2014年12月8日

いのちの洗濯


「あ~あ いよいよここの景色ともお別れかぁ」

「旅行に来てこんな真剣に帰りたくないって思ったことないなぁ」

帰りの空港に向かうタクシーでどちらからともなく呟いた


「でも ホンットに楽しかったね!」

「ああ 身体中の毒素がぜんぶ抜けたって感じ
島全体がパワースポットって言われる訳だ」 

満足感と後ろ髪をひかれる気持ちが交錯する中で
30年ぶりの夫婦二人の海外旅行は幕を閉じた



11月9日から一週間休みをいただいて、神話が生きる島ハワイ島に行ってきました。

来年結婚30周年、俗に言う真珠婚を迎える私ら夫婦ですが、今さら真珠のネックレスなどプレゼントしてもしょうがないので、せめてもの感謝の気持ちを伝えるために計画した記念旅行です。

そして、やや前倒しでこの時期にしたのにも一つ理由がありました。

私ら夫婦の友達で毎年11月にハワイ旅行をされているご夫婦がいらっしゃいます。

そのご夫婦は当地でペンションを営んでおり、業種がらオンシーズンとオフシーズンの繁閑差が大きく、時期的にオフとなるこの11月に決まった休日のない自らへのご褒美として始めたハワイ旅行だったようですが、今では毎年そのご褒美を継続することを目標にして、日々お仕事を頑張っているとても素敵な私らと同年代のご夫婦です。

生まれたときから知る互いの子ども同士も仲が良く、一昨年ウチの長男が彼らの息子さんを結婚式に招待したのですが、学校が違うために他に知り合いがいない彼を、長男は我々家族のテーブルに同席させ、さらに友人代表のスピーチまでお願いするといった間柄なのです。

そんな30年来の家族ぐるみのお付き合いを続けてきた彼ら夫婦とは、いつか一緒にハワイ旅行に行けたらいいねと常々話していたのですが、ウチが両親の介護などで家を空けられないといった事情もあり中々実現しませんでした。

しかし、たまたま私ら夫婦と同じ年に結婚した彼らは、その結婚した年にペンションをオープンさせたので、何もかもが30周年を迎えるということで、職場や家族にはちょっとご無理をお願いしてでも、ここで行くしかないでしょという思いで此度の旅行に踏み切った次第です。


今回旅先に選んだカメハメハ大王の生誕地として知られるハワイ島は、ハワイ四島の中で最も時代の新しい最も大きな火山島で、もともとは海底火山の噴火によるマグマが積み重なって出現した溶岩だけの島だったそうです。それを移り住んだ先住民が開拓して人間が生活できるようにしてきたわけですが、この島の最大の魅力はその火山活動も開拓も、今なお活発に続いているところにあると思います。

今年10月にもハワイ火山国立公園内にあるキラウエア火山が噴火して、通常であれば海側に流れ出す溶岩が住宅地に向かって流れたこともあり、観光に行こうにも間近で躍動する溶岩を見ることもできないため、その国立公園には行きませんでしたが、こうした自然環境からも、今なお形状が刻々と変化する息づく島であることが分かります。

そんな、日本ではとても見ることのできない壮大な自然が残るこの島で、身も心ものんびりリラックスしたかったというのが今回ハワイ島を選んだ第一の理由でした。


実際に現地に降り立って、迎えに来てくれていた友達夫婦の奥さんが運転する車で信号機のないハイウェイを走りながら目に飛び込んでくる風景に、私は思わず「おお~っ」と声を上げて見入ってしまいました。



一般的にハワイと言えば、先ずはオーシャンブルーの美しい海をイメージしますが、ことハワイ島に関しては、やはり火山島と言われるだけあって、海よりも山、しかもその噴火によって積み重なった溶岩がそのままの状態で断崖の如くハイウェイの両脇に何キロも続いているのです。これをよく切り拓き、緑を育て、ここまで開発したものだと感嘆させられました。

ハワイ島は島の中心部に、マウナ・ケアとマウナ・ロアと呼ばれる4千メートル級の二つの山が南北に並ぶように位置し、その山の東側にヒロ、西側にコナという都市部があります。

今回私らが滞在したのは、コナ・コーヒーやコナ・ビールで有名なコナ地方のコハラ・コーストと呼ばれるリゾート地に位置する膨大な広さのヒルトン・ワイコロア・ビレッジでした。そのビレッジに点在する11棟の3階建てのマンションのようなゲストハウスの一室を彼ら夫婦が手配してくれていました。


その部屋のベランダからの眺めは、目の前にオブジェの如き溶岩がある中庭、その向こうにゴルフコース、その向うに海、周囲にはゲストハウス以外に建物は何もないといった環境で、ビールでも飲みながら一日中でも眺めていられそうな素晴らしい風景でした。


そして彼ら夫婦とご一緒した四日間は本当に快適な日々でした。

ハワイが第二の故郷のようなお二人なので、何をするにもどこへ行くにも言ってみれば私ら夫婦だけの添乗員がいつも隣にいるようなもので、特に奥さんは英語は通訳ができるほど堪能で、右側通行の車の運転も現地に住んでいるかのようにスイスイこなし、ハワイ島の有名なスポットを初め、ショッピングでも食事でもどこでも平気で連れて行ってくれる頼りになる存在でした。


さらに彼らとウチのカミさんが最も楽しみにしていたゴルフデビューも果たし、つい三ヶ月ほど前に生まれて初めてクラブを握り、打ちっ放しに3回ほど行っただけのウチのカミさんは、初日四人でプレーしただけでは飽き足らず、次の日も自ら行こうと私と二人でラウンドを楽しむほどハマってしまいました。




それだけハワイでのゴルフは爽快でした。服装は自由、プレーはツーバッグ(二人でのラウンド)が一般的で、グリーン以外はボールの手前までカートに乗って行って構いません。それでもコースはよく整備されていて、フェアウエイの真ん中やグリーン周りに2~3メートルの溶岩が残されたようなコースもあり、気楽に十分堪能することができました。

ただ、三人のラウンド初体験者と一緒に回った私の半端ない疲労感は、ゴルフ経験者の皆様にはお察しいただきたいと思います(笑)

何はともあれ此度は彼ら夫婦に日程をマッチングしてもらい、現地では何から何までお世話をいただいたことで、私ら夫婦にとって本当にストレスのない、期待以上に素晴らしい記念旅行となりました。この場を借りてお二人に心からお礼申し上げます、本当にありがとうございました。 楽しかった~!!



「次はいつ来れるかなぁ・・・」

「こんな贅沢ないのちの洗濯はそうそうできるもんじゃない」

「いや あたしお金貯めて来年も絶対来る!」

「おいおい 一年でそんな貯められないでしょ」

「大丈夫! あたし一人分くらい何とかなる」

「おいおい 一人って・・・」


2014年11月8日

けじめのアニバーサリー

披露宴も佳境に差しかかったところで

「ここで新郎から新婦に、今日どうしてもやっておきたいことがあるということですので、皆様もどうぞ正面をご注目下さい」

司会者の投げかけた言葉に場内が暫し静まった

「実は新郎は、今から二年前に赤ちゃんができて入籍をして、その後慌ただしく本日まで過ごしてきたために、新婦にちゃんとプロポーズをしていないことがずっと心に引っ掛かっていたそうです。そこで本日この場をお借りして、しっかりとプロポーズをしたいということなので、皆様には二人の証人として見届けて頂きたいと思います。それでは新郎お願いします!」

司会者が続けた言葉に会場からやんやの拍手喝采が飛ぶ

「今日まで 自分みたいな男についてきてくれてありがとう
順番が前後してしまって色々と辛い思いもさせたと思うけど
毎日 家族のために一生懸命頑張ってくれて本当に感謝してます
これからも 自分が精一杯貴女と娘を守っていくので 
今日からまた 新たな気持ちでヨロシクお願いします!」


新郎は一礼すると新婦に歩み寄り この日のために自分で作ったという
花の指輪を彼女の指にしっかりと結びつけた

少し滲んだその光景を遠目から眺めていた私は 
ああ よかったと安堵の気持ちで胸が一杯になっていた



2014年11月1日、次男夫婦が愛娘を伴って結婚披露宴を執り行いました。

このコラムでも何度か次男夫婦のことをご紹介してきたのでご存知の方も多いと思いますが、彼らは三年ほど前から結婚の約束をして同棲を始め、その後お腹に赤ちゃんを授かったことをきっかけに2012年6月入籍(http://dairicolum.blogspot.jp/2012/06/blog-post.html「運命の出逢い」 )
その年の11月20日に愛娘の陽菜が生まれました。(http://dairicolum.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html「ようこそ」 )


一時代前なら「できちゃった婚なのによくもまあ堂々と結婚披露宴なんてやるよなぁ」と揶揄されるところでしょうが、時代の流れとともに結婚式の意義も変化して、最近では今回の息子たちのように子供を囲んでの形式も決して珍しくはないようです。

それどころか今回の披露宴での陽菜の存在はまさしくキューピットよろしく、あちこちで写真をリクエストされ、会場にいた皆さんを笑顔にし、知らない人同士の縁結びにも一役買うという活躍ぶりでした。


