばれし優秀な登場人物と比較してはいけないが、ウチの子がこんな状況だったらどうするんだろうなどと自然にダブらせながら見ることができるのは、それはそれで中々楽しいものである。

玄人も素人もなく、視聴率稼ぎのバラエティ番組や流行を追ったトレンディドラマなどが主流となっている現在のTV業界からすると、NHKの連ドラは昔ながらのベタなストーリーと評価されがちなのだろうが、私もそんな歳になったということだろうか、その生活感のある先が分かるベタさが不思議と良く思えてしまう。

東日本大震災で旅行控えが囁かれている今日この頃だが、「おひさま」の中でも映し出される勇壮な北アルプスの峰々、そのスケールの大きな荒々しさと妙にマッチする安曇野の穏やかに澄んだ水と緑。そんな信州の絶景を体感しに、一人でも多くの方が足を運んでいただければと願うばかりである。



「あいつらも こんな子になってくれんかな~」

「まあ手遅れでしょうね~」

「とりあえず言葉使いから叩き直してみるかな」

「とりあえずTV消して正座してご飯食べるようにしたら?」

「そ それは・・・」

「とりあえず諏訪大社のお守りでも買ってきてあげるとか?」

「そ それも・・・」

「とりあえず 父親からってことでしょうね~」

「そ そう・・・なの?」

2011年3月30日

それぞれの震災

“ 宣誓! 私たちは16年前 阪神大震災の年に生まれました。
今、東日本大震災で多くの尊い命が奪われ、私たちの心は悲しみでいっぱいです。
被災地ではすべての方々が一丸となり、仲間とともに頑張っておられます。
人は仲間に支えられ、大きな困難を乗りきることができると信じています。
私たちに今できること、それはこの大会を精いっぱい元気を出して戦うことです。
「がんばろう 日本!」
生かされている命に感謝し、全身全霊で正々堂々とプレーすることを誓います。
平成23年3月23日 創志学園高等学校 野球部主将 野山慎介 ”


巡回監査に向かう車中ラジオでこの宣誓を聴き鳥肌を立ててウルウルきていた。
帰宅後TVのニュースでその表情や立ち振舞いを見て涙をこらえ切れなかった。

岡山県代表の創志学園は、創部1年目で選手全員が新2年生だという。そんな若いチームが春の選抜全国大会出場を果たしただけでもすごいことなのだが、感動の宣誓を見せてくれた主将の野山慎介君はほんの1年前まで中学生だったわけである。その彼が並み居る他校の先輩主将達を代表して登壇し、このように何とも堂々とした姿を見せてくれる。 まだまだ日本も捨てたもんじゃない あっぱれだ!


最近歳のせいか、どうも涙腺が弱くなっていけない。

被災地の子どもたちが避難所でお年寄りのために救援物資をリレーする姿、甲子園球場での宮城東北高校に対するスタンドからの大声援、仙台市出身の福原愛がトラック1台分の支援物資を自ら積み込むその表情、日本代表対Jリーグ選抜のチャリティマッチでのキング・カズのゴールにさえ、やたらと熱いものが込み上げてくる。

もちろん単純にその様だけを眺めて目頭を赤くしているわけではない。

そのときの被災地の子どもたちの気持ち、そのときの東北高校野球部員の決意、そのときの福原愛や三浦和良の強い思いを考えると、こんな私でも心が動かされるのである。


本当に歳のせいなのか、此度の東日本大震災がもたらしたあまりの悲惨さがそうさせるのかは分からない。ただ一つ言えることは、今、日本でとんでもないことが起こっているという事実である。そしてこの大震災は現実に被災された東北各県の方々はもちろん、被災地以外の人々にも、ことの大小を問わず何らかの形でそれぞれに影響をもたらす常軌を逸した自然災害となっているのである。


東京の専門学校に通う娘はこの春休み帰省しなかった。同じ寮に岩手県宮古市出身の友達がいて、3月11日の地震と津波による被災以後、その子の家族は音信不通で安否が不明だという。恐怖と不安に震える仲間を一人残して自分だけ帰るわけにはいかない。そばにいて励ましてあげたいからというメールがきたとカミさんが言う。

そしてカミさんによると、偶然にもその岩手の子のお母さんは昨年4月の入学式の日、カミさんと娘が会場に向かうために東京駅で電車を乗り継ごうとしていたところに道を尋ねてきた方で、ほどなく同じ学校に入学することが分かり、それならと一緒に会場まで行き、入学式ではずっとカミさんの隣に座り、寮も同じなどの話ですっかり意気投合したお母さんだというではないか。何か運命のようなものさえ感じた私は・・・