昔は嫁が夫の家に嫁いで家族と同居するのが当たり前だったので、結婚式は家と家とが繋がったことを証明し、親戚やご近所に新しい家族としてのお嫁さんをご披露することを主たる目的としていましたが、結婚しても親とは別居が当然で、夫婦それぞれに仕事を持つことが一般的となった現代では、結婚自体が個人重視の時代となり、子どもがいるといないとにかかわらず、入籍だけして費用と時間と手間のかかる結婚式や披露宴は敢えてやらないという夫婦も増えています。

夫々の環境があるので何が良い悪いではありませんが、ウチの息子は二人が結婚したことをちゃんとした形で家族や友人に報告して認知してもらい、そして何より自分の妻を、花嫁として皆から祝福してもらいたくてどうしてもこの日を迎えたかったのです。

私は父親として、順序が前後しようが何だろうが、結婚という二人の人生のスタートにけじめをつけたかった息子の意思をもちろん尊重し、喜んで後押ししてやりました。


披露宴の最中、そんな息子の思いが伝わっていると実感する出来事がいくつかありました。

新婦側代表の祝辞を頂戴した、嫁の元勤務先の社長さんの第一声が「新郎に男として敬意を表します!」でした。その社長さんは、入籍して二年以上経ちながらも、新婦の花嫁姿を彼女のご両親初めご家族やご友人に、約束通り披露してくれたとして、息子を褒め称えてくれたのです。

入籍する前から嫁が働いていた会社の社長さんなので、当然その頃に上司として、息子との結婚話の相談に乗って頂いていたのは言うまでもありません。それだけに、この結婚披露宴という席で、二人が自分を初め元同僚の皆に、正式に結婚の報告をしてくれたことが何より嬉しいと締め括ってくれました。

また、新婦のご家族の席に私がご挨拶のお酌に赴いたとき、真っ先に彼女のお爺様が私のもとに歩み寄りこう仰いました。「こんな盛大に結婚式をやってもらって本当にありがとうございます! 孫の晴れ姿を見れて…もう…いやぁ…嬉しくて…何とお礼を言ったらいいか…ありがとうございます!」私は何度も深々と頭を下げるお爺様の肩を抱きながら「こちらこそです!」と返すのが精一杯でした。

おそらく孫娘やその親であるご自分の息子たちには直接言葉にはしなかったと思いますが、お爺様としては孫の花嫁姿を一目見たかったに違いありません。その夢が叶い、本当に幸せそうな表情で喜んでおられるお姿を拝見して、ここにも息子の思いを受け止めてくれる人がいたと私も嬉しく思いました。

圧巻は新郎がお色直しで中座するときのこと、司会者の計らいで兄貴と妹がエスコート役になって三人そろって退場するという演出があったのですが、このとき次男を中心に三人が肩を組み並んで会場を歩く姿を見ていて、三人の子どもたちの幼かった頃の光景が走馬灯のように私の脳裏を駆け巡り、完全にタイムトリップしていました。
これはたぶん私ら親にしか分からない感覚だと思いますが、次男の結婚を我が事のように喜び、そして応援してきたのが他ならぬこの二人の兄妹であることを、私ら両親は一番に理解していたので、こうして肩を組み三人並んだ姿を見て、爆笑に包まれる会場とは裏腹に、私は感極まってしまいました。



そしてまたこの結婚披露宴には不思議な縁がたくさん散りばめられていました。

今回二人が選んだ結婚式場は、私が担当している事務所の顧問先企業が経営する式場です。しかもこの会社の社長さんは、新婦の父上と小中学校時代の同級生でした。しかもしかも今回の結婚式を担当してくれたスタッフは、この式場でプランナーとして働くウチの所長の娘さんです。何と私ら夫婦が赤ちゃんの頃から知っているその彼女は、此度の披露宴の司会進行まで担ってくれました。

そんな並々ならぬ強いご縁も頂きながら、そういった皆々様のおかげさまで、息子夫婦の一大イベントは心温まる最高のアニバーサリーとなりました。






会場内で私を待っていてくれた社長さんが私を席に先導しながら囁いた

「そのネームプレートの裏に息子さんからのメッセージがあります」

「そうですか 今日はよろしくお願いします!」

社長に一礼して椅子に腰かけ何の気なしにネームプレートを裏返した

「・・・」

相変わらず下手くそな字だ…
いい父親になってくれよ!

2014年10月5日

ジンギスカンは高級料理?

「季節もいいし 久々に庭でバーベキューでもやるか!」

「賛成!!」

9月半ばの連休 遅い夏休みを取った子どもたちが帰省し
正月以来の勢揃い 全員一致で久々のBBQ大会が始まった

「この肉 ホント美味いね~~!」

「おお このカルビとハラミ 最高だろ?
事務所のお客さんがやってる肉屋さんのだよ」

「へ~ そうなんだ」

彼らが小さい頃はしょっちゅうやってたから
懐かしいのか皆ハイテンションで楽しんだ

「やっぱ実家はいいなぁ 向こうにいたら
こんな美味い肉食えねぇもんな~」

今年6月に生まれたばかりの息子を抱っこひもで
胸に抱えながら肉を頬張っていた長男がボヤいた

「ウチなんかこんな高い肉とても買えない
せいぜいジンギスカン辺りがいいとこだよ」

ビールを煽りながら長男が続ける

「おいおい 今やジンギスカンも安くないぞ」

「えっ!そうなの? そう言えば最近食ってないな…」

「何だそれ(笑) まあ今や羊は豚を超えて
牛と並ぶほどの値段になってるみたいだよ」

「うっそ! なんで?」

「おい新米パパさん 新聞くらい読みなさい」

「・・・」

今年4月に消費税率が8%に上がり、電気代やら様々な公共料金が値上がりする一方で、食肉や野菜などの食品の値上がりも家計に大きな影響を及ぼしています。

そんな中、ジンギスカンという名で我々庶民の食卓の味方だったはずの羊肉の輸入価格が、1~2年前から高騰し続けているというニュースがやはり今年の春先から話題になりました。


日本では、消費するマトンやラムといった羊肉の80%以上をオーストラリアからの輸入に頼ってきたそうですが、そのオーストラリアでは数年前から異常気象による干ばつに見舞われ、ただでさえ羊肉の生産量が減少していたところに、ここ数年中国の羊肉消費量が急増しており、オーストラリアから中国への羊肉輸出量が激増し、品薄になっていることが大きな要因と言われています。

中国では、ほんの10年ほど前まで比較的安い羊肉の消費が多かったそうですが、近年の経済成長によって嗜好が高級化し、日本のジンギスカンに使われる生後1年未満のラムや成長したマトンの肩肉などの消費量が増え、日本と羊肉の需要が重なってきたことも高騰の背景にあると報じられています。

極端に言えば、これまで1億3千万人で分け合っていたジンギスカンを、13億人以上で分け合わなければいけなくなったということなので、それは価格が高騰するのも無理はないという訳です。

事実、今年8月のオーストラリア産羊肉の1㎏当たり輸入価格は1,074円で、昨年1月の639円から70%近く値上がりしているそうです。(財務省貿易統計より)

僅か1年半の間に価格が1.7倍というのは、まさしく尋常ではない高騰ぶりですが、何よりその影響をまともに受けるのは、このOG羊肉を仕入れ、ジンギスカンとして消費者に提供する飲食店と言えるでしょう。


日本でジンギスカンといえば、何と言っても北海道が有名ですが、当地信州の長野市信州新町も、知る人ぞ知るジンギスカンの名店が集まる地域です。

その信州新町の老舗ジンギスカン専門店の経営者は地元新聞の取材に対し、「羊肉の仕入値上がり分をメニュー価格に転嫁したいところだが、それをするとお客さんが離れてしまうので、利幅を抑え自社で負担するしかない」と話しています。

この記事によれば、他のほとんどの信州の同業者も、仕入れの値上がり分を売値に転嫁せず、他の食材や飲み物とのセットメニューの提供や、経費節減などの自助努力によって、この価格高騰を解消しようと考えているようです。

信州新町の観光協会では、以前からジンギスカン料理店が立ち並ぶ国道19号線沿いを「ジンギスカン街道」と名付けて観光PRを行っていますが、その店のほとんどが現在このOG輸入肉を提供しているので、此度の羊肉高騰による各店舗の経営悪化や、地区自体からの客離れに大きな危機感を持っていると言います。

かつてこの信州新町では、多くの農家が羊を飼育し、直営牧場を運営する飲食店などもあったそうですが、飼育コストがかかり過ぎるため、割安な輸入肉に徐々に切り替わり、現在では6軒が約500頭を飼育する規模に縮小しているとのことです。

しかし、そんな環境下ではあるものの、同協会では今月10月11日から「ジンギスカン街道キャンペーン」を約一ヶ月に亘って展開するそうです。

街道の加盟店で食事をしてスタンプを集めると、抽選で信州新町の温泉宿泊券などが当たるイベントなどを展開して、今一度信州新町のジンギスカンを知ってもらい、多くの人に訪れてもらおうとの試みだそうです。

行楽の秋、我が家の子どもたちはそれぞれの持ち場に帰ってしまいましたが、カミさんを連れ立って一度この街道キャンペーンに赴きたいと思います。


当地信州は、近年日本で行ってみたい観光地のベスト3に位置付けられるようになり、勇壮な自然をバックボーンとした地域性を活かし、信州新町のジンギスカンのみならず、蕎麦、リンゴ、山葵、地酒など信州ならではの特産物も広く知られるようになりました。

私らはこの地に住む県民の一員として、信州の良さを知ることはもちろん、豊かな自然と魅力を発信する各種イベントにも積極的に参加して自ら楽しみ、その楽しさを広く知っていただくよう協力する姿勢も持ち合わせていたいものだと思います。


「そういえば 北海道のジンギスカン
また食いに行きたいなぁ~」

小学生のときに行った北海道を思い出した次男が呟いた

「長野県にもジンギスカンの旨いとこあるんだぞ」

「えっ? どこどこ?」

「信州新町!」

「・・・って どこ?」

「・・・って 知らねえのか」

まだまだ教えなきゃならないことが山積みです



2014年9月1日

子育て今昔

「どうしようかなぁ…」

「ん? どうした深刻な顔して」

可愛い孫娘陽菜のパパ
すなわち我が家の次男坊が悩んでいる

「うん スマホのことなんだけどね…」

「スマホがどうした 便所にでも落としたか」

「違うし! 子どもにね…どうやって使わせればいいかってね」

「おお 今話題のスマホ子育てってやつか」

「うん いつ頃から持たせるかとかね…
小さい子どもがいるウチの今一番の悩みだよ」

「なるほどね」

社会の日進月歩はその一方で必ず大きな課題を産むものです



今は昔、ウチの子どもたちが本当に子どもだった頃(笑)、我々の子育ての悩みは、ファミコンやポケコンといった、俗にテレビゲームと総称された、当時の子どもたちにとっての神器といかに付き合わせるかでした。

時代は変遷し、小さな子どもを持つ現代の親の一番の悩みは、言ってみれば20年前の神器テレビゲームの機能を平気で併せ持ち、その何倍ものアクションが楽しめるiPhoneやiPadといったスマートデバイスを、我が子にどのように利用させたらいいかという問題のようです。

巷では、小さな子供に使わせる、使わせないについて賛否両論の意見が飛び交っているようですが、一方では「スマホ子育て」なる、実際の子育てにスマートフォンやタブレットを利用している親御さんも少なくないと聞きます。

私らの子育て時代、母親が家事で手が離せなくなると、となりのトトロやピーターパンといった定番アニメのビデオを流し、子どもたちをテレビの前に釘付けにさせておくというテクニックをよく使ったもんですが、現代は小さな子がグズったり騒いだりすると、いつでもどこでもスマホに保存したお気に入りのムービーなどを見せて、おとなしくさせるという方法が一般的になっているようです。

事実、もうすぐ二歳になるウチの孫娘も、パパがスマホに保存している「♪ヨーでる ヨーでる ヨーでる ヨーでる 妖怪でるけん でられんけん♪」なんてのを見せると、曲に合わせて歌うは踊るはで、すぐさまごきげんになる姿を何度も垣間見ております。

親としては子供をあやす何とも便利なツールと位置付けられますが、最近はこの「スマホ子育て」が社会問題として大きく取り上げられるようになり、何歳くらいから使わせるか、フィルタリング機能をどう活用するかといった具体的な問題や、これらスマートデバイスを教育に取り入れる方法など、一般参加者が有識者とディスカッションするイベントなどがあちこちで開催されているそうです。


そんな中でよく言われることに「使い方のルールを決める」という意見があります。

「デジタルえほん」の作家で、NPO法人CANVAS理事長の石戸奈々子さんは、「どういう教育を子どもに受けさせたいかを考えるのと同じように、まずは親がどうやって子どもにスマートデバイスを使わせたいかを考えてみることが大切です。子どもの年齢や興味に合わせて『子どもが使うときは親も一緒に使う』など、親子で一緒にルールを決めて利用するといいと思います」と述べています。

そしてフィルタリング機能の利用については、「できるだけ自由に利用させたいのですが野放しというわけにはいかないので、勝手にダウンロードできないようにするなどの利用制限はかけています。親が選んだ良いと思うアプリをセットしておいて、その中から子どもが遊びたいものを選んで使う環境を用意しています。テクノロジーによる制限と教育もセットで提供していくことが大切ではないでしょうか。親自身が主体的に関わるためにも、子どもが使うアプリを親が、もしくは年齢に応じて親子で一緒に選ぶことが大事だと思います」と仰っています。


また、知育アプリと呼ばれるスマートデバイス専用のアプリケーションソフトを開発する株式会社スマートエデュケーション社長の池谷大吾氏は、アプリ利用者の母親から最も多く質問されるという一日の使用時間について、「アメリカの研究機関の発表や国内教育関係者の考えをもとに、スマートデバイスから映し出される映像への接触時間は、2歳以上で一日2時間以内が目安」と提言されています。

さらに、いつから使わせたらいいかという質問に対しては、「生後8ヵ月から」と答えています。これは、よく書店で売られている「音の出る絵本」などが、8ヵ月からの幼児を対象としていることに起因しているようです。


園児がiPadを利用する幼稚園としてTV番組でも取り上げられた、東京福生市の聖愛幼稚園園長野口哲也氏は、その幼稚園でのiPad利用について、「園児たちは自らルールを守って順番に遊んでいる」と語り、園でのスマートデバイスの利用方法をこう説明しています。

「朝9時~10時の登園する時間が、園児たちがiPadで遊んでいい時間帯としています。子どもたちはこの時間、それぞれ外で遊んだりiPadで遊んだりして過ごしています。iPadのアプリで遊んでいる子は、例えば『一曲終わったら交代』などとルールを決めて順番に遊んでいます。お絵描きアプリなどは『砂時計が終わったら交代』というルールにしています。次の子が、砂時計をじっくり見てるから、ある一人の子だけが長く使うということはほとんど起こらないですね。たまに次の人に(iPadを)渡したがらない子もいますが、ルール違反をすると、年長の子が年少の子に注意してますね。先生が注意するよりも、子ども同士で注意し合ったほうが、みんなで順番に遊ぶものだってことが分かるようです。もちろん使うアプリはこちらでセットして、アクセスガイドというアプリでその日によって使えるアプリの制限をして利用しています」
(「子どもとスマホのつき合いかた」有識者に聞くデジタル教育や知育アプリの可能性
The Huffington Post 2014年03月19日参考)


ウチでも昔、子どもがファミコンを始めると、「8時までだよ!」とか「1時間だけよ!」などと長時間遊び呆けることがないように制限をかけていましたが、親がガッチガチのルールを作って従わせようとしても、納得できない子どもは親の目を盗んでやるような悪循環を引き起こすこともありなかなか難しいものです。

先の有識者の方々の提言を見ると、やはり単に遊ぶ時間だけを制限してあとはご自由にと放任するのではなく、子どもの年齢に応じてどんなアプリで何をするのかを親が吟味して、その環境を作ってあげることが重要なポイントになりそうです。


今やスマートデバイスは、例えば電車やレストランなど静かにして欲しい場所で、子どもが騒いだりグズったりしたときの子守りのアイテムとしても抜群の効果を発揮しています。子どもは誰でも遊びの中から色んなことを学んでいくものです。前出の石戸奈々子さんによれば、子どもが何度も同じ絵本を読んだり、同じアニメを見たりするのは、毎回毎回新しい発見をしているからなのだそうです。


現代のスマートデバイスは、私らの子育て時代に敬遠していた遊ぶためだけのテレビゲームとは少し違い、教育や人と人とのコミュニケーションツールとして、これからますます日常的且つ多方面に亘って利用されるようになるのは確実です。

ですから小さな子を持つ親御さんは、あまりネガティブに制限やルールばかりに捉われず、ウチの子どもには絵本があってクレヨンがあってぬいぐるみがあってスマホがある、そのくらいの位置付けになっていけば理想的なのかなと思います。




「飯食ってるときも勉強してるときもって
依存症みたいになっちゃうと困るしね…」

「TPOをわきまえられるようにするのは
スマホの問題じゃなくてお前たちの躾の問題だよ
世の中の常識や社会のルールを子育ての中で
お前たちがきちんと身に着けさせてあげれば
やっていいことといけないことは自然に分かるようになる」

「そうか こっちの問題か…」

「そういうことだ(笑)」





2014年8月1日

ようこそ Vol.2

「飛行機飛ばなかったらどうしよ~?」

カミさんがテレビにかじりついたまま呟く

「そんなもん 電車乗り継いでいくさ」

こっちはネットの台風情報を睨みつけたまま応える

「…あ!ダメだよ 特急しなの運休じゃん!」


当地長野県の木曽郡南木曽町で前日起こった土石流が原因で
JR松本~名古屋間が不通になっていた
(被災された方々には 心よりお見舞い申し上げます)

「ああ~ そうか~ そういえばそうだな
…そしたら長野から東京回って新幹線だ」

「でもこの予想進路だと新幹線止まっちゃうかも」

「な… そしたら車で行くさ 高速飛ばして10時間だ!」

「高速道路も通行止めになったら…?」

「這ってでも行く 絶対行ってやる」

「はいはい そう言うと思ってました
どうなってもついて行きますよ(笑)」

我が家に家族がまた一人増えたんだ
今行かずしていつ行くってんだ 待ってろよ~!