「当たり前だ そんな状況で帰ってきたら勘当だ! 最後までしっかり元気付けてあげるようにと返信しときなさい」 “仲間を真剣に大切にする”はウチの家訓である。

さらに娘の話では、震災以後首都圏でもコンビニには弁当やおにぎりなどがほとんどない状態だと言い、こちらとしても岩手のご家族の安否も気がかりだったので、何度も娘と連絡を取り状況を確認しながら、不足しない程度のお米やらレトルト食品やらを、寮に残っている子たちの分もと送ったりしていた。

そして一週間後、友達の家族は全員無事で、すぐ近くには流されてしまった家もあったが、彼女の家は何とか大丈夫だったらしいとの連絡が入った・・・今も厳しい避難生活の渦中におられると思うのだが、とにかく命が繋がって何よりである。


東日本大震災の翌12日未明、ここ信州の最北端、秘境秋山郷を抱える栄村も震度6強の大地震に襲われた。山国ということで東北のような津波による壊滅的な被害こそなく、一人の死者も出なかったとは言え、ライフラインは寸断され、国道117号線もJR飯山線も分断されて、多くの被災者は東日本同様今も不自由な避難生活に耐えながら、復興への道を懸命に切り拓こうとしている。

我々がそうであるように、他県から見ると長野県全体が大きな被災に遭い、大変な状況にあると思われているようである。直接的な被害のない当地松本でも、浅間温泉や美ヶ原温泉を初め、上高地や乗鞍などの観光地では春休みからゴールデンウィークにかけての予約がほとんどキャンセルになってしまったと聞く。

観光のみならず、農業、自動車、製造、小売、そのほとんどすべての企業が大震災によって何らかの影響を受け、通常の営業活動ができない状況にさらされている。


栄村の震災から4日後、東京に住む長男の彼女からカミさんにメールが入った。

半蔵門にある長男が勤務する会社でも、大きな揺れであちこちの棚が倒れ、書類も散乱して大変な惨状を目の当たりにしたようだ。震災当日は三鷹台のアパートまで何時間もかけて歩いて帰ったという。

その彼女からのメールは、鹿児島に住む彼女のご両親が、大地震のあった信州の我が家を案じ、ご実家で精製している温泉水(2010年8月「反面教師」参照)を万が一のときのために送ります、というありがたいものだった。

2日後、鹿児島県垂水市の地下770mより自噴する天然温泉水「美豊泉」の20ℓ入り3箱が届いた。一度もお会いしたことのない息子の彼女のご両親から、子ども達の縁をきっかけに、我々にまで強力な支援物資を送っていただくとは何とも恐縮しかりだが、おそらく牛伏寺断層という爆弾を抱える信州だからこそ、今はともかく今後何が起こるか分からないと、遠い空の下から我々を案じて下さったのだと感謝している。


一方では、千葉県在住の東京電力に勤務する高校時代の親友が、家に帰ることもできない状態で、日々福島原発事故の対応に追われているという。

また一方では、東京ディズニーランドの各種アトラクション設備のメンテを業としている高校時代の同級生が、先の見えない状況の中、毎日現場に詰めて夜遅くまで復旧に当たっているという。


家族を失い家を流され、働く場さえなくなってしまった被災地の皆さんのことを考えれば、周辺の人々の抱える問題など声高に語ってはいけないのかもしれない。

しかし、震災そのものを直接被らなかった地域でも、大袈裟ではなく死活問題に発展しそうな状況があちこちで起こりつつあるのが現実だ。


もちろん事務所のお客様も例外ではない。

資材が入らず操業をストップせざるを得ない工場もある。消費抑制、活動自粛の影響で売上の激減が見込まれる飲食店や観光事業者なども続出している。

そしてこんなとき「会計事務所は不況がなくていいよね」などとよく言われてしまう。

とんでもありません・・・ 

皆さんの事業が立ち行かなくなれば、私たち会計事務所も必要なくなる。
私たちの仕事は皆さんの事業の永続的な発展があってこそ存在するからだ。

この大震災は、誰が大変で誰が大変じゃないなどと軽口をたたけるような代物ではないことは誰もが分かっている。日々報道される被災地の変わり果てた姿、そして今後何年かかるか想像もつかない復興に対するパワーの創出を考えると、これまでの自分の生き方さえ見直す機会を天地に与えられたのではないかと思えてくるほどだ。

だが、日々の情報や報道の中には、前述したような人間の強さや温かさが感じられるものも数多くある。そんな胸の熱くなるような姿に勇気を貰いながら、同じ方向を向いたときの人間のエネルギーは大震災を超えるほどのパワーを発揮すると信じ、それぞれが厳かに、本当に苦しんでいる人たちの立場で自分にできることを見極め行動することが、今の私たちに必要な姿勢ではないかと思っている。