平成26年7月4日長男夫婦に待望の第一子「一平」が嫁の故郷鹿児島で産声をあげました。私ら夫婦にとっては嬉しい二人目の孫がこの世に生を受けたのです。


出産予定日は6月30日、とりあえず予定日に産まれたら、その10日後位ならもう退院して自宅に戻っているだろうとのこちらの勝手な目算で、一月以上前から仕事は有休を取り、7月10日発の航空券やら先方で宿泊するホテルやらを予約して、さあ行くぞと待ち望んでいたというのが実際のところでした。

ところが数日前に発生した台風8号が、ちょうど私らが旅立つ10日九州南部に上陸。
一日一便の福岡~松本空港を往復する富士ドリームエアラインの飛行機が、その日飛んでくれるのかどうかフライト直前まで分からない状況が続いていたのです。

しかし、天は私ら家族を見捨てませんでした。

午前10時20分福岡から松本に向かう飛行機が暴風域の中を飛び立ったのです。

「よ~し!これで松本からの飛行機も飛ぶぞ」

後々分かったのですが、台風に最も強い交通手段は飛行機だったんですね。

雨雲を突き抜けて、その遥か上を飛ぶわけですから、離発着さえできればまったく台風の影響を受けずに飛ぶことができるんです。私らはこうして長男夫婦の結納の日から一年半ぶりに無事九州の地に降り立つことができました。

そして翌日早朝、九州新幹線で一路鹿児島に向かい、ご実家の父上と母上の案内で嫁と孫が入院する病院に赴き、そこで孫との初対面を果たしました。

その可愛さはいつものことながら、言葉ではなく涙が出てくるほどの何とも表現できない世界であります。


私ら夫婦には子どもが三人、そして一昨年初孫が誕生し(2012年11月「ようこそ」http://dairicolum.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html)今回二人目の孫が産まれ、都合五回の赤ちゃんの誕生を経験してきたわけですが、母親が命を懸けて出産する新しい生命の誕生には、そのすべてにそれぞれのドラマがあるものです。

此度の長男夫婦の出産は帝王切開でした。

母親となる彼女は、20時間以上の陣痛に耐えながら自然分娩で産もうと必死に頑張ったそうですが、母子双方への体力的な負担を考慮してそうすることを主治医に勧められたとき、女として情けないと自身を責めて泣いたといいます。

しかし、最後の最後まで自力で産むことを望んでいた彼女を諭し、そうすることを決断したのは、他ならぬ産まれてくる子どもの父親となる息子でした。

その昔、帝王切開は楽して子どもを産む方法だなんてデリカシーのないお姑様どもが賜る時代もあったと聞きます。ついでに言っときますが、私も家内も帝王切開でこの世に産まれてきた人間です。

そのどこが楽な方法だ! 新たな生命が誕生するというその命がけの出産に、楽もクソもあるかバカ者!と強く思っている次第であります。

女性の出産という領域に対する男としてのスタンスは、語ることも介入することもすべきではないと私は思っています。しかし父親としてのスタンスは、出産の方法はどうであれ、産まれてきた新しい生命に真っ直ぐに向かい合い、どう育てるかが本当にダイジなことだと思っています。


そんな私の老婆心も、産まれたばかりの一平がアッという間に払拭してくれます。

嫁がことあるごとに送ってくれる一平の写メを見て、ウチの家族はみな彼の成長する姿にしか目を向けません。新たな小さな命の誕生とその成長は、家族の絆をさらに強くし、皆をまた人として成長させてくれるようです。


長男夫婦が命名した「一平」という名前、実は私の両親が私の命名のとき、母親の希望で一度は「一平」という名前に決まっていたのだそうです。ところが父親が出生届を出す段になって、自分が好きだった「樹」という字をどうしても使いたくて、「一平」と書くはずだったところを「一樹」と書いてしまったという冗談のような逸話があります。

また、私にそんな記憶が残っていたせいかもしれませんが、私らが此度父親となった長男「京平」の命名をするときに、どちらにしようか悩んだ名前が「一平」でした。

息子はそんなエピソードをすべて知ったうえで、生まれてきた子どもに迷わず「一平」と名付けたと言います。私は鹿児島を後にするとき、母親となった彼女に「本当に一平でよかったの?」とこっそり尋ねました。

彼女は「一平がよかったんです!」と微笑みながら即答してくれました。

私ら夫婦にとって孫の誕生は、その親となる自身の子どもとその伴侶の人となりを改めて知らしめてくれる財産であると思い知らされました。



「それにしても…
みごとに皆同じ顔で産まれてくるね(笑)」

「ウチの家系は個性が強いからな 顔の…」

「アハハハ ホントにね 可哀相に…」

「ちょいちょい 可哀相って…」

一平 我が家にようこそ! 
そして 生まれてくれてありがとう!



2014年7月1日

起業

「父さん 母さん おめでとう!」

先月1日の結婚記念日翌週末 東京の長男が帰省した

「おう ありがとう さあさあ
ここの焼肉はあり得ない旨さだからどんどん食えよ」

当地松本に住む次男夫婦の強烈なリクエストで
私の友達が営む焼肉店に赴きお祝いの宴が始まった


「ひな~~ おじちゃんでちゅよ~~」

長男のもう一つ…というより本当の目的?
益々可愛らしくなった姪っ子陽菜との再会

夕方帰宅後その姿を見てからもうデレデレ
とにかく姪っ子をかまいたくてしょうがない


「ほら~ 陽菜もご飯だから お前も食べなさい」

母親にたしなめられ 目前に並べられた肉を二度見して

「何だこれ! ステーキじゃん!」

超厚切りの牛タンやらカルビやらを見て目を白黒させる

「兄貴 ここの肉ホントやべぇから」

すでに味を占めている弟は
ニヤついた顔で長男に囁く

そして長男は生唾を飲み込みながらこの日最初の牛タンをゆっくりと網に乗せるのだった

と これ以上肉の話をしてると誌面が終わってしまうのでここら辺で割愛させていただきます(笑)



先月、東京で商業デザイナーの仕事をしている長男が帰省しました。

当初、その一週間前に迎えていた私ら夫婦の結婚記念日のお祝いがしたいなんて殊勝なことを言っていましたが、実は嫁が出産を控え郷里鹿児島に里帰りをしていて自分が身軽だったこと、そして何より可愛い可愛い姪っ子に会いたくて、僅かな休みを使って実家に帰ったというのが本当のところだろう…と、私は思っていました。

しかし、此度の長男の帰省には、もう一つ大きな理由がありました。

それは、彼が以前一緒に働いていた先輩と二人で新たな会社を立ち上げ、今まで働いていたデザイン会社から独立したことを私ら家族に報告するためだったのです。


彼が働いていたのは東京港区にある中堅の商業デザイン会社でしたが、デザイナーという職業柄ホワイトカラーの勤務体系で仕事ができるはずもなく、夜中に帰宅するなんてことはしょっちゅうで、ときには会社に寝泊まりしてでも依頼された作品を仕上げなければならないこともあるなんて話も以前からよく聞いていました。

ただ、当然ですが彼はそんなことは百も承知で、自分がその仕事をやりたくて、高校を出て上京し、専門学校で技術を習得して始めたことだから、その勤務状況自体に不平や不満を漏らしたことは一度もありません。

そんな仕事を7年以上続けながら今年28歳になった長男は、数年前から自分がチーフとして課を任され、何名かの部下を持つようになっていましたが、自身の結婚を具体的に考え始めた頃から、自分に対する会社の評価の低さや、成果に対する還元の乏しさなどへの疑問をしばしば私に話すようになっていました。

しばしばと言っても彼とそんな話ができるのは年に一度か二度のことでしたが、私は最初にその話を聞いたとき、同僚や後輩がそのことについてどう受け止めているのかをリサーチして、もし会社の大勢がそういった疑心暗鬼な気持ちで仕事をしているようならそれは企業風土に問題があるから、お前たちチーフクラスの連中と経営の執行部との間で、労働環境や賃金規定について一度しっかり話し合いをするべきだろうとアドバイスしていました。

彼はその後、他のチーフらとともに経営陣との話し合いを何度か重ねたらしく、その甲斐あって各課の水揚げに応じて成果配分する独立採算方式が導入されるようになると、一時は嬉しそうにそんな報告をしてくれた時期もありました。

しかしそれでも日々の労働環境が大きく改善されることはなく、昨年6月の自身の結婚を契機として、家族を養っていかなければならないという責任感が自己の人生にとって最も大きなウェイトを占めるようになっていた彼は、昨年秋に嫁が赤ん坊を身籠ったことを知ると、経済的な問題にもまして、子供を持ってからも今までみたいに時間も休みもないような仕事を続けていて、果たして幸せな家庭を築けるのだろうかと、かなり悩んでいたようでした。


そんな折り、以前から独立するときには是非一緒にやろうと息子に声をかけてくれていた元先輩が、正式に新会社を立ち上げてこの6月に起業するという話が具体的になり、準備段階から十分な話し合いを重ねた結果、その新しい環境での仕事にかけてみようと覚悟を持って転職を決意したということでした。


息子からこの話を聞いた私は、取り立てて困惑することも焦ることもなく、自分でも不思議なくらい冷静に受け止めていました。

前々からそういったニュアンスの話を彼から聞いていたこともあるのでしょうが、今回の息子の決断が自分の仕事優先ではなく、家族のことを第一に考えた結論であるということが、私を納得させるに十分な判断根拠だったからだと思います。

もっとも、これまでと全く畑違いの仕事をするなんて話だったらこちらの対応も違いますが、今までやってきた商業デザイナーとしての仕事を、より分かりあえる仲間と一緒に、より個性的な色を出しながらやっていけると言うのであれば、28歳になる息子に向かって門外漢のオヤジがガタガタ意見する問題でもないと思うところもありました。


起業とは、大きな組織の資本力やネームバリューに頼ることなく、自分だからこそできるお客様に喜んでいただける仕事をする道を自ら切り拓く唯一の手段だ思います。

奢らずに勘違いせずに、起業しようとしたそのときの思いを、どれだけ永く思い続けることができるかが、成功と失敗の別れ道になるのではないかと私は捉えています。

失敗を恐れずに、素晴らしいブレーンとの関係を育みながら、自らの世界を築き上げてくれることを願うばかりです…

なんてもっともらしいことを言ってますが、私の本音は「万が一ダメでも、お前の家族くらいいくらでも食わしてやるから遠慮なくやってみろ!」というスタンスでいます。

私は彼らのオヤジとして、いつでもそういう立場でドッシリ構えていたいなあと淡い理想を抱いているのです。



「ひな~~ おじちゃんのこと覚えてるんだよ~」

名残惜しそうに長男が姪っ子から離れない(笑)

「お前 自分の子ども産まれたら仕事どころじゃねえな」

そう 長男の第一子も秒読み段階だ

きっとお前たちのように 明るくて元気な子が産まれるよ(^_^)v


2014年6月1日

夫婦の秘訣

「今年でもう30年になるの?」

「…なるの?じゃなくて なぜ自分で数えようとしない?」

「だって途中で昭和から平成に変わったから分かりにくいじゃん」

「昭和で言ったら今年は89年 ウチらが結婚したのが60年」

「あら それじゃ29年か~ 25歳で結婚したから
 親より長く一緒に生活してるんだ~ で 何くれるの?」 

「なんだそれ お互い様の記念日なのに
 なんでお前が貰う人でオレがあげる人なんだよ」

「え~ だって普通亭主が『こんな男によく付いてきてくれた』
 とか言って指輪かなんか用意するってもんじゃないの~?」

「お前ねぇ『こんな女によく飽きもせず一緒にいてくれてありがとう』
 くらい言ってもらいたいもんだがな…」

「バカなこと言わないでよ こんな好い女に飽きるわけないでしょ!」

「な… そうきたか… 分かった分かった(耐)
 じゃ息子たち誘って旨いものでも食いに行こう」

「よーし! やりぃ~」


 よく続いてきたもんだ・・・(笑)




6月1日は私ら夫婦の29回目の結婚記念日でした。

私たちは、1985年5月18日に新婚旅行を兼ねたハワイの教会で二人だけの結婚式を挙げ、その教会から結婚証明書を頂きました。

そして翌6月1日に、以前私が勤めていた駅前のホテルで、親しい友人や社会に出てからお世話になった先輩方、そして現在の職場の仲間などをお招きして、80名ほどのこじんまりとした会費制の立食パーティを開き、仲間内だけの結婚報告をさせていただきました。

私に男としての甲斐性がなかったために、俗に言う普通の披露宴は挙げられず、カミさんには白無垢も着せてあげられませんでしたが、それが当時の私にできる精一杯のセレモニーだったのです。

お互いの親兄弟や親戚にはずいぶん不義理もしてしまいましたが、当時の私の家庭環境や状況を理解し、そんな形の結婚報告を認めてくれ、後押ししてくれたカミさんのご両親には心から感謝しています。


ただ、その披露パーティは、懇意にしている仲間を私ら夫婦がお招きするというコンセプトだったので、昔のバンド仲間のライブ演奏に乗せたウェルカムドリンクに始まり、新郎の私自らが司会を担当するなど、当時の常識では考えられない演出を、形式的な披露宴ではないという立場を逆手にとって、私たちがすべてプランニングさせてもらいました。

そして、そんな掟破りの要望をホテルの旧知のスタッフが快く受け入れてくれて、それどころか私が在職中にとてもお世話になった料飲支配人からシャンパンとワインの飲み放題が、総料理長からはローストビーフのワゴンサービスがサプライズプレゼントされるなど、想定外の盛り上がりの中で心に残るパーティを開かせていただきました。

さらに素晴らしい仲間の心温まる祝福や心強いエールをいただき、そのパーティは私たち二人にとって生涯忘れることのできない至福のひとときとなったので、どちらから言うこともなく、私ら夫婦の結婚記念日は、式を挙げた5月18日ではなく6月1日になっていたのです。(2010年9月『アニバーサリー』)


私たちは高校の同級生で同じ硬式テニス部で、一年生の頃から割とオープンに付き合っていたので、その時代から結婚するまでの10年間を含めると、かれこれ40年近く、これまでの人生の3分の2以上の時間を一緒に過ごしてきたことになります。

今回、ある方から夫婦が長続きする秘訣は何ですかと尋ねられました。

私は悩むことなく、自分のことを二番目にすることだとお答えしました。

あくまで夫婦間のコミュニケーションにおいてはという意味で二番目と言ったのですが、とりあえず自分の欲望や主張は後回しにして、相手の欲望や主張を先に聴くということです。

但し、先に聴くからといって相手の言うことを鵜呑みにして、何でも自由にさせてあげるということではありません。重要なのは先ず相手の話を聴いて尊重する意識を持つということです。

言うまでもなく、欲望とは自己が欲するもので、食欲、物欲、色欲、金銭欲、独占欲など、モノの本では七つの欲があると言われています。

欲を持つことそれ自体は何ら悪しきことではないと思いますが、その欲望に執着し、これを獲得せんがために周囲が見えなくなってしまうと、それは単なる自分勝手な我儘でしかありません。

また、主張とは自分の意見や考えを相手に認めさせようとする行為です。自分の明確な意見を持つことそれ自体はとても大切なことだと思います。

しかし、その意見というものが、ある事象に対する事実を正確に把握した上で、自身が客観的な立場に立って評価判断して導き出された見解であれば、それを主張しても意見が対立することはほとんどないはずですが、人は導き出す意見の評価判断の基準が、自分の好き嫌いに基づいてしまっている場合が非常に多く、その好き嫌いから導かれた意見の主張はこれまた単なる独善的な我儘に他なりません。

現在2~3分に一組が離婚するといわれている夫婦間に生じる亀裂のきっかけは、そのほとんどがこの欲望や主張を我先にと押し通そうとする行為にあるのではないかと私は思っています。

今さらですが、生まれも育ちもまったく違う他人同士の男女が一つ屋根の下で寝食を共にするのが結婚です。惚れたの腫れたのそれだけで、長い年月を順風満帆に過ごして行けるほど簡単なことではありません。

だからこそ相手の気持ちや意見をお互いが優先する意識を持って接することができれば、無用なトラブルが生じる可能性は低くなり、そこに相手を思いやる心も自然に育まれるのではないかと思います。


私らの三人の子どものうち、長男と次男はすでに結婚しています。

一家の大黒柱となるべき彼らには「自分のことなんかどうでもいいから常に家族のことを最優先に考えて行動しなさい」と教えてきたつもりです。

今はどちらも半人前の夫婦ですが、実生活の中で色んな経験をしながらお互いを高め合ってくれていると信じてます。

そんな彼らが私らの背中を見ながら良い夫婦になろうと頑張っている以上、私らも彼らの目標となる夫婦でいられるよう、今以上に明るく健康に過ごして行かなければと決意を新たにした結婚記念日となりました。




「え~結婚記念日なんだ おめでとう!」

 近くに住む次男夫婦と孫娘を連れてなじみの寿司屋でお祝い

「ちょっとやだ 結婚記念日知らないの!?」 

 嫁が驚いて息子に噛みつく

「だって今までお祝いなんてしたことなかったよね」

 確かに結婚記念日なんて何もしなかったから
 子どもたちが知らないのも無理はない

「信じられない 大事な日なのに…
 大丈夫です! もう私が覚えました 
 来年からは任せて下さい!」

 何とも可愛い嫁である・・・が

 寿司でもご馳走してくれるのはいつになることやら(笑)

 

2014年5月1日

正直と嘘をつかないは違う

「ねえねえ Mテニスコートの管理人知ってるでしょ?」

「ああ 知ってるよ…」

「あの管理人のオヤジ ホンット性格悪いよね!」

帰宅早々 晩飯の用意をしていたカミさんが私に毒づいた

「何かあったの?」

できれば関わりたくないのだが…
優しい旦那代表の私は一応振ってあげる

「今日1時~3時でサークルだったんだよ そしたらまだ3時まで10分以上あるのに
『さあさあ次入ってるからいつまでもやってないで仕舞いだ仕舞!』
って言うんだよ~ それで   …………<中略>……………
あいつ絶対硬式を目の敵にしてるよね!」