「お父さん震災の義援金送るけど お前も1万円位送っとこうか?」

被災地の状況を報じるニュースを見ながら一緒に夕食をとっていた次男坊に促した

「えっ 俺も?」

「ああ お前だってもう立派な社会人だ せめておにぎり百個分位貢献したらどうだ」

可哀想だがこんなときだけは『立派』な社会人に格上げだ


「1万円っておにぎり百個か・・・ 全然足りないね」

「お前一人でみんなを救えるわけじゃない でもみんなでやればみんなが助かる」

「・・・分かった 母さんに渡しとくから一緒に送っといて」

「了解!」

2011年2月27日

10年越しの箸袋  ~後編~

「これに和尚さんの似顔絵でも描いてあげたら?」

眼前の大柄なお坊さんにすっかりビビッている娘に割箸袋を手渡した
無理もない 娘がこんな間近でリアルなお坊さんを見るのは初めてだ

「・・・うん」

眼前の大柄なお坊さんの顔をチラチラ見ながら絵を描き始めた娘を
おだやかな笑顔で見つめ返していた大柄なお坊さんが優しく問うた

「絵を描くのが好きなの?」

「・・・ハイ!」

わずかな会話を継ぎ 緊張がほぐれてきた娘は 和尚の顔を描き上げると
横に自分の母親と なぜか料理を運んで来たウェーターのお兄さんの顔を
描き加えたのち 眼前の大柄なお坊さんの手元に その箸袋を差し出した

「えっ?くれるの?・・・おっ!優しい顔に描いてくれたね どうもありがとう」

母親を振り返りながら はにかむように照れ笑いを見せていた娘だが
そのあとも大柄なお坊さんのいくつかの問いかけに顔を赤らめながら
それでもはっきりとした口調で 時折り笑顔を交えながら答えていた

眼前の大柄なお坊さんは 彼女の中ではいつしか
どこにでもいる優しいおじさんと化したように見えた



今から遡ること10年半前の平成12年8月、その年事務所の20周年記念ということで、日頃の内助に対する感謝の意を表しましょうと、職員の家族を招いての食事会が市内某ホテルのレストランで設けられました。

我が家では、サッカーの遠征で不在だった長男を除き、当時小5の次男と同じく小3の長女、それにカミさんを連れだってその宴席に臨んでいました。

家族4人が横一列に並んで席に着いたとき、私の対面にはやはり20周年の記念講演会の講師としてお招きしていた高橋宗寛和尚(前回「10年越の箸袋~前編~」参照)が、どっかと腰かけておられたのですが、私の隣にひっそり腰かけた娘が、その和尚さんの姿を目の前にした瞬間からすっかり緊張してしまい、完全に固まってしまったのです。

高橋和尚という人は、私らいい大人でさえ今でもお会いすれば、その威圧感・・もとい、その並々ならぬ存在感のある表情と体格に、自然とこちらの背筋が伸びてしまうような強烈なオーラを放つ人物です。

ましてやピカピカ頭の正装したお坊さんなんてアニメの一休さんでしか見たことのない僅か8歳の女の子にとって、至近距離で見る高橋和尚のお姿は、おそらく恐怖以外の何ものでもなかったことは容易に推察できました。

そこで、好きな絵でも描かせて落ち着かせてやろうという親心から、軽い気持ちで手元の割箸袋を娘に渡して促したのですが、稚拙なその作戦が見事に功を奏し、何とか娘が泣き出す前に和尚とのコミュニケーションがとれたことに安堵し、私もカミさんもみなその箸袋の存在すらすっかり記憶から消え去っていました。


そしてあれから10年の歳月が流れ、今年1月27日に開催した事務所の30周年記念セミナー、その記念講演の講師はもちろん、ウチの事務所では恒例というより必然となった、その人高橋宗寛和尚です。

その講演で私が和尚にお願いした『こころを配る』という演題は、今回セミナーの「変化をチャンスへ!社長の行動が未来を変える」のメインテーマとは明らかに一線を画すものだったのですが、和尚は「うむ・・・ではそれで」とこれを快く受け入れて下さり、当日のご講演は、私たち事務所スタッフはもちろんのこと、ご参加いただいた顧客の皆様全員の心に響いただろう期待通りの素晴らしいお話でした。