要約すると、Mコートはソフトテニスのサークルもよく利用するのだが、その管理人がソフトの協会のお偉いさんと通じているらしく、何かにつけて硬式テニスと差別的行為をするのだという

「話は分かったけど そのオヤジに直接言わなきゃ何も解決しないでしょ」

「そうだけど 正直に言ってこっちの立場が悪くなると困るし…」

「アハハハ なら文句言わずにそういうもんだと思って我慢しなよ」

「我慢できないからアンタに言ってんじゃない!」

「おいおいヤツ当りすんなよ 何も言わないのもある意味嘘ってもんだぞ」

「何よそれ アタシが嘘つきだって言うの?!」

「まあまあ そんな熱くならんと とりあえずメシにしようや」

「とりあえずって何っ! とりあえずって!」

相変わらず一度沸騰すると 中々冷めない保温力の強いカミさんである(笑)




このコラムでも以前ご紹介したことがありますが、千葉県は香取市の臨済宗妙心寺派妙性寺ご住職で、ウチの事務所の顧問をお引き受けいただいている高橋宗寛和尚の研修会が先月ありました。

人生や仕事に対する向き合い方や心の整頓の仕方など、私らの精神的修養の場として隔月で年間6回開催されている「原点の会」という研修会です。

(詳細はこちらから『10年越しの箸袋』http://dairicolum.blogspot.jp/2011/01/10.html)



その中でこんなお話しがありました。

「正直であることと嘘をつかないとは違う」


ウチの三人の子ども達がまだ小さい頃、私は三つの約束と題して彼ら全員にこれだけは守りなさいと言い続けてきたことがありました。

それは『約束を守る 時間を守る 嘘をつかない』の三つです。

実は特に意識していたわけではないのですが、面白いもので、これらは私が子どもの頃に守れないとオヤジにこっぴどく叱られた事柄ばかりです。
きっと私の潜在意識の中にトラウマのように染みついていたのでしょう。


もちろん子どもたちにはお説教のように、ただ守りなさいと言い放ってきたわけではありません。

「約束を守る」のは相手と自分を裏切らないこと

「時間を守る」のは始める時間と終わる時間を決めて行動すること

「嘘をつかない」のはいつも正直でいること

と、具体的にはこういうことだよと私なりの言葉で事ある毎に諭してきたつもりです。


しかし、私は今回の高橋和尚のお話の中で、一つ大きな解釈違いをしていたことに気付かされました。それは「嘘をつかない」ではなく「正直でいなさい」と教えなければならなかったということです。

ひょっとしたらウチの子どもたちは、嘘をつかないイコール正直であると捉えてしまっていたかもしれません。


正直であるということは、ただ嘘をつかなければいいということではなく、例えばそれを相手に言ったら自分が不利な立場になるとしても、或いはその相手が嫌な思いをするだろうと分かっていたとしても、それが事実として言わなければならないことなら、ありのままにきちんと伝えるということです。

言うべきことを自己保身のために何も言わないとするならば、それもまた嘘であり、当然に正直であるとは言えないのです。

考えてみればもっともな話です。

例えば子どもが何か悪さをして、親に叱られたくないからそれを黙っていたとします、こんなことは実によくあることです。そして少なくとも何も言わない時点では、子どもは嘘もついてはいません。

しかし、それが知れたとき親は我が子に何と言うでしょうか。「なぜ 正直に言わなかったんだ!」と、まるで嘘をついていたかのように叱るのではないでしょうか。

子どもだけに限らず、大人社会のビジネスの世界でも、クレームやミスほど直ちに報告しなさいというセオリーがあります。

例えば、自分が得意先からお宅の電話応対が悪いとクレームを受けたとします。それを「私はそんなこと聞いてない」と言えば立派な嘘ですが、電話をしていた人間がたまたま仲の良い同僚だから何も言わなかったとすれば、これもまた嘘をついたことと同じ状況になってしまうということです。


ただ、気をつけなければいけないのは、自分勝手に作り上げたイメージや想像を事実のように言わないことです。

私もどちらかというとストレートにモノを言っては反省することが多い人間なので偉そうに言えませんが、俗にいう言わなくてもいいこととは、自身の主観に基づいた相手に対する感想です。これは私の経験上も言い争いのタネにしかなりません。


あくまでも客観的な事実や誰もが認める真実を、自分の有利不利や損得を考えずにありのまま伝えること、それが正直であるという姿に他ならないということです。

既に社会人となった三人の子どもたちではありますが、また皆が揃ったときにでも、正直と嘘をつかないは違うということをきちんと話そうと思います。




「ちょっとあんた 一体どっちの味方なのよ!」

沸騰したカミさんの攻撃が収まらない

「どっちの味方とかそういう問題じゃないでしょ」

「だいたい アタシがこういう話するといつも面倒臭そうな顔するけど
何か言いたいことがあるならハッキリ言いなさいよ!」

「別に言いたいことなんてないよ」

「何よ~ あんただって何も言わないって嘘つきってことじゃないの?!」

「いや これはオレの主観だから言わない方がお互いのためだ」

「何わけの分かんないこと言ってんのよ! もう知らない!!」


この日の夕飯は一人寂しく粛々と頂いたことは言うまでもない


2014年4月1日

継続は力なり

今からちょうど8年前の2006年3月 このコーナーがスタートしました。

そして今回のコラムが記念すべき? 100本目の投稿となります。

月に一稿8年かけてやっと100本なので、毎日ブログをアップしているような方々に比べたらたいしたこともないのでしょうが、プロの物書きでもなく、文章力に長けている訳でもない私が、自分ながらによく続けてきたものだと実は感心しているところです。
 

最初は事務所ホームページの開設に当たり、お客様にウチの事務所をアピールできるようなコーナーにというコンセプトで始めたのですが、いつしか難しいことを考えずに書き進められる家族ネタが大半を占めるようになり、しかしながら何故かそちらの方が読んでいただく皆様からの受けもよく、そんな力不足の私の我儘を通して頂き、好きなようにやらせてもらったので続けてこれたのだと思っています。


この8年間を振り返ると、私ら夫婦は二人とも四十半ばから五十半ばという壮年期を変わりなく過ごしてきましたが、互いの両親が存命ながら流石に高齢となったので、現在はそんな両親の介護が日々の生活の第一優先順位となっています。

それより何よりこの8年間で劇的に変化したのはウチの三人の子どもたちです。

投稿100本目ということで、過去のコラムをランダムに読み返してみましたが、家族ネタに事欠かなかったのは、子どもたちがちょうど思春期から青年期という、人間にとって最も成長、変化する真只中にいたからだということがよく分かりました。

そこで今回は、そんな三人の子どもの成長の軌跡を当時のコラムとともに辿って見ることにしました。皆さんにもピックアップした過去のコラムをいつもながらのコピペで申しわけありませんが、お読みいただければ幸いです。



まず長男の8年前は二十歳、専門学校二年目の年でした。

その専門学校を卒業し、無事就職が決まった翌年2007年3月、私は初めて長男と二人で酒を飲みました。彼が幼い頃から一緒に酒を酌み交わすことをそれはそれは楽しみにしていたのですが、その至福の時間は私の想像以上に楽しく夢のようなひと時だったことを思い出します。

そのときの様子を綴った2007年3月のコラム『乾杯』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2007/03/blog-post.html

それから3年後の2010年8月、私ら両親に紹介したいからと、そのとき付き合っていた彼女を連れ立って長男が里帰りしました。

長男が私に彼女を正式に紹介するのはその時が初めてだったので、今回は本気なんだなと私も腹積もりをして、九州は鹿児島出身の彼女に初めて会いました。
私ら夫婦に長男と彼女、そこに彼女のリクエストで当時二十歳になったばかりの次男坊も呼んで宴席を囲みました。このときもとても初めて会ったとは思えないような笑顔笑顔の楽しい時間を共有することができました。

そのときの様子を綴った2010年8月のコラム『反面教師』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2010/08/blog-post.html


そして昨年2013年6月、長男はこのとき紹介してくれた鹿児島の彼女と約束通り結婚式を挙げました。
生まれて初めて新朗の父親として披露宴に臨んだ私は、出席していただいた皆さんに礼を尽くしてと身構えていましたが、長男夫婦の親友たちの熱い気持ちと素敵な祝福に心を揺さぶられ、子どもたちは素晴らしい財産を持っているなと感激したものです。

長男夫婦の結婚式の様子を綴った2013年6月のコラム『おめでとう!~Congratulations~ 』です 
http://dairicolum.blogspot.jp/2013/06/congratulations.html

そんな長男夫婦にも、この6月に第一子が産まれる予定です。



さて、次男の8年前は十六歳、サッカー漬けの高校二年生でした。

県大会で毎年ベスト4以上に入るような強豪私立高校にサッカー推薦で進学し、毎日をサッカーだけのために過ごしていたような次男でしたが、3年生となって最後の全国をかけた選抜大会では不運な怪我との闘いもあり、プレイヤーとしての自身の夢を掴むことはできませんでした。

しかし、私はあのハイレベルな高校で3年間、引退するまできっちりサッカー部員としてのポジションを全うした次男を今でも誇りに思っています。

そのときの様子を綴った2007年10月のコラム『スタンス』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2007/10/blog-post.html

そして少しでも早く社会に出たいと言っていた次男は、高校を卒業してすぐに自分で見つけてきた会社に就職し、その仕事のスキルアップに必要な国家資格なども取得しながら頑張って働いていました。

二十歳を過ぎた頃、高校時代からお付き合いしていた彼女とご両親の承諾を得て同棲を始めましたが、次男が二十二歳になった2012年は、転職、彼女の妊娠、そして入籍と、彼にとってはまさしく怒涛のような日々を過ごすことになりました。更に相まって同じ時期に長男の婚約も重なり、この年の7月は私ら夫婦にとってもそれはそれは貴重で幸せな時間を息子たちから与えてもらいました。

そのときの様子を綴った2012年7月のコラム『感謝感激アメアラレ』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2012/07/blog-post.html


そんな矢の如き日々を過ごしていた2012年11月20日、次男夫婦に第一子陽菜が誕生し、彼らは父母に、私ら夫婦は早々に爺婆となりました。

サッカーしか取り柄のなかった次男坊が二十二歳で人の親になるなんて、孫が産まれてすぐは何ともこそばゆい感覚でしたが、あれから1年半、次男の仕事に対する姿勢や家族を守る責任感は、目に見えて父親らしく逞しくなり、我が娘に成長させてもらっているのがよく分かります。

また次男の嫁も、かいがいしく幼い娘の面倒を見て、お婆ちゃんになった家内の力を借りながら、一所懸命子育てに奔走しています。

家族皆の絆を強くした陽菜誕生の様子を綴った2012年11月のコラム『ようこそ』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html



そして末娘で長女の8年前は十五歳、これまたテニス命の中学三年生でした。

私ら夫婦がずっとテニスをやっていた影響もあって、小学校に入るとすぐ硬式テニスのスクールに通い出した娘は、その硬式テニス部のない中学ではソフトテニス部に入部していました。その後娘は私ら夫婦の母校で、私らがテニス部OBでもある県内最強のテニス強豪高校にやはり推薦で進学し、こちらも三年間テニス三昧の生活を送りましたが、私は中学でのソフトテニス部での経験が、その後の彼女の人となりに大きく影響していると思っています。

その中学での部活は、一時は廃部寸前まで追い込まれた状況から、娘たちが戦った最後の中学総体での十数年ぶりの団体県大会出場まで、まさに彼女にとって将来財産となる貴重な出逢いと経験が詰まっていました。

そのときの様子を綴った2006年7月のコラム『人を動かす』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2006/07/blog-post_17.html


そんな娘も高校卒業後は長男と同じ専門学校に進学、兄貴の専攻はマルチメディアのCGデザインでしたが彼女は放送映画を専攻した中で照明技師の道を選びました。

私は基本子どもたちの進路に対して、あれしろこれしろと指示したことはありません。ただ、どのような基準で決めればいいか、どのように考えればいいかという話はしてきたつもりです。そして、自身で決定しなければならない仕事や結婚といった人生にとって重要なことは、必ず父親である私に直接話をするように言ってきました。

娘もまた本格的に就活を始める学生最後の年、時間の厳しい中帰省して、兄貴たちがそうだったように私に直接これからの大切な話をしてくれました。

そのときの様子を綴った2011年6月のコラム『初めての父の日』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2011/06/blog-post.html 

その後娘も、専門学校で習得した技術を活かせる照明技師の仕事に無事就職が決まり、休みもままならない忙しさの中で毎日頑張って働いているようですが、最近は兄貴の嫁、すなわち義理の姉たちとすっかり仲良くなり、一緒に食事や買い物に連れて行ってもらい、憧れていた姉妹関係を楽しんでいます。そのきっかけとなったのは、みんなで行った山中湖への家族旅行でした。

そのときの様子を綴った2011年10月のコラム『Thank you 山中湖!』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2011/10/blog-post.html



この8年間で三人とも学生を卒業し、仕事に恵まれ、幸いにも家庭を持つような社会人となってしっかり生きてくれてます。

決して優秀で品行方正な子たちではありませんが、私ら夫婦を親にしてくれた子どもたちに私は感謝しています。そしてこれからも、私は親父としての彼らに対するスタンスを貫いていくつもりです。

最後はそんな私のスタンスを綴った2013年10月のコラム『差し向かい』です
http://dairicolum.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html

次は10年目を目標に継続は力なりを信じてコラムを書き続けていきたいと思います。
今後とも末永いお付き合いのほどヨロシクお願い致しますm(__)m


PS:今月から消費税率もアップしましたが
今回のコラムは3%増税分だけ長文になりました
お許し下さい(笑)




2014年3月1日

大雪のあとで・・・

「トヨだけじゃなくて裏の門扉も壊れちゃったよ」

遅くに帰宅すると 恨めしそうにカミさんが呟いた

「おいおいマジかよ…こりゃ完全に雪害だな」

「もう~ ホント勘弁してもらいたいわ」

「でも こんなもんで済めばいい方だよ
 車や物置が潰れちゃったお宅もあるからな」

「そうだね それにしてもおそるべし豪雪」



二週続けて関東甲信地方を別世界にした記録的な大雪、しかも狙ったように週末に降り続き、私たちの日常生活のみならず、流通、物販、飲食、観光、レジャー産業など、客商売を主体としたビジネスの世界にも甚大な被害をもたらしました。

当地松本でも、第二土曜日の8日に約50cmの積雪に見舞われたと思ったら、その雪がまだ残る翌第三金曜日の14日から土曜日15日にかけて再び猛烈な雪が降り続き、前週の残雪と合わせて今度は松本市の中心市街地で75cmという呆れるほどの積雪を記録しました。報道によると今から68年前の昭和21年に記録した78cmに次ぐ観測史上二番目の積雪だったそうです。


雪が止んだ翌16日以降も、長野県内の交通網は完全に寸断状態となり、高速道路は県の南北一部を除いて除雪のために終日通行止め、鉄道は「あずさ」や「しなの」など、都心への足が数日間に亘って全て運休という非常事態が続きました。

更に市内では、行政主導の除雪作業が一向に進まず、商店街や住宅街では市民のかいた雪を捨てる場所がなくなり、路肩や歩道の脇にはあちこちに雪の壁が出没し、道路の車線を狭くして至るところで大渋滞が起こりました。


一方で、そんな記録的な大雪によって、家屋や自動車、農業用のビニールハウスなどが損壊するという情報が、フェースブックなど身近なところで連日アップされました。


かく言う我が家も屋根に積もった雪が凍結して氷塊となり、その重みで雪止めが崩壊
トヨはへし曲がり砕けて落ち、さらに落下した氷塊の一部が門扉に直撃して開閉できないほどに毀損してしまいました。


本当に雪害、雪災というべき損害を受けた方々が相当数いらっしゃったのではないでしょうか。この場を借りて被害に遭われた皆々様に心よりお見舞い申し上げます。


そんな自然災害が原因で、生活に通常必要な財産に損害を受けた場合、所得税を軽減、免除する救済措置があることをご存知でしょうか。

一つは「雑損控除」といって、次の①か②のいずれか多い金額をその年の所得金額から控除することができます。
① 損害を受けた資産の損害額-所得金額の10%
② 災害関連支出(滅失した資産を取壊したり除去するための費用)-5万円

所得の10%を超える金額ですから、例えば我が家のようにトヨや門扉の損壊くらいでは対象にはなりませんが、家屋の一部が倒壊したような場合は検討すべきです。
なお、農業用のビニールハウスなど事業用資産の損害は、事業所得の必要経費として控除しますので、この雑損控除の対象とはなりません。


もう一つは「災害減免法」といって、あの東日本大震災の時にも多くの方が対象となった、比較的大きな災害の場合の救済措置です。これは住宅と家財に限りますが、災害によって住宅や家財の価額の2分の1以上の損害が認められる場合、その人の所得に応じて次のように所得税が免除、軽減されます。
(所得金額1千万円超の人は対象外です)

① その年の所得金額が500万円以下の人= 全額免除
② 500万円超 750万円以下の人= 2分の1の軽減
③ 750万円超 1千万円以下の人= 4分の1の軽減


なお、ともに火災保険などで補填された金額があれば、それを控除した純損害額が対象となります。また、被害に遭った金額を証明する書類等を添付して確定申告する必要がありますので、今回の雪で被害を受けられた方々は来年の確定申告で適用することになります。

他にも細かい要件がありますので、対象になるかもしれないと思われる方はお気軽にご相談下さい。



「ねえねえ ウチも税金とか安くならないの?」

「ああ 壊れた資産の壊れたときの価値が損害額だから何十年も使った門扉やトヨじゃこの場合の損害にはならん」

「え~~ じゃ自腹で直すの~?」

「火災保険が利くと思うけど免責20万だったかな? 
確認してみる… てか自腹ってオレの金でしょ」

「私のお金は私のお金 貴方のお金も私のお金」

「あのね 盗難、横領も雑損控除の対象なんだよ」

「あら・・・」



2014年2月1日

目線

「こんなことされたらボロボロだな」

「え? 誰がポンコツなの?」

「ポ ポンコツ? じゃなくてボロボロ!」

「あ~自分のことじゃないの(笑) 
で 誰が?」

「お前こういうの見てる時によくそんな言葉出てくるな
正蔵さんに決まってんだろ こりゃたまらんぞ」

「あ~お爺ちゃんね… ふふふっ」

「なに 笑ってんだよ」

「ううん 何でも… ふふふっ」

「・・・?」



現在放映中のNHK連続テレビ小説『ごちそうさん』をご存知でしょうか。

私としては、昨年「じぇじぇじぇ」が流行語大賞となるなど、宮藤官九郎の斬新な脚本で大ブレイクした『あまちゃん』に続き…否、正確には三年前、当地信州安曇野を舞台に繰り広げられた『おひさま』から数えて今回で3本目となる毎日録画のお気に入り番組です。