そしてセミナー終了後、高橋和尚をお迎えしての打上げの席、スタッフみんなでその日のハプニングやら反省やらを酒の肴に語り合い、宴も和やかに進んで昔話に花が咲きかけた頃、この日も私の対面にどっかと座っておられた和尚が、私に向かって「えっ?」と聞き返したくなるような言葉を投げかけられました。

「ところで 娘さんとは今もいい関係でおるのかな?」

和尚の口からいきなり娘の話が飛び出し、私はその意図を解せないまま

「・・・あっ ハイ おかげ様で娘とは良好な親子関係だと思っておりますが・・・」

と、とってつけたような間抜けな返事を返すと

「うむ そうか・・・実はこれをいいタイミングでお返ししようと思いながら持っていたんだが・・・あれから10年経った記念の日だからちょうどいいかな・・・ 娘さんが嫁ぐときにでも見せてあげたらいい・・・」

高橋和尚はそんなことをサラッと仰いながら、ご自身の分厚いスケジュール帳から一片の箸袋を取り出され、私の手のひらにゆっくり乗せたのです。



「えーっ! いやいやいや ないないない
 これ・・・和尚! これ ずっと持ってて・・・
 いや~ こんな 有り得ないでしょ・・・」




私の手のひらには、10年前に私の娘が絵を描いたあの箸袋が確かに乗っていました。そして一旦は記憶から消え去っていたあの日の様が、本当に津波のようにザバーッと音を立てて蘇ってきたのです。

決して大袈裟な話ではなく、私はここ何十年も経験したことがないほどの驚嘆と感激で、すっかり我を失ってしまいました。

こんな地方の小さな会計事務所の一職員の娘が、たまたま一度お会いしたときに遊び半分で一片の割箸袋に描いた絵を、全国何万人というTKCの心ある先生方が師と仰ぐあの高橋和尚が、10年間もずっと持っていて下さったのです。

しかも毎日使っているスケジュール帳に挟み、そして年が変わり新しいそれに更新するたびに、この箸袋を手に取って、川崎会計のことやあの20周年の食事会のことを思い出しながら、シワを伸ばして新しいスケジュール帳に大切に挟み込んでくれていたなんて・・・もう勿体なくて この日私は 涙、涙、また涙の一日となってしまいました。


「一期一会」

千利休の茶道の心得であると、これも高橋和尚から教えていただいた言葉です。

『あなたと何度会っていようとも、今日の出会いは唯一無二の出会いなのです。
だから、この出会いを大切に思い、私にできる最高のおもてなしをしましょう。』

この10年間で私は少なくとも和尚と60回はお会いしてきました。ただそのことごとくは勉強会の講師と一聴講者というシチュエーションだったので、その場はいつもご挨拶程度の言葉を交わすだけで過ぎ去っていました。

改めて思い返してみると、和尚と差し向かえで杯を交わし、突っ込んだお話をさせていただいた「一期一会」と言える時間は、他でもないあの20周年の食事会が最後だったような気がします。

そして私にとってこの30周年でのサプライズは、紛れもなく高橋和尚から教えられた「一期一会」を、和尚自らが行動で示された最高を超えるおもてなしだったのです。

私はこの日、一片の箸袋さえも最高の宝物に昇華してしまう、そんなセンスのある人間になりたいと本気で思ったのでした。



翌日東京にいる娘に早速写メールで報告

「よく覚えてないけど・・・10年間も持っててくれたんだ 和尚さんってすごいネ」

「だろ? ところであの頃のお前には お父さんってどう映ってたわけ?」

10年前は気付かなかったが 箸袋の裏には私の似顔絵も描かれていた

「この絵の通りじゃない?  さすが わたしね!」

「・・・って  わしゃ 鬼かい!」

2011年1月30日

10年越しの箸袋  ~前編~

「これ おぼえてる?」

一片の割箸袋をカミさんに渡しながら尋ねた

「なになに・・・え~? これなに?」

「やっぱすぐには分からんか~ まあ無理ないよな~
 もらった俺もひっくり返りそうになったもんな~
 端っこに書いてあるメモ読んでみ」

「“H12.8.22 於ホテルV ユイちゃん 小3”って
 え゛ー!! これ もしかしてあのときの?

「そーなんだよ」  
  
「どーして あんたが持ってんの?」

「今日 高橋和尚からいただいたんだ」

暫く黙ってその箸袋を見つめるカミさん

「・・・和尚さん すごいね」



このコラムでも何度か登場いただいたことのあるその人、高橋宗寛和尚は、人生への向き合い方や仕事に対する姿勢といった「心」の分野で、我々事務所スタッフが長年ご指導いただいている、川崎会計にとって欠かせない存在の方なので、どこかで一度きっちりご紹介せねばと思っていながら、なかなかそのきっかけがなかったのですが、今回はその高橋和尚のプロフィールを改めてご紹介させていただきます。


京都市は花園の妙心寺をご本山とする臨済宗妙心寺派の布教師で、現在千葉県香取市にある妙性寺のご住職です。もともと実家がお寺で僧侶になったというわけではなく、岩手県出身で東京農工大学農学部を卒業後、サラリーマンをしているときに東京は港区にある龍源寺の老師様、故松原泰道・哲明親子と出会い、お二人の素晴らしい人間性に魅せられ、一念発起して出家を決意、やっとの思いで弟子入りを許されたのち、厳しい修業を経て、27歳で得度されたという経歴をお持ちの方です。


そんな禅宗のお坊さんとどうして繋がりがあるのかと思われるかもしれませんが、高橋和尚は当事務所が入会しているTKC全国会の中央研修所顧問であり、TKC会員事務所の間では知らない人はいないインターナショナルな人物であり、実は本来我々のような一介の職員が気軽にお話しできるような立場の人ではないのです。

和尚は、多くの著名な企業から人材教育を依頼され、社員研修や座禅研修などを精力的に手掛ける傍ら、TKC全国会の創始者で、同じ臨済宗妙心寺派那須雲厳寺の植木義雄老師のもとで青年時代に見性を許された、故飯塚毅名誉会長(http://dr.takeshi-iizuka.jp/index.html参照)の基本理念である「自利利他」の精神を会員事務所の所長、職員に伝える伝道師として、飯塚会長の著書「会計人の原点」を真読する「原点の会」という勉強会の講師を20年以上に亘り全国各地で務められているのです。


そんな高橋宗寛和尚と川崎会計との出会いは平成2年に遡ります。

その年、開業10周年を迎えたウチの事務所は、顧客の皆さんをご招待して記念講演会を開催しようということになり、その講師としてお迎えしたのが高橋和尚でした。

私ら職員はその日が初対面だったのですが、その少し前に他県の研修会で初めて高橋和尚の講義を受けた川崎浩所長が、飯塚名誉会長の理念をここまで正しく熱く伝えて下さる人物はいないと和尚に一目惚れしてしまい、何でもその研修会直後に控室まで押しかけて、その日のうちに事務所の職員教育をお願いしたのだそうです。

そして、高橋和尚の含蓄溢れる講和のおかげで締りのあるイベントとなったその10周年記念講演会の打上げの席、「会場のホテルにも行かずにずっと俺の接待なんかしてて大丈夫なの?」と、和尚が心配するほど来賓の如く何もしない所長と、主役の長がおらずともこういった企画をすべて自分たちだけで運営してしまう職員という、普通の会計事務所らしくないウチの事務所のスタイルにいたくいたく感心された和尚は・・・

「うむ 気に入った! ワシをこの事務所の顧問にせい!」

と、鶴の一声、あっという間にウチの取締役顧問に就任する運びとなったのです。


そしてその年平成2年12月から、和尚に命名していただいた川崎会計の高橋和尚勉強会「浩気会(こうきかい)」がスタートしたのです。


当時の我々には「会計人の原点」はあまりにレベルが高過ぎるので、テキストは飯塚理論の入門編と言われる「自己探求 ~本当の貴方はどれですか~」 しかし、こちらも相当に難しい内容で、毎回受講後に提出するレポートを四苦八苦しながら何時間もかかって仕上げるという状態は、当時の我々にとってまさに修行のような勉強会と言えるものでした。


その後しばらくして我が浩気会が契機となり、所長の呼びかけで税理士先生有志が集まって「長野原点の会」が発足、会の翌日は「高橋和尚講話」と題した職員向けの研修会もセットで開催されるようになり、和尚が大好きな信州の銘酒を傾けながら、さらに中身の深いお話をされるという所長先生方との「おさらい会」と称される夜会も楽しみの一つとして、隔月年6回、1泊2日の日程で松本に来訪されています。

我々事務所の男性職員4名は、今は特例で所長と一緒に先生方の勉強会である「原点の会」に参加させていただいており、高橋和尚とも20年を超えるお付き合いになりました。


そして当事務所は昨年創立30周年を迎え、この1月27日に顧客の皆様をお招きしてセミナーを開催し、その記念講演の講師として、もはや事務所では恒例というより必然となった高橋和尚をお招きしました。


私にとっての予期せぬサプライズは、その日の慰労会の席で勃発したのです・・・

        ~to be continued~ 


ps:当日セミナーにお越しいただいた顧客の皆様並びに
  関係企業各位、スタッフ一同心より御礼申し上げます
  真にありがとうございました