先日、いつものように晩酌しながらその『ごちそうさん』を見ていたらこんなシーンがありました。

近藤正臣演じるヒロインの義父正蔵が持病の発作で倒れ、一旦は生死の間を彷徨いながらも何とか持ち直し、その後自宅で静養することになります。医者からは今度発作が起きたらその時は覚悟しなさいと宣告され、家族はそれぞれにどうやって正蔵に寄り添ってあげられるかを考えます。

ハリウッド俳優渡辺 謙の血を引く杏演じるヒロインめ以子の幼い三人の子どもたちも、自分が何かをして祖父正蔵に喜んでもらおうと動き出します。

長男泰介は夜遅くまで必死に勉強し、学校のテストで100点満点をとって、それを真っ先にお爺ちゃんに見せます。祖父正蔵は100点のテストを見ながら満面の笑みで泰介の頭を何度も撫で、お爺ちゃんの孫は天才だなぁと褒め称えます。

次男活男はお爺ちゃんが大切に作っていた干し柿の世話を一人で続け、食べ頃に熟したところでお爺ちゃんの部屋に持って行って一緒に食べます。祖父正蔵はこんなに美味しい干し柿は生まれて初めてだと、活男に何度もありがとうと言いながら美味しそうに食べます。

長女のふ久は、母の作ってくれる美味しい料理をお爺ちゃんと一緒に食べるんだと、夕飯のお膳を祖父正蔵の部屋に運びます。これには二人の兄弟も続き、正蔵は三人の孫と差し向かいで至福の夕飯をとります。そして、自分は最高の孫に囲まれた日本一幸せなお爺ちゃんだと幼い孫たちに嬉しそうに声を掛け、笑顔と涙の入り混じった穏やかな表情で三人の孫を見つめます。

その夜「明日の夕飯はどんな旨いもん食わしてもらえるんやろ 楽しみやなぁ」と呟きながら床に就いた正蔵は、果たして二度と帰らぬ人となってしまいます。

私はこのシーンを近藤正臣演じる祖父正蔵の立場で自然と感情移入し、顔をくしゃくしゃにしながら正蔵目線で見ていました。

皆さんは覚えているでしょうか、近藤正臣と言えば、あの『柔道一直線』で主演桜木健一の敵役となる結城真吾を演じ、鍵盤の上に飛び乗って足の指でピアノを弾いたという伝説を持つ名俳優ですよ…
あ すみません 話が脱線したので元に戻しますm(_ _)m


当然のことながら、人間はその年齢や環境に応じて、ものを見たり感じたりする目線というものが変化していきます。

テレビや映画も無意識のうちに、同世代であったり同じような境遇の登場人物の目線で見ているのではないかと思います。

それが今や私もお爺ちゃんの目線でテレビドラマを見るようになったのかと思うと多少感傷的にもなりますが、一方で少し大切なことも見えたような気がします。

それは、歳を重ねるほどに視野を広くして色んな目線からものごとを見なければいけないということです。

一般的に人は歳をとればとるほど融通が利かなくなるなどと言われますが、本当は人生五十年、六十年生きてくれば、ほとんどの男性が、少年、青年、夫、父親とそれぞれの立場を自分自身で経験するわけなので、私のように現在の目線が爺さんなら、余計にそれぞれの立場の気持ちを思いやることができて然るべきだと思うのです。
もちろん女性だって同様です。

そもそも“目線”という言葉も、「上から目線」とか「自分目線」などという言葉があるように、平たく言えば自分基準のフィルターを通したものの見方に他ならず、自分の好き嫌いを前提とした他に対する評価というのが相当ではないかと思います。

真は、そんな自分勝手なフィルターなど持たずに、ありのままの姿を自由自在に見ることができる心持ちを具えることが必要、ということではないでしょうか。



「だから 何がおかしいんだよ」

「だって 最近何見ても爺目線なんだもん」

「そりゃ ホントに爺だからしょうがないだろ
立場は爺だけどちゃんと色んな目線でもの見てるさ」

「自分をそういう目線で見てるんじゃないの?(笑)」

『…痛いとこつく奴だな』




2014年1月5日

我が家の重大ニュース2013

明けましておめでとうございます
本年もどうぞよろしくお願い申し上げます


子どもたちが全員元旦に帰省するということで
私ら夫婦は大晦日まで自宅と実家の大掃除で一杯一杯…

正月は家族水入らずで連日の酒宴
結局 連休最終日になってしまいました

個人的な仕事の話で恐縮ですが、これまで毎年仕事納めまでにはすべて完了していた顧客の年末調整業務も5件ほど年越ししてしまい、自分としては何故こんなに追われているんだろうと少々焦り気味でこの年末年始休みに入ってしまったのですが、考えてみたら今回の休日は9連休ということで、年末の就業日が一日二日少なかったんですね。

加えて前回のコラムでも紹介しましたが、20年選手の直属の部下が11月一杯で退職し、彼女の担当していた通常業務の大半を今のところ私が引き継いでいることも影響しているかなと思います。

色々言っても私らの業界は、12月から確定申告時期である3月までが最繁忙期で、放っておいても忙しいのが本来なので、うだうだ言い訳がましいことを言わず、明日の仕事初めからビシッとやるべきことをこなしていきたいと思ってます。


さて、このコラムも今年で9年目に入りました。

物書きのプロではないので、月に一稿ではありますがコラムという形で文章を綴る作業は私にとって実は結構プレッシャーなんです。

前々から考えていたのですが、このコーナーも今年からちょっと趣向を変えて、短編ブログ形式で投稿数を増やしていこうなどと思っています。

いずれにしても今後とも変わらぬご愛顧のほどよろしくお願い致します。


前置きが長くなりましたが「我が家の重大ニュース2013」行ってみましょう。


『長男 晴れて結婚式』

2013年6月22日ヒルトン東京に於いて、ウチの長男(27歳)が結婚式を挙げました。お相手は以前このコラム(「反面教師」http://dairicolum.blogspot.jp/2010/08/blog-post.html)でも紹介した薩摩おごじょの素敵な彼女です。


二人は5年間の愛を育み、4年前に私に話した決意を貫いて立派に添い遂げてくれました。華やかな披露宴では彼らの素晴らしい友人達の大きな友情に泣かされ、こんな粋で優しいバカな友達がいるならもう親が出しゃばらなくても大丈夫だと感じさせてもらいました。

今年6月、彼らの第一子、私らにとっては二人目の孫が誕生する予定です。



『娘と二人 横浜中華街デート』

9月の連休、神奈川に住む娘のもとに単身赴きました。(「差し向かい」http://dairicolum.blogspot.jp/2013/10/blog-post.html)

照明技師として都会で働き出して今年3年目となる娘と差し向かいで酒を酌み交わし、仕事や恋愛、結婚のことなど、二人だけでじっくりと話をしてきました。

「可愛い子には旅をさせろ」よく言われることですが、すべて自己責任の中で社会に揉まれながら生活していると、当然ですがものの考え方も所作も格段に成長するものです。

そんな様子を確認するために、彼女に新たな伴侶ができるまでは、年に一度の差し向かいを続けて行きたいと思っています。



『孫娘 一歳のお祝い一升餅』

11月、次男夫婦の愛娘陽菜(「ようこそ」http://dairicolum.blogspot.jp/2012/11/blog-post.html)が一歳の誕生日を迎えるということで、当地の老舗で私の友達でもある松本館さんで「一升餅」のお祝いの席を設けました。


お嫁さんのご両親とご一緒に、可愛い孫娘を囲み、とても美味しい料理と旨い酒に舌鼓を打ちながら、至福の時間を過ごすことができました。

次男夫婦に子どもができて一年、まだ若干23歳の次男坊は、プライベートではピアスを開けラップ系のキャップを被り、見てくれはまだまだヤンチャな若僧ですが、かいがいしく娘の面倒をみる姿は、すっかり父親としての責任と自覚が身に付いてきたように逞しく映ります。守るべき者ができるということは、人間をこれだけ成長させるのだと、次男坊に改めて実感させられた一年でした。

そして何より、父となった息子が自分の母親に対して優しくなったことが私にとっては嬉しい成長です。

「親となり親の偉大さを知る」
これもよく言われることですが、子育ては何ものにも代えがたい人生勉強ですね。


三人の子どもが皆年頃ということもあり、このところ毎年家族が増える勢いの我が家ですが、皆が互いを思いやり、明るく健康に過ごしてくれることを願います。

こんな我が家を 今年もよろしくお願いいたしますm(_ _)